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第13話 甘々な

 その日1日雫はふわふわした状態で過ごした。大学もアルバイトも夢の中にいるようだった。今朝は6時までを和樹と過ごした。それは甘い甘い時間だった。 「雫、抱きしめても良いか?」  和樹は返事を待たずに雫を抱きしめた。それは優しく包み込む抱きしめ方だった。190㎝に近い身長の和樹と168㎝しかない雫では、頭は肩までしか届かない。胸に寄せて和樹の心音を聞いて呼吸を止める。まだ信じられない。こんな時が来るなんて。まるで夢を見ているようだ。知らず知らず熱い吐息がこぼれる。  2人で雫の部屋に移動してシングルベットに横になった。狭いベットでは抱きしめられるように横になるしか出来ない。和樹の胸に顔を埋めて雫はつむじに熱い息を感じて幸せに浸っていた。間近にある和樹の顔を見上げると愛しげに眼を細める視線とぶつかる。 「本当に僕で良いのですか?」 「俺は雫が良いんだよ」 「本当に?」 「心配か?」 「はい。」 「俺には雫だけだよ。信じて欲しい」  その瞳に嘘を感じることは出来なかった。雫は信じてみようと思ってはにかむ笑顔を見せた。その時クスリと和樹に笑われる。 「随分晴れちゃったね瞼」  和樹は瞼を優しい指でたどる。雫は両手で顔を覆いイヤイヤと首を振った。両思いの最初の顔がこんな不細工なんて恥ずかしい。 「見ないで下さい」 「それはできないなぁ~。顔を見せて雫」  身体を横たえても格好いい姿と甘いバリトンボイスに雫は逆らえない。おそるおそる手を外して和樹を見上げた。 「瞼を冷やそう」  愛おしいものを見るような和樹の言葉に頬を染めて、狭いベットから起き上がり洗面所に向かった。新たにタオルを冷やした雫は和樹と部屋に戻り、2人で並びベットを背にラグの上に座った。 「ほら、ちゃんと冷やそう」 「はい」  雫は眼タオルを当てて、右横にいる和樹にもたれかかった。和樹も腕を回して肩を抱いてくれる。すっぽり包まれて安心した。 「和樹さん、呆れてませんか?」 「どうして?逆に嬉しいけどなぁ~。俺の為にこんなに泣いてくれたんだろ?」  タオルを外して和樹を見ると本当に嬉しそうな笑顔があった。恥ずかしくて雫は直ぐにタオルに顔を伏せた。そんな雫を1度強く抱きしめてくれた。  2人でたわいのない会話をしながら緩やかに時間は過ぎてく。いつもなら直ぐに眠ってしまう雫も幾ら時間が経っても眠気を覚える事は無かった。  雫はカフェのアルバイトの最中に時間を気にして過ごしていた。人の波が引いた時にマスターから声を掛けられる。 「雫くん、どうしたの?やっぱり、まだ体調悪い?」  いつもと様子の違う雫にマスターも訝しがった。マスターには心配をかけてばかりいる。 「いえ、大丈夫です。ホントに!」 「でも、なんだか顔も赤いよ?」 「っ。何でも無いですから」  雫はますます頬が熱くなるのが分かる。こんな状態になるのも瞼の腫れが引いた後、和樹に抱きしめられて眠った雫は別れ際に、今日は車で迎えに来ると言われていたからだ。その時間を気にして時計を見ることを止められない。 「なら良いけど、無理はしないでね。雫くんはこの店の大事な戦力なんだからね」 「はい、頑張ります」  雫は気合いを入れ直し、和樹が迎えに来るまでの時間をきちんとやろうと心に決めた。  その日1日の仕事を終えてバックヤードで着替えをしているとカフェの扉が開くカウベルの音が響いた。その音に気が付いた雫は急いで着替えをする。 「和樹くん、久しぶりだね。もしかして雫くん?」 「はい、迎えに来ました」 「そっか、そうなんだね。もうすぐ着替えも終わって出てくるよ」  マスターの言葉に急いでフロアに雫は戻った。そこには笑顔の2人の顔があった。 「和樹さん!」 「雫、お疲れ様」 「はい、ありがとうございます」 「雫くんお疲れ様、しっかり和樹くんに送ってもらうんだよ。じゃあ、またよろしくね」  その言葉にマスターの方に身体の向きを変えて頭を下げた。そこにはなんだか安心顔のマスターと目があった。 「はい、お疲れ様でした」 「じゃあ、行こうか雫」 「はい」  2人の間には甘い空気が漂っていた。  和樹の促しで店を後にし、コインパーキングに止めてある初めて間近で見る和樹の車に乗り込んだ。車に詳しくない雫でも良い車であると思わせる車だった。  雫は、伊達眼鏡をしている事を和樹に話してから、和樹の前では眼鏡を外して過ごすようになった。眼鏡を鞄に仕舞うと、そこには格好いい和樹の顔があった。朝に別れたばかりと言うのに雫は和樹に会えて嬉しくてたまらない。 「和樹さん、ありがとうございます」 「俺がしたかっただけだから雫は気にする必要ないからな」 「はい」    雫は嬉しい気持ちがいっぱいの時には言葉もあまり浮かばないという経験をしていた。 「なんだか静かだな、電車ではいつも寝てるし静かなのはいつもか?」 「和樹さん!」  雫は顔に熱が集まるのを感じた。身に覚えがありすぎて恥ずかしさしかない。   「悪い悪い、怒るなよ雫」  嬉しい時間もあっという間に過ぎてしまう。家の前でした車の中での初めての優しい唇に触れるだけの長い啄むキスは雫を蕩けさせた。

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