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涙 #1 side Y
喫茶店の会計を済ませ、冬真君を背負って滞在中のホテルのロビーに到着した。ここまでの道すがら、大勢の人に驚かれ、何度も振り向かれたがここでも同様だった。フロントの男性が、
「どうされましたか?」
と声を発した。
「こちらでお世話になっている307号室の海野です。友人が急に具合が悪くなりまして...大変恐縮ですが、部屋をツインに変更して頂けませんか?それと、この近くで診察してくれる病院を探して頂けませんか?」
「畏まりました。すぐに手配致します。それまで、今まで滞在されていましたお部屋でお待ちください。部屋の方は空室がございますから、ご準備でき次第ご連絡差し上げます。」
「ありがとうございます。助かります。」
嫌な顔一つせず、落ち着いてテキパキと対応してくれるこのホテルマンは、本当に優秀なんだと思った。そして、心から感謝した。
部屋に着くと、俺は冬真君をベッドに寝かせ、冬真君のスマホを手に取った。なぜなら、絹枝さんに連絡しようと考えたから...絹枝さんのご主人は、冬真君の主治医だと言っていた。彼の現在の体調を確認し、これから診察してくれる医師に説明した方が良いだろうと考えた。スマホのディスプレイを見ると、そこには15年前、最後に二人で撮った、あの写真の画像が出てきた。俺は鼻の奥がツンとして、胸が張り裂けそうなぐらい切なかった。しかし、その気持ちを一気に押し殺して、通話履歴から絹枝さんの名前を探して、通話マークをタップした。呼び出し音が何回か聞こえた後、懐かしい声が聞こえて来た。
「冬真?どうしたの?」
絹枝さんが冬真君を『さん』付けしないで呼んだのを初めて聞いた。
「あっ、絹枝さん?俺...海野葉祐です。覚えてますか?15年前、毎日お見舞いに行った...」
「まぁ!あの...葉祐君?どうして...?」
「詳しくは後で...冬真君が倒れたんです。今、N駅前のMホテルにいます。フロントでこれから診察してくれる病院を探してもらっています。その医師に何か伝えた方が良いことありますか?」
「伝えて欲しいのは、15年前の心臓の手術のことです。ただ、今は飲んでいる薬はありません。Mホテルですね?その近くに主人の知人がお住まいのはずですから、こちらからも往診して頂けるかお願いしてみます。」
「はい。お願いします。」
俺は一旦通話を切り、次に、部屋をスムーズに移れる様に荷物をまとめた。しばらくすると、部屋の電話が鳴った。
「もしもし。」
「海野様でしょうか?」
「はい。」
「フロントです。お部屋の手配が完了しました。弊社の者が車イスを持参の上、お伺いし、誘導致しますので、ご友人の方とご移動願います。病院の方ですが、先程、ご友人のお知り合いとおっしゃる医師から連絡がありまして、こちらに往診してくださるとのことでしたが、いかがされますか?」
「主治医に連絡して、ホテルの近くに住む医師に連絡すると言っていたので、恐らく、その医師かと思います。到着次第、部屋に通してください。」
「畏まりました。」
フロントとの通話を切ると、部屋の呼び鈴が鳴った。
診察の結果、大したことはなく、倒れた原因は貧血と疲労だろうとのことだった。医師は注射をし、
『もしかしたら、ここ数日、あまり眠れていないか、食事が思うように摂れていなかったのかもしれないね。これから発熱があるかもしれないから、注意深く見るように...天城先生にはこちらから連絡しておくよ。』
と言って、帰って行った。
医師が帰った後の静まり返った部屋の中で、ベッドサイドで眠る冬真君を見つめた。笑っちゃうぐらいあどけない寝顔で.....この部屋に落ち着くまでに何度か背負ったり、抱き上げたり、横たえさせたりした。その度に思った.....
軽い......
聴診器を当てる際に、偶然目に入ってしまった肌と胸の傷痕...消えて無くなっちゃうんじゃないかなって思うほど白くて...白いからこそ異様に目立つ傷痕...線も細くて...軽くて...
自分の意思とは関係なく涙が出てきた。
「元気になったんじゃなかったのかよ....そのための手術じゃなかったのかよ.....ツラいって誰かに言えたのか?悩み事...話せる人いたのか?」
俺はそう呟いて...スマホのディスプレイを思い出す。
「何だよ...やっぱり...俺しかいなかったんじゃないかよ.....全く.....」
俺は大人になって初めて…声を上げて泣いた.....
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