16 / 258

涙 #1 side Y

喫茶店の会計を済ませ、冬真君を背負って滞在中のホテルのロビーに到着した。ここまでの道すがら、大勢の人に驚かれ、何度も振り向かれたがここでも同様だった。フロントの男性が、 「どうされましたか?」 と声を発した。 「こちらでお世話になっている307号室の海野です。友人が急に具合が悪くなりまして...大変恐縮ですが、部屋をツインに変更して頂けませんか?それと、この近くで診察してくれる病院を探して頂けませんか?」 「畏まりました。すぐに手配致します。それまで、今まで滞在されていましたお部屋でお待ちください。部屋の方は空室がございますから、ご準備でき次第ご連絡差し上げます。」 「ありがとうございます。助かります。」 嫌な顔一つせず、落ち着いてテキパキと対応してくれるこのホテルマンは、本当に優秀なんだと思った。そして、心から感謝した。 部屋に着くと、俺は冬真君をベッドに寝かせ、冬真君のスマホを手に取った。なぜなら、絹枝さんに連絡しようと考えたから...絹枝さんのご主人は、冬真君の主治医だと言っていた。彼の現在の体調を確認し、これから診察してくれる医師に説明した方が良いだろうと考えた。スマホのディスプレイを見ると、そこには15年前、最後に二人で撮った、あの写真の画像が出てきた。俺は鼻の奥がツンとして、胸が張り裂けそうなぐらい切なかった。しかし、その気持ちを一気に押し殺して、通話履歴から絹枝さんの名前を探して、通話マークをタップした。呼び出し音が何回か聞こえた後、懐かしい声が聞こえて来た。 「冬真?どうしたの?」 絹枝さんが冬真君を『さん』付けしないで呼んだのを初めて聞いた。 「あっ、絹枝さん?俺...海野葉祐です。覚えてますか?15年前、毎日お見舞いに行った...」 「まぁ!あの...葉祐君?どうして...?」 「詳しくは後で...冬真君が倒れたんです。今、N駅前のMホテルにいます。フロントでこれから診察してくれる病院を探してもらっています。その医師に何か伝えた方が良いことありますか?」 「伝えて欲しいのは、15年前の心臓の手術のことです。ただ、今は飲んでいる薬はありません。Mホテルですね?その近くに主人の知人がお住まいのはずですから、こちらからも往診して頂けるかお願いしてみます。」 「はい。お願いします。」 俺は一旦通話を切り、次に、部屋をスムーズに移れる様に荷物をまとめた。しばらくすると、部屋の電話が鳴った。 「もしもし。」 「海野様でしょうか?」 「はい。」 「フロントです。お部屋の手配が完了しました。弊社の者が車イスを持参の上、お伺いし、誘導致しますので、ご友人の方とご移動願います。病院の方ですが、先程、ご友人のお知り合いとおっしゃる医師から連絡がありまして、こちらに往診してくださるとのことでしたが、いかがされますか?」 「主治医に連絡して、ホテルの近くに住む医師に連絡すると言っていたので、恐らく、その医師かと思います。到着次第、部屋に通してください。」 「畏まりました。」 フロントとの通話を切ると、部屋の呼び鈴が鳴った。 診察の結果、大したことはなく、倒れた原因は貧血と疲労だろうとのことだった。医師は注射をし、 『もしかしたら、ここ数日、あまり眠れていないか、食事が思うように摂れていなかったのかもしれないね。これから発熱があるかもしれないから、注意深く見るように...天城先生にはこちらから連絡しておくよ。』 と言って、帰って行った。 医師が帰った後の静まり返った部屋の中で、ベッドサイドで眠る冬真君を見つめた。笑っちゃうぐらいあどけない寝顔で.....この部屋に落ち着くまでに何度か背負ったり、抱き上げたり、横たえさせたりした。その度に思った..... 軽い...... 聴診器を当てる際に、偶然目に入ってしまった肌と胸の傷痕...消えて無くなっちゃうんじゃないかなって思うほど白くて...白いからこそ異様に目立つ傷痕...線も細くて...軽くて... 自分の意思とは関係なく涙が出てきた。 「元気になったんじゃなかったのかよ....そのための手術じゃなかったのかよ.....ツラいって誰かに言えたのか?悩み事...話せる人いたのか?」 俺はそう呟いて...スマホのディスプレイを思い出す。 「何だよ...やっぱり...俺しかいなかったんじゃないかよ.....全く.....」 俺は大人になって初めて…声を上げて泣いた.....

ともだちにシェアしよう!