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冬真の過去 #1 side Y
診療所から自宅まで続く、なだらかな下り坂を冬真を背負って帰る。小さく寝息を立て始めた冬真は、以前よりも更に軽く感じた。
また...痩せちゃったな......
美味しいもん食べさせて...リラックスさせてやらないと...
それにしても、病室でぽろぽろとこぼした涙は...どういう意味だったんだろう...とても気になった。一人で苦しんでないといい。冬真は優しい。他人を傷付けないようにと、自分を傷付け、そして、人知れず涙を流す...それでも俺の前では泣けるようになった。それだけでも冬真の心は、解放に向かっているのだと信じたい。早く...1分1秒でも早く、悲しみや不安から...冬真を遠ざけてやりたい...
「どうされましたか?」
診療所を出てしばらくして、後から急に声を掛けられた。振り返ると、そこには警備員の男性が一人立っていた。その警備員は、俺の顔を見て驚き、近付いて、
「冬真君...冬真君に何かあったのですか?」
と言った。この人がどうして、俺と冬真が結び付くのか疑問に感じたが、敢えて聞かなかった。
「どうやら貧血で倒れたみたいで...今、診療所の帰りなんです。」
「いつなんですか...倒れたのは...」
「それが...本人の記憶も曖昧で...私は今朝、こちらに着いたんですけど...倒れていたんです。」
「ゴミの収集プレートは何ら変わったところがなかったので...こちらも全然気が付きませんでした...可哀想に...」
警備員は悔しげに言った。
「ゴミの収集プレートって?」
「ああ...ごめんなさい。表札の下に色のついたプレートがぶら下げてあるでしょう?」
「ああ...あれ...何かなって、いつも考えていたんです。」
「こちらの別荘地では、ゴミの収集を毎日、管理会社の方で行うんです。そのお宅によって、回収時間は違うんですけど...ゴミを収集して欲しい時は、赤、橙、黄、3色のプレートを出します。月、水、金は赤。火、木、土は橙。日は黄です。収集しなくてよい日は別のプレートが7色あって、曜日によって決まっています。ですから、毎日、何かしら違う色のプレートが出るはずなんです。こうして、私達はここにお住まいの方々の安否確認をしているんです。」
「なるほど...画期的なシステムですね。」
「こちらは、定年後の居住にされる方もいらっしゃいます。集積所も点在しておりますが、冬になれば、雪も多少積もりますから...お体の負担にならない様にと、このシステムが考え出されたんです。」
「一つ家の用事を手伝ってやれます。教えてくださってありがとうございます。」
「いいえ。後でプレートの色分け表をご自宅までお届けします。」
「ありがとうございます。」
「しかし...5日ほど前だったかな...冬真君と話をしたのは...あの時はとても楽し気で元気だったのに...」
「その話...差し支えなければ、聞かせて頂いても良いですか?」
「はい...5日ほど前の昼間、巡回中に庭に出ている冬真君を見付けて、声を掛けました。私は、冬真君がここに来た頃から存じ上げているので、よく会話をします。何をしているのか聞きました。すると、花を探していると冬真君は答えました。冬真君がそんな事をするなんて珍しいですから、何故か聞きました。そうしたら、家が殺風景なので、花でも飾ろうかと思った。しかし、よく考えたら花瓶がないから、諦めると言いました。私は、そんなの管理室にあるからと言って、管理室の花瓶を後になって届けました。その時...冬真君は一瞬躊躇したような表情になりました。でも直ぐに笑顔で『ありがとう』と言ってくれました。私は、『あのイケメンの友達が遊びにくるの?』と、あなたが訪ねて来るのか聞きました。そうしたら...」
「そうしたら?」
「『そうだよ』って、嬉しそうに微笑んだんです。私はホッとしたんです。冬真君を訪ねてくれる友達がいて、冬真君もその友達が来るのを楽しみにしていて...ありきたりの事ですが、冬真君の今までの生活には、そういうことはありませんでした。だから、何か良かったなぁって...ここに来た頃の冬真君は、あまり笑うことはなくて...ほとんど車椅子に乗って生活していました。建物もお祖父様がご存命の頃は、今の倍以上の広さでした。あの広さにお二人でお住まいなのは、さぞかし寂しいことだったでしょう。そのうち、車椅子は使用しなくなりましたが、顔色はいつもすぐれなくて...昔、冬真君の家のそばに別荘地共有の花壇がありました。無意識だったんでしょうね...そこにふらふらと入って行こうとする彼を、何度か呼び止めたことがあります。我に返った彼はひどく動揺して...『誰にも言わないで』って、その度に泣いていました...私はいても立ってもいられず、彼を抱っこして管理室に連れて行き、落ち着くまでよくココアを飲ませたものです。ああ、勿論ご家族には了承を得てからですけどね。それから成長して...中学、高校に入って...ちょっとづつ顔色も良くなり始めたんですけど...美大にに入ってから、また顔色が悪くなり始めました。体のことを考えて、通信制にしたらしいんですけど...スクーリングっていうんですか?あれが思いの外、体に負担がかかったみたいで...それでも頑張って卒業して...在宅でも可能な就職もして...冬真君は本当に頑張り屋さんなんです。」
「色々教えてくださってありがとうございます。私は海野と申します。私は小学生の頃の友人なんです。でも、共にした時間は本当に短くて、一緒に過ごした後の彼のことは何も知らなくて...ずっと知りたいと思っていました。でも...自分のことを率先して話すタイプでもないので、どうしたものかと考えていたので、本当に助かりました。」
「いいえ。私は真鍋と申します。」
話しているうちに家に着いた。真鍋さんは、困った事があったら何でも相談してくださいと、一礼して立ち去ろうとした。ならば今、お願いしますと、冬真を起こしたくないので、ベッドに寝かせるのを手伝って欲しいとお願いした。真鍋さんは快く引き受けてくれた。二人で協力して、何とか冬真を起こさずに、ベッドに横たえさせることが出来た。なかなか大変な作業だったので、真鍋さんとの間に連帯感が生まれた。
「ありがとうございました。本当に助かりました。良かったら、コーヒーでもいかがですか?」
そう尋ねると、
「いいえ。勤務中ですので...」
と返した言葉から真鍋さんの勤勉さが伺えた。
「このベッドだって...」
と、真鍋さんは呟いた。このベッドが、ここにある理由を知りたかった俺にとって、真鍋さんの呟きはまさに渡りに船だった。
「このベッドがどうかしたんですか?」
「えぇ。このベッドだって、修君のために買い替えた物なんですよ。修君はご存知でしょう?天城先生のところの...」
「はい。従姉妹に当たる...?」
「そうです。今から2年位前ですかね...修君が小学生になって、一人で冬真君のところに泊まりに来るようになったんです。幼い修君は、冬真君と一緒に眠りたがって...同じベッドで眠るんだけど、修君、何度もベッドから落ちるんですって。壁側にしてあげても、今度は足元に落ちる...でも、本人は全くそのことに気が付いてないらしくて...可哀想だからって、このベッドに変えたんですよ。こんなに優しくて...精一杯頑張っているのに…何でいつも彼だけ...」
そこまで言うと、真鍋さんは再度、言葉を詰まらさせた...
「真鍋さん...いつも冬真を見守ってくださり、本当にありがとうございます。私は東京在住で、仕事も東京です。しかし、その仕事の都合で、1か月から2か月に一度の割合でこちらに来ることがあります。その時は必ず、冬真の家に来ようと考えています。冬真を見守る目は、多ければ多いほど良いはずです。あなたに今まで通り、冬真を見守って頂けると私は本当に助かります。」
「いいえ。私はそんな...でも...今まで通り、話し相手にはなれると思います。」
「是非、お願いします!」
俺の言葉に恐縮するばかりの真鍋さんを見て、この人は本当に良い人なのだと痛感した。俺はまた、最強の協力者を得てますます心強く感じた。
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