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天使の訪問 #1 side Y
その日の午後、斎藤夫妻と娘の真生(まお)ちゃんが、我が家を訪れた。斎藤夫妻と会うのは、真生ちゃんの誕生以来で、真生ちゃんは、数日後2歳になるという。月日の流れは早いものだと痛感し、また、冬真が親父さんを亡くしたのも、このぐらいだったのかと思うと、何だかやりきれない...切ない気持ちになった。斎藤は冬真の前で、目を合わせるように屈んだ。
「冬真君!こんにちは!久しぶりだね?」
斎藤がそう言うと、冬真は目を合わせることはなく、ゆっくりと瞬きをした。斎藤は冬真を見て、あからさまに動揺した。
「大丈夫!分かってるみたい。冬真の瞬きはさ、肯定を意味してるんだ。『分かった』とか『嬉しい』とか『美味しい』とかさ。」
続いて横川さん...いや由里子さんが斎藤と同様に挨拶すると、冬真はやっぱり、ゆっくりと瞬きをした。
「冬真君、この子はね、私達の子供の真生よ。よろしくね!」
冬真は無反応だった。
「やっぱり...はじめましてだから仕方ないわね......」
由里子さんはちょっと寂しそうに呟いた。
「冬真!斎藤と由里子さんはね、結婚したんだよ。二人の子供がここにいる真生ちゃん!仲良くしような。」
俺の言葉にも、冬真は無反応だった。
「ごめん...時間の流れが、まだよく分からないところがあるんだ。でも...一生懸命、真生ちゃんの声を聞いてるよ。」
「どうして分かる?」
「言葉で説明するのは難しいけど...普段と様子が違う。真生ちゃんの声を聞いて...たくさん考えてるんだと思う。」
「二人にしか分からない事ね。」
「そうだね。」
「しかし、葉祐…俺は正直、もう少し良くなってると思ってたよ。」
「でもさ、だいぶ進歩したと思う。こうやって、自分の意思を少しずつ示すようになったしさ。プールに行く日なんてさ、笑っちゃうんだぜ!」
「プール?入って大丈夫なのか?」
「腰までね。週に3回、かかりつけの病院のリハビリセンターに通ってるの。歩行の訓練の一環で、腰までプールに浸かってウォーキングする日があるんだけど...スゲー楽しみにしてるみたいなの。その日になると水着を見せて、プールに行く日だと教えるんだけど......ゆっくりだけど、いつもより数多く瞬きするんだ。多分、嬉しいとか楽しいとかそういう意味なんじゃないかって。それに最初に気付いたのは療法士さんだったんだけど...俺が迎えに行くとね、瞬きばかりしてるんだって。今はトイレも何となく分かるようになったし...会社を辞めた頃と比べれば、本当...快方に向かってると思う。」
「しかし......」
「それにさ、ドクター曰く、冬真は心を壊してしまったワケじゃなく、心を閉ざしただけだから、いつか突然、回復する可能性もあるらしいんだ。俺はその日まで、冬真に愛情を注いでやってさ、冬真が恐怖から逃れたくてかけてしまった心の鍵を...一個一個開けてやろうと思ってる。慌てず、ゆっくりと、冬真のペースで...」
「お前はそれで...良いのか?大丈夫なのか?全てを投げ出したくならないのか?」
「正直...全てを納得しているワケではないよ...冬真をこんな風にした犯人を一生赦すことは出来ない!でも......冬真の未来も考えてやらないと......お前と由里子さんが、真生ちゃんを育ててるのと、何ら変わりなくてさ。真生ちゃんだって、生まれてから、二人を中心にたくさんの人達の導きで、今日まで成長しただろ?冬真も一緒。導いてやらないと......昨日まで出来なかったこと、出来るようにしてやりたいし...もう怖いことは起こらないから、安心して良いことも理解させたいし...」
俺の言葉を聞いた由里子さんが、真生ちゃんを抱いて冬真の前で屈んだ。
「真生ちゃん...冬真お兄ちゃんよ。」
「とぉーまぁ?」
「うん。冬真お兄ちゃん。」
「にぃにぃ。」
「そう。真生ちゃんのお名前...二つの意味があってね...一つは真生ちゃんのことだけど...もう一つは、冬真お兄ちゃんへのお願い事が叶いますようにって付けたの。」
「えっ?」
俺は言葉を失って、斎藤を見た。
斎藤は俺を見て、黙って頷いた。
「冬真お兄ちゃんが...どうか生きることを選びますようにってね。お兄ちゃん、毎日頑張ってるんだって。だから真生ちゃんは、冬真お兄ちゃんにいい子いい子にしてあげてね。」
「にぃにぃ、いいこいいこ?」
「うん。ねぇ?葉祐君?真生が冬真君に触れても大丈夫かしら?」
「あっ...うん......」
念のため、俺は冬真の横に屈んだ。その後ろに斎藤が立った。
「真生ちゃん、お兄ちゃんいい子いい子。」
「とぉーまにぃにぃ、いいこいいこ!」
真生ちゃんは、小さい手で冬真の頭を撫で、その後、その小さい手を冬真の頬に移し、ペチペチと触れた。
その時......冬真の瞳からひとすじ涙が流れた。
それから、冬真は気絶するかのように、ふっ...と突然、眠りに就いた。
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