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三年の月日 side Y

あの時...... 事件後...間もなく...ドクターは俺に言ったんだ...... 『そうですね...簡単に言うならば、暗示がかかってる様なものでしょうか。』 『暗示...ですか?』 『厳密に言うと違うんですけどね。岩崎さんの場合、犯人の証言から、声を発したら殺すという脅しを受けていました。抵抗して身動きを取ったら生死をさまようほどの暴力を振るわれました。人間が人生で経験する出来事を考えた時、岩崎さんの経験は尋常ではありません。いわゆる強烈な経験をしたわけです。強烈な経験だった分、どんなに安全な場所にいても、またそういうことが起こるかもしれないと思ってしまうんです。だから、もう怖い思いをしないように、自分を守るために、自分は最初から声も出せないし、体を動かすことも出来ないんだと思い込むわけです。あるいは、声も発したり、身動きを取ると、事件のフラッシュバックが起こるのかもしれません。体に関するリハビリはあります。でも、問題は心の方で、恐怖心や苦痛を与えてまでリハビリをするべきなのか?ということなんです。無理に行っても、良い結果が生まれるとは思えませんし、何より彼の心を壊してしまうかもしれません...』 『それじゃあ......』 『ええ。全ては岩崎さん次第ということです。岩崎さんが恐怖心や苦痛と戦っても、声を出したい、体を動かしたいと思わないと...今のままだと思います。ただ...歩行や手の上げ下げ、指先を簡単に使うなどの、筋力を落とさないための軽いリハビリは必要ですから、それだけは最低限行いましょう。』 俺はあの時......ドクターの言葉に...目の前が真っ暗になったんだ...... 『よ』『う』『す』『け』 『あ』『り』『か』『と』 それはおもちゃのタブレットが発した、何かのキャラクターの様な音だった。 だけど... それは...冬真の心の声... 三年前で止まってしまって、もう聞けないのかなって、諦めなくてはならないのかなって思っていた心の声...... 諦めたくはなかった。 でも...俺のその気持ちが...冬真を苦しめ、傷つけるのだとしたら... 潔く諦めようと心に誓った心の声...... 「冬真......」 俺は立ちすくむ。 背後で扉が閉まる音が聞こえ、同時に真生ちゃんが奏でていた、ひらがな達も聞こえなくなった。冬真が震える左手を差し伸べ、俺の左手をとった。そして、震えながらも、俺の手を自身の頬に持っていき頬擦りをした。 俺は声も出せなくて...ただ涙が溢れるばかりで...震えも止まらなくて... すると、今度は震える右手を伸ばし、俺を抱きしめようとする素振りを見せた。 「抱きしめても...いいの?」 冬真は瞬きをした。 この三年...俺は冬真を抱きしめてはいない。抱きしめられる感覚が、冬真を追いつめるかもしれないと思ったから。事件後間もない頃、頻繁にあった冬真が悪夢に魘されている時でさえ、背中を擦る程度に留めた。 三年の月日を経て...俺は冬真を抱きしめた。 冬真が苦しくならないように... だけど... ギュッと...... 冬真の生活をサポートするために、横抱きにしたり、体の一部分には触れることがあって、分かってはいたが、こうして改めて腕の中に収めると、冬真の体は...本当に痩せ細ってしまった。 でも...温かい...... 冬真は...やっぱり...生きているんだ...... 俺と生きることを...選んでくれたのかな...... 冬真を腕の中から解放し、再び顔を見つめた。 「なぁ...冬真?また作ってやろうか?塩ラーメン...」 気のせいか...冬真の顔が明るくなった様な気がした。 多分...思い込みだなぁ... だけど... 冬真はゆっくりと...何度も瞬きを繰り返した。

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