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悩める葉祐 #1 side Y
「海野さん。」
「はい。」
「岩崎さんのリハビリの件なんですけど......」
ドクターの言葉に戦慄が走る。
もしや......
もう...やっても意味がないと言われてしまうのだろうか?
冬真がリハビリセンターに通うようになってから三年…匙を投げられてしまうのか?
せめて...せめて...冬真が楽しみにしているプールでの歩行訓練だけでも続けてはもらえないだろうか?それだけは何が何でも懇願して...勝ち取らなくては...
「先生!」
「はい。」
「お願いです!せめてプールでの訓練だけは続けさせて下さい!お願いします!」
「はぁ?」
「あいつ...プールでの歩行訓練、とても楽しみにしているんです!」
「あはははは。何か勘違いされているようですね。」
「えっ?」
「私はリハビリのレベルをもうワンランクアップさせて、種類をもう少し増やしたらいかがでしょうと提案しようとしたのですが...」
「えっ?」
冬真の心が大分落ち着いてきたせいか、最近、リハビリにとても意欲的で、ひょっとすると近々、自力歩行が出来るかもしれないとドクターは言った。そして更に言う。そのきっかけが小さな子供と過ごした日々なら、院内学級のイベントの参加やボランティアをさせてみないか...と。
今でさえ、リハビリの日は昼食も摂らず、泥のように眠り続ける冬真…大丈夫なんだろうか?
確かに、真生ちゃんとの数日が冬真を変えたと思う。しかし、子供とは言え、知らない人間がたくさんいるところに連れて行くなんて...怯えてパニックになったりしないだろうか?
う~ん......
『よ』『う』『す』『け』
「へっ?」
『た』『い』『し』『よ』『ふ』
葉祐、大丈夫?
昨日のドクターとの会話が頭をよぎり、ついつい考え込んでしまっていた。
「あっ...ごめん...どうした?」
『と』『つ』『て』『は』『ら』『の』
取って、バラの。
「あぁ。薔薇の図鑑?これ?」
冬真は瞬きをする。
薔薇の図鑑を取ってやると、冬真は震える指先を一生懸命駆使して、図鑑を開く。確かに最近、冬真の意識は外へ向かっているように感じる。今日もそうだ。冬真の意思で図書館までやって来た。
『ほ』『ん』『み』『た』『い』
『と』『し』『よ』『か』『ん』
本見たい、図書館。
さっき突然言い出した言葉。もちろん、真生ちゃんとお揃いのタブレットでだけど。それでも三年間、『本が見たい』なんて言ったことはなかった。移動も最近では、時間が掛かっても自分で這いつくばるし、タブレットも押せる数も徐々に増えて来た。
多少無理をさせても、自立を促した方が良いのだろうか?普通ならそうなのかもしれない...
だけど...冬真だぞ?事件前でもあんなに繊細だったんだ。三年掛けてここまで回復したんだぞ。ここで無理をさせて、心を壊してしまったら...どうにもならないじゃないか...
でも...
もし...俺に何かあったら?
もし...冬真を置いて逝かねばならなくなったら?
その時...冬真は独りで...どうやって生きていくのだろう...
『お』『わ』『り』『か』『り』『る』
終わり、借りる。
「あ...ごめん...本、決まった?じゃあ...貸し出しの手続きしようか?」
俺は冬真の車イスを押した。
俺に何かあったら...
冬真を残して逝かねばならなくなったら...
冬真はどうなってしまうのだろう...
自宅に戻っても、この考えが頭から離れず、まるで波間の様に寄せては返す。当たり前のことなのに、今まで考えてもみなかった。どんなに愛し合っていても、同時に人生を終えることはできない。必ずどちらかがどちらかを置いて逝かねばならない...
おやつに出したアイスクリームを、向かいの席で無邪気に食べる冬真。
カップアイス一つも食えない冬真。
いつも一つを半分ずつにする俺達。
どれだけの時間、考えていたのだろう......
気がつけば、アイスクリームはすっかり溶け、スプーンを持つ手に、上からそっと手が重ねられていた...
見上げれば冬真が隣に立ち、俺の手に自身の手を重ねていた。
「えっ?」
あまりのことに頭が働かない。
ちょっと待って!
冬真は確か、アイスクリームをダイニングテーブルの定位置、つまり、俺の正面の席で食べていてはずだ。決して長い距離ではないけれど、這うことをせず、テーブルをつたって歩いて来たというのか?
「もしかして......歩いて...ここまで来たの?」
瞬き一つ。
「えっ?えっ?えっ!スゲーよ!冬真!スゲーよ!」
テーブルを支えにしているものの、長時間立っていることはやはり難しく、すぐにふらついて倒れそうになった。
「あぶねっ!」
俺が咄嗟に抱きしめると、冬真はタブレットを表現するジェスチャーをした。
「タブレットが欲しいの?」
冬真は瞬きをする。
俺は冬真を椅子に座らせてから、タブレットを差し出した。
『ほ』『く』『く』『す』『く』『つ』『て』
僕、くすぐって。
「僕をくすぐって......どうして?」
『ほ』『く』『わ』『ら』『う』
『よ』『う』『す』『け』『う』『れ』『し』
『わ』『ら』『う』
僕笑う。葉祐嬉しい。笑う。
『け』『ん』『き』『な』『る』
元気になる。
バカだなぁ…くすぐろうとすると…いつも逃げるクセに。
心配してくれて...笑顔にさせようとしてくれて...ありがとう...
やっぱり...リハビリと院内学級の件...チャレンジさせてみよう。冬真は前に進んでる。驚くほどのスピードで...
多分...見守る時期に入ったんだ...
俺は冬真が外で頑張れる様に、安心できる場所を作ってやろう。元々、自分の気持ちを言えないヤツだけど、愚痴の一つでも言えるように...
そして何より...冬真より長生きしよう!一瞬たりとも..冬真を一人にしないために。
「あのね...冬真......」
俺はドクターからの提案を冬真に話した。
全てを聞き終えると、冬真は一つ、瞬きをした。
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