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Love letter #1 side Y
その手紙を読み終えた俺は、キッチンの奥にあるパントリーから赤ワインを持ち出した。開封し、グラス一杯分だけ注ぐと、栓をして冷蔵庫に入れる。
ワイングラスを手に、ダイニングテーブルに戻ると、再びその手紙と向き合った。しばらく手紙を見つめ、手紙に向かいグラスを持ち上げ、頭を垂れた後、ワインを口に含んだ。酒を飲むのは三年ぶりだった。久々に飲む酒は、まさに五臓六腑に染み渡る...そんな感じだった。
三年前、誰よりも何よりも大切な冬真が、悲しい事件に遭遇した。心身共に傷つき、自由も声も奪われた。入院中、昼夜問わず、フラッシュバックや悪夢に魘され、声なき絶叫を何度もしたという。冬真の意識が段々明瞭になって来ると、面会出来ない日が増えた。それは...冬真が俺の面会を拒否したから。自分は穢れた存在になってしまったと根強く思っていて、それは時間だけが解決することで、今は仕方がないのだと医師は言った。
為す術もなく、やるせない毎日に、俺は浴びるように酒を煽った。その頃は、まだ会社員だったけれど、まるで死人のような生活を送っていたと思う。冬真の退院が決まった時、誰が冬真を引き取るかで、病院と家族とで何度も話し合いが持たれた。もちろん、俺はすぐにでも冬真を受け入れようとした。以前と何ら変わりなく。しかし、それを医師は止めた。
『彼を追い詰めることになる。それでも良いのか?』
そんな......良いワケないだろ?
冬真は俺の宝物なんだから......
俺はまだまだ弱くて...だから...また...毎日、酒の力を借りた。しかし、冬真が退院した日を境に、俺は酒を辞めた。ふがいない自分と決別するために。
次に酒を飲む時は、絶対に祝杯にしようと心に決めた。
退院後、冬真は絹枝さんの家で暮らすことになった。それから俺は、仕事で遅くなる日を除き、ほぼ毎日、絹枝さんの家を訪問した。しかし、様子だけ聞き、持参した手土産を渡して、冬真には会わずに帰った。俺という存在が冬真を苦しめる...それが一番不本意だったから...
そんな生活が約二か月ほど続いた頃、冬真が突然、家に帰ると言い出した。
冬真が俺を受け入れてくれた!
本当に天にも昇るような気持ちだった。
だけど...今、考えると、毎日届く手土産を見て、冬真は俺を不憫に思ったのだろう。精一杯の勇気を振り絞って、俺の元に帰って来てくれたんだと思う。
それから、また一緒に暮らし始めて、俺は手探りで冬真との距離を縮めていった。冬真の自分に対する思考は根強く、なかなか覆せなかったけど、事あるごとに言い聞かせた。
『お前は穢れてなんていない』と...
あの頃は、毎日が必死で、冬真から手紙がもらえる日が来るなんて思ってもみなかった。今も、冬真の自分に対する思考は、完全には拭えていない。だけど、冬真は少しずつ顔を上げ、前を見るようになった。その証拠がこの手紙...
『葉祐へ』
そんな書き出しから、この手紙は始まる...
葉祐へ
君は僕の寂しく、つまらない人生に彩りを与えてくれました。
あの日、あの交差点で僕を見付けてくれて、本当にありがとう。
葉祐があの時、僕の手を掴んでくれた瞬間から、僕の世界には色彩が戻った様に思います。
君はいつでも僕の道標。
僕の光。
僕が奈落の底に落とされても、君は僕を照らし続け、その光で僕を導いてくれました。おかげで僕は、少しずつ立ち直ることが出来ました。
僕はいつも迷ってばかり。
君を想うあまり、僕は間違った答えを出してしまう。君を悩ませる。本当にごめんなさい。
僕との暮らしは、葉祐には辛いことの連続で、放り出したくなるかもしれません。ごめんなさい。
でも、僕は君とずっと一緒にいたいです。君といるだけで、僕はとても幸せです。
美味しい食事
温かいお風呂
清潔な服
優しい時間
安堵できる居場所
全部ありがとう。
大好き。葉祐。
とうま
伝えたいことが、山ほどあるのに伝えられない...そんなもどかしさが伝わる。最後に直筆で書かれた震えた文字の名前。
愛おしい...冬真のなにもかもが...
手紙をそっと抱きしめ、目を閉じて、大きく息を吸う。そして、チェストからレターセットを取り出し、返事を書き始めた。
書き終えた返事を手に寝室に行くと、冬真はもうすでに夢の中。相変わらずのあどけない寝顔で眠っていた。枕元に返事を置いてやり、起こさない様に、そっと頭を撫でた。
すると...何故だか一つの記憶が不意に浮かんだ。
あれは...事件に遭遇してしまう10日ほど前のこと。仕事から帰ると、冬真は晩飯の唐揚げを、ちょうど揚げ終えたところだった。冬真が作る鶏の唐揚げは、本当に美味しくて、俺の大好物だった。俺は我慢が出来ず、冬真の目を盗んではつまみ食いをした。
『うわっ!スゲー美味しい!やっぱり、冬真の唐揚げ最高!』
『あっ!つまみ食いしたな!』
『だってさぁ...冬真の唐揚げ、大好物なんだもん!唐揚げには、やっぱりビールだよね~』
冷蔵庫から缶ビールを取り出し、キッチンでグビグビ飲み始めた。唐揚げをもう一つ、つまみ食いしながら...
『もぉ!葉祐!』
『会社から帰って来て、冬真の美味しい唐揚げを目の前にしたら、絶対飲みたくなるでしょ!ビール。美味しい手料理に、美味しいビール!目の前には美人の恋人!はぁ...この上ない幸せだよね~これで美人からのキスがあったらコンプリートでしょ?』
俺がそう言うと、冬真は俺の顔の周りでくんくんと鼻を鳴らした。
『でも...葉祐...もうビールの香りがする…この香りで...俺が酔っ払っちゃったらどうするの?』
『その時は、ちゃんと介抱するさ。』
『本当?』
冬真はそう言って、俺にキスをした...
そして...俺から離れると、息を飲むほど...とても綺麗に微笑んだ...
「なぁ?冬真......今、キスしようとしたら...お前また鼻をくんくんさせて『葉祐、ワインの香りがする』って言うのかな......でも...ごめん...今日はちょっと...我慢できそうにないや...今日だけにするから...本当...ごめんね......」
そう呟いて、俺は冬真の唇にそっと一つ...キスを落とした......
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