143 / 258
初めての海 side Y
海水浴場の入口から波打ち際まで、冬真を横抱きにして歩いた。
シーズンオフの平日、人のいない海水浴場では、歩く度にザクッザクッと砂が大きく鳴いた。近くで見た海の雄大さと、想像よりも大きな音をたてる波に驚いたのか、冬真はブルッと小さく身震いをした。
「怖い?」
そう尋ねると、冬真は小さく首を横に振った。そのくせ、頬を俺の肩口に寄せる。映像や画像でしか見たことのない海。それに生まれて初めて触れようとするのだから仕方ないのに...
波打ち際で冬真を下ろした。冬真は不安気な瞳をこちらに向けていた。
「大丈夫。ずっと手を離さないから。」
直後、小さな波が一つ寄せて返す。冬真は足元をじっと見つめた。波は次々に寄せては返す。何回か繰り返した後、冬真は顔を上げ、苦笑いの様な表情を向けていた。
「どうした?」
冬真が見つめていた視線の先には、足元の泥が波によって、大分さらわれたような跡があった。
「もしかして...くすぐったいの?」
波に夢中の冬真は、瞬きを一つだけして、また足元に視線を戻した。
「少し歩いてみる?波に足元掬われるから、ちょっと歩きづらいと思うけど...」
今度はきちんと頷いた。
冬真は俺の腕に掴まり、一歩一歩、恐る恐る進む。途中、波に足を掬われてフラフラと倒れそうになると、掴んでいる腕をぎゅっと更に握る。掴んだその手すらも...本当に愛おしくて......
驚いたり…ちょっと困った様な表情をしたり...それでも、やっぱりどこか楽しそうな冬真を見て...心底思う...
今度こそ...絶対に幸せにしてやらなくちゃ......
この白くて細い手は...
俺だけが頼りで...
俺だけを信じているのだから...
冬真は突然、俺の腕から手を離し、足元へ手を伸ばしていた。
「どうした?」
視線を送れば、冬真の足元に小さい貝殻が流れ着いていた。今にも波にさらわれそうなそれを、俺は慌てて拾い上げ、海水で洗ってから、冬真の手に乗せた。真っ白で小さい、とても綺麗な貝だった。冬真はその貝を愛おしそうに触れた。
「持って帰る?冬真の初めての海記念で。」
とても嬉しそうに微笑んだ。
「さぁ、もう帰ろうか?」
冬真は分かりやすく『もう帰るの?』という顔をした。
「もぉ...そんな顔しないの。風邪引いちゃったら困るだろ?そんなに気に入ったのなら、また明日連れてきてあげるから。ほらっ!こんなに冷たくなってる!早く温泉に入って温めないと...また違う風呂に入ろうよ!今度はどんなテーマの風呂する?」
俺はそう言いながら、冬真の足を簡単に洗い、また横抱きにして宿まで戻る。
冬真は波の音に負けそうな小さな声で囁く様に言う。
「よぅ...す...ぇ......ぅみ...たのし...ね...」
葉祐...海...楽しいね...
そっか......海...楽しいかぁ......
本当は...泳げればもっと楽しいんだけどな...
でも......
俺達だけの...俺達なりの楽しみを見つけていけばいいんだよな...冬真......
「そうだな。また来ような!海のシーズンは山のシーズンでもあるから、カフェの都合、どうしてもシーズンオフになっちゃうけど...こうして足に浸かれるぐらいの気候の頃、毎年連れて来てやるからさ。」
「ぅん.....ぁ...り......と......し...ぁせ......」
うん......ありがとう...幸せ.........かぁ...
こちらこそだよ......冬真......
ともだちにシェアしよう!