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奇妙な客 #1 side Y
その人は三日前の閉店間際にふらりと現れた。
その人は男性で、仕立ての良い三つ揃いのスーツ姿によく磨かれた靴といういで立ちで現れた。別荘地という土地ではあまり見慣れないものだったから、最初は違和感を覚えた。しかし、別荘地購入のため、現地見学に来たどこぞの社長さんかもしれないと思った。その人が注文したのはブレンドのみで、コーヒーを淹れている間、腕を後ろ手に組んで、店内をキョロキョロと見て回った。狭い店内でする必要は全くない行為だとは思ったが、その人は途中、冬真の絵をじっと見たり、絵本を手に取ったりしたので、冬真の作品に興味があるのだと疑念を捨てた。
「今どき、随分時間を掛けて丁寧に淹れるんだね。マスター。」
その人が急に話し掛けてきた。
「ええ。せっかくいらしてくださったのですから、コーヒーを堪能して頂きたくて...さぁ...どうぞ。」
コーヒーを差し出すと、その人はコーヒーを口に含んだ。
「旨い!こんなに旨いコーヒーは久々だよ!」
そう言いながら、続けてコーヒーを口に運んだ。
「ありがとうございます。」
「いやぁ...こんな旨いコーヒーに出逢えるとは...あっ、そうそうマスター!このお店、随分珍しいテーブル配置だよね?効率や稼働率を考えたら、カウンターやボックス席の方が良いと思うけど…」
その人の言う通り、Evergreenにはカウンターやボックス席はなく、一人用のソファーが10席、ぐるりと円を描くよう一定の感覚で置かれ、ソファーの前には小さなテーブルが配置されていた。
「ここはゆっくりと時が流れますからね。それもコーヒーと共に堪能して頂きたいと考えた結果、この配置になりました。」
「利益度外視?」
「家族と二人、生活することに困らない程度あれば充分なんで...」
「欲がないんだね...マスター...奥さん怒らないの?」
「残念ながら、妻はいません。甲斐性なしですからね。」
「おっと、これは失礼。」
店の電話が鳴り、電話に出ることをその人に詫びた。その通話は親父からで、今から病院を出るとのことだった。店が始まってから、冬真の送迎は親父の担当になった。いつものように冬真に代わってもらう。
「冬真?大丈夫?疲れてないか?」
『う...ん。』
「気を付けてな。店出るとき、また連絡するから...」
電話の向こうの冬真は疲れているのか、少し元気がなかった。今日は後片付けを少し早く始めようと心に決める。
通話を切ると、もう一度、男性に謝った。
「すみません。お騒がせしまして...」
「いいや。ご家族?」
「ええ。まぁ...」
「学生さん?」
「まぁまぁ...私のことはこれぐらいにしましょう。お客様はどうしてこちらに?お仕事ですか?」
「私?まぁ、仕事ってほどじゃないんだけど...ちょっと...依頼があってね~偵察に来たんだ。」
「へぇ...それは大変ですね。東京からですか?」
「まぁね。で、何の視察だと思う?マスター...」
「さぁ......」
「この店とマスター...君だよ!」
言葉とは裏腹に、その人は穏やかに微笑んだ。
唖然とする俺に充分過ぎるほどのコーヒー代を渡し、
「また来るよ!」
という言葉を残し、店から出て行った。
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