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Sirena side Y

今更そんなこと...考えても仕方ないのに... そんなことを考える位なら... 今を考えてやれば良いだけなのに... 初めて海の世界を目の当たりにして...興奮を抑えられない冬真を見ていると... どうしても...その想いを払拭できずにいた… どうして俺は...もっと早く...冬真を見つけてやらなかったんだろう... そうしたら... 冬真の人生は... もっと違ったものになったはずなのに... 水族館に行く日が近付くにつれ、冬真はとても興奮して、なかなか寝つけないようだった。 「眠れない?」 「ぅん...た...のし...み...ドキ...ドキ...」 「そっか。気持ちは分かるけど、寝不足だと疲れちゃって、当日楽しめないよ。しばらく髪を梳いていてやるから、早く寝ちゃいな。」 「ぅん...」 髪を梳く...それは冬真に安心感をもたらす行為。 しばらく髪を梳いてやると、冬真は呆気なく眠りに落ちた。 「全く......遠足前の小学生じゃないんだから...」 そう呟いたところで、あることを考えた。 もしかしたら...遠足...行ったことがないんじゃ... 小学校はほとんど行けなかったと、岩代さんは冬真から聞いたという。その時期に体調が良くても、遠足となれば、大事をとって休んだに違いない。たかだか水族館、そう思っていたが、冬真にとっては、水族館へ出掛けるまでの一連の過程すらも、もっと深い、もっと別の意味があるのだ。昼食は水族館のレストランにでも入れば良いと思っていたが、弁当を作っていこうと決めた。そこまで辿り着けるかは分からないけど、おやつも少し持っていってやろう。 実際、冬真は弁当をとても喜び、こちらが危惧していたおやつのビスケットまでペロリと平らげた。こんな些細なことに喜ぶ冬真を見て、チクリと胸が痛んだ。 冬真は水族館をとても丁寧に鑑賞した。楽しみにしていたイルカのショーは、『どうしても』と珍しくおねだりをされ、結局2回も鑑賞した。巨大水槽の中を、大群でキラキラとせわしなく泳ぐ鰯。それに反して、同じ水槽で悠々と、かつユーモラスに泳ぐエイ。美しい青でライトアップされた幻想的な水槽の中で、同様に幻想的に舞う海月。ペンギンの散歩。これらが特に気に入ったようで、水槽や柵にへばり付き、食い入る様に眺めた。 また胸がチクリと痛んだ。 28歳にして初めて来た水族館。初めて何かに執着した素振りを見せたのが、イルカショーを2回観ること。こんなことすらも、今まで誰にも言えたことがないのか...誰ともしたことがないのか... ずっと…ずっと…独りだったんだ… 自宅に戻り、手洗いとうがいを済ませると、冬真はリビングに入り、自分のトートバッグの中から、お土産に買った2体の小さなイルカのフィギュアを取り出し、チェストの上に置かれた貝殻の隣に飾った。 俺は堪らなく切なくなって、冬真を後ろから抱きしめた。 「ごめん...ごめんな...」 謝る俺に冬真は驚き、体を正面にし、俺達は向かい合った。 「俺...どうしてお前をちゃんと探さなかったんだろう。もっと早く見つけてやってたら...お前の人生...変えてやれたかもしれないのに...俺...俺...」 そこまで話した俺を、冬真はぎゅっと抱きしめた。そして、俺から離れ、トートバッグを持って、ソファーを背もたれにして床に座った。その行動の意味が分からず、ぼんやりと立っていると、隣に座るようにという仕草をしてみせた。ワケが分からず、隣に座ると、冬真はトートバッグから、いつか使うときが来るかもしれないと買い与えた少し小さめのスケッチブックと鉛筆を出し、さらさらと何か書き出した。 「えっ?」 冬真が絵を描いたのは、事件後初めてのことで、ものの何分かで描いたのは、2体の見つめ合う人魚だった。右の人魚は、頭一つ分ほど上にいて、左にいる人魚の手を取り、微笑んでいた。左の少し下にいる人魚は、この上なく穏やかな表情で、幸せそうに右の人魚を見つめていた。人魚の顔をよく見ると、右の人魚は俺で、左の人魚は冬真だった。 「冬真...」 「じかん...ちがぅ...よぅすけ...そばいる...うぇしぃ...だかぁ...すぃぞくかん...たのしぃ...よぅすけ...いなぃ...ぼく...くぅしい...すぃぞくかん...つまぁない...ぼく...すぃぞくかん...いかない...」 時間は関係ない... 葉祐がそばにいることが嬉しい... だから、水族館も楽しいと思う... 葉祐がそばにいないことは苦しい... だから、水族館もつまらないし、行かないと思う... やっぱり... 見付けた時間の早さより... 見付けたってこと...自体が大切で... そばにいることが...とても重要だって... そう考えて...良いのかな... 「水族館...また行こうな。」 「ぅん。あ...よぅすけ...いぉえんぴつ...かして...」 「色鉛筆?」 「ぅん。」 チェストから色鉛筆を取り出し、冬真に渡してやると、冬真は赤色を取った。 「何するの?」 俺の問いに答えることもなく、冬真は赤色で2体の人魚の間に小さなハートを描いた。 「冬真...」 美しいアンバーの瞳がこちらを見ていた。冬真は少しだけ顎を上げ、その美しい瞳をゆっくりと閉じた。俺はその細い体をゆっくりと押し倒し、テーブルにあったリモコンでリビングの照明を消した。

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