166 / 258

おねだりの行方 #1 side Y

「あ......あ......」 冬真は何か言おうとしていた。でも...言葉にならなくて...結局その言葉を飲み込んだ。 それで...それでも...いいんだ... 何か言おうとしたってことは... 何かを伝えようとしたってことだから... 再会した頃の冬真なら... それすらも諦めてしまって... 何も言わなかっただろうから... 背中を擦ってやると、冬真は驚いた表情をこちらに向けた。 「ちょっと...そこのソファーに座ろうか?」 冬真を近くのソファーに座るように促し、二人並んで座る。 「上手く言葉に出来なくても良いんだよ。考えていることや思い浮かんだこと、単語でも良いから言ってごらん。ゆっくりで良いからね。」 しばらく沈黙が続いた後、冬真は小さく、囁くような声で言った。 「あ......ぅりえ...うれし...み...た...でん...しゃ...」 「うん。」 「こ...ども...おとな...いな...い...わらう...み...たい...はし...る...」 「塗り絵も嬉しいんだけど、それより欲しいものがあるんだね?電車?おもちゃの電車が欲しいのか?でも、何か違うみたいだよなぁ...」 冬真はすっかり俯き、それ以上、何も言わなかった。 「冬真?」 「......」 「諦めないで!ドンドン俺に教えて!」 「......」 「俺は知りたいの。冬真のこと何でも。冬真の調子が良くても悪くても、それは変わらなくてさ。俺はいつでも冬真の声を聞いてるよ。でも、今はちょっと特別で...探偵の気分も味わってるの。冬真の言葉を繋ぎ合わせて、冬真は何が言いたいのかなって考える。これが当たるとさ、結構嬉しいんだぜ。『あーやっぱり俺と冬真だな~愛がなせる業!』って思っちゃう!でもさ、冬真が諦めちゃったら...そこで全てがおしまい。冬真が何がしたかったのも、何が言いたかったのかも分からないまま。分かりかけていた冬真の言葉達も、そのままそこに置き去りになっちゃうんだ。つまんないよ...そんなの...そう思わない?それにさ、名探偵の誕生の瞬間、逃しちゃうんだよ?冬真も見たいだろ?世紀の名探偵!葉祐!」 俺の言葉に冬真は一瞬、呆気に取られた顔をした。それからすぐ、声は出てなかったけど、小さく笑い出した。 「あれ?何か変なこと言ったかぁ?でも...まぁいいや!冬真が笑ってくれれば...」 冬真は小さく深呼吸をして、ゆっくりと言葉を発していく。 「でん...しゃ...みる...」 「電車がキーワードなんだろうけど...でも...『乗る』じゃなくて『見る』なんだよなぁ...電車が見られる場所ってことかな...この近くで電車が見られる場所なんてないし......」 「こ...ひー...」 「おっ!新しいワードだ!コーヒーかぁ...電車が見える場所で...コーヒーが関係した場所......う~ん......あれ......あっ!!もしかして...3階にあるカフェのこと?」 冬真は頷いた。 「あのカフェに行きたいの?」 再び頷いた。 「こど...も...おとな...ない...わらう...」 「あー!子供ばかりで大人がいないって言いたいのか!だから...大人だけだと笑われると思ってるんだね?確かにあのカフェは、家族連れが多いからね。でも、時間帯も関係するだろうし、大人ばかりの時間帯もあるんじゃない?電車が趣味の人、結構多いしさ。大人だけで行っても笑われるってことはないと思うよ!大丈夫!行ってみよう!」 冬真に手を差し出し、立ち上がらせると、俺達は3階に向かった。 冬真が行きたがった場所は、複数のミニチュアの電車が巨大なジオラマの中を颯爽と走行し、その周囲にボックス席が施されたカフェでだった。冬真が何故、この場所に興味を示したのかは、正直なところ分からなかった。普段の生活の中で、鉄道に興味を示す雰囲気など全くなかったから。頼んだオレンジジュースもそっちのけで、冬真はジオラマを保護している巨大なアクリルケースにへばりついて、ジオラマと電車を食い入るように見ていた。他の席をチラリと覗けば、子供が何人か、冬真のようにへばりついてジオラマと電車を見ていた。ふと、以前二人で行った水族館でのことを思い出した。あの時も、水槽にへばりつくように魚を見ていた。どうやら興味があるものに関しては、周りのことなど全く意に介さず、その世界に集中してしまうらしい。まるで子供だ。 突然、俺が毎日見舞いに行っていた10歳の頃の冬真の姿と、目の前の冬真の姿が重なった。 いつも青白い顔をして... 『死』ばかりを見つめて... 俺が見舞いに来ることだけが唯一の楽しみで... あの頃も...調子が良くて起き上がれる時は、こんな風に窓にへばりついて外を見ていたっけ... 何だか切なくなって...涙が出そうになった。そして、追い打ちをかけるように、冬真は心に突き刺さる言葉を俺に投げ掛けた。 「よぅ…ぇ...ほん…もの...たのし?」 「えっ?」 「ほんも...の...けしき...きぇい?」 綺麗な瞳を向けながら、そう尋ねた。冬真にしてみれば、至って単純な質問だ。でも... そっか......分かったよ。お前がここに来たかった理由が… 疑似体験...... 冬真...お前は... 電車に乗ったことが...ないんだね...... 厳密に言えば、乗車したことはあるのだろう。でも、物心ついてからは、数回乗車した記憶があるだけ。それも、上京の際に利用する新幹線ばかり…体のことを考えれば、遠出が許されない冬真の移動手段は、ほぼ車だったに違いない。唯一、乗車したことがある新幹線でも、一緒に同乗した人は冬真の体を気遣って、車内では休むように言ったはずだ。現に俺もそうだった。ただ新幹線に乗車する...それだけでも体力的にも精神的にも一苦労な冬真は、その言葉に従って、車内ではほとんど眠りに就いたはす。だから、車窓からの景色なんて、見たことがないんだ。だから、ジオラマを走る電車を見て、本物は楽しいのか、車窓からの景色は美しいのか聞いたんだ。かつて...二人での生活を始める直前、転勤前の残務整理に追われ、会えないばかりか、連絡すらも取れない状況が続いた時、冬真は寂しさのあまり、上りの新幹線に衝動的に乗ったことがある。あの時、自分でもこんなことが出来るんだとワクワクしたと教えてくれた。あの時のワクワクは...車窓からの景色も含まれていたのだろうか。すっかり夜の帳が降りてしまった真っ暗な景色。その上、高速で通り過ぎる、堪能するには向かない新幹線からの景色。それでも嬉しいと思ったのだろうか... 冬真...ごめんな... 俺のミス... 早く気が付いてやれば良かった... 「なぁ?冬真?」 「......」 「暖かくなったら...電車乗りに行こうか?」 「え......」 「近場で、車窓からたくさん花とか見れられる路線探して、乗車して、車内で駅弁なんか食べたりしてさ...ちょっとした旅行に行ってみようか?」 「あ....い…の?」 「うん。それまでは、ここに来よう。さっき店員さんに聞いたんだけど、座る席によって、見えるジオラマが違うんだって。ちょっと気になるだろ?」 冬真は小さく頷いた。そして...とても嬉しそうに微笑んだ。 「ここを出たら、本屋さんに寄って、塗り絵と電車の図鑑買おうか?冬真、図鑑大好きだもんな。」 「あり...と...で...しゃ...た…のし...」 ありがとう...電車楽しみ......かぁ...

ともだちにシェアしよう!