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本心 #3 side Y

待ち合わせの時間より少し早めにロビーに降りると、こちらに向かって歩く、広行氏ともう一人の男性を見つけた。状況から見て、隣の男性は正文氏で間違いないだろう。そう思わせる根拠がもう一つ...その男性は冬真の母、弥生さんによく似ていた。 こちらに気が付いた広行氏は、笑顔で手を振り、歩みを早めた。 「待たせてしまったかい?」 俺達の前まで来ると、開口一番そう言った。 「いいえ。今来たばかりです。」 「そう。良かった!」 そして続けて、 「冬真!元気だったか?」 広行氏は冬真にハグをした。愛情いっぱいに表現する広行氏に、冬真は戸惑いながらも、はにかみながらその腕の中に静かに収まっていた。 「あっ、そうそう。海野君、紹介するよ。こちらが兄の正文です。兄さん、こちらが海野葉祐君。冬真がずっと世話になっているんだ。二人は小学生時代からの友人なんだ。」 広行氏が正文氏と俺を互いに紹介した。 「はじめまして。海野葉祐です。冬真君の自宅の別荘地の入り口で、カフェの経営をしています。よろしくお願い致します。」 「岩崎正文です。この度は遠いところから済まないね。さっ、行こうか。」 それだけ言うと、正文はスタスタと歩き出してしまった。『やれやれ』そんな表情をし、広行氏は後をついていく。違和感を覚えた.。久々に再会した甥に何の言葉を掛けない。そればかりか、未だに体を自由に動かすことが難しい甥を気遣うこともせず、一瞥もせず、ダイニング目指して歩く。 冬真の体のこと...知らないのだろうか... いや...広行氏から報告は受けているはずだ。知らないはずはない。正文氏とは対称的に、何度も振り返る広行氏に 「先に行ってください。すぐに追い付きますから...」 と言った。 広行氏は『申し訳ない』とばかりに両手を合わせ、兄の後を追うように行ってしまう。 冬真も冬真で、『ゆっくりで良いよ』何度となくそう言っているのに、歩みを早めようとする。しかし、体が気持ちに追い付かず、何度も転びそうになる。そんな様子をコンシェルジュが見ていたのか、『車イスを持参しましょうか?』と声を掛けられた。それに対し冬真は、首を横に振り、丁寧にお辞儀をし、それを辞した。 何とかダイニングにたどり着き、着席した頃には、冬真は軽く汗をかいていた。持参した小さなトートバッグからタオルを出して拭いてやる。 「よく頑張ったな!でも、危ないから慌てちゃダメだよ?分かった?」 「う...ん...」 ロビーに降りてから、やっと冬真は口を開いた。 食事会は順調に進んだ。会話も広行氏が中心となって、それなりに弾んでいた。広行氏は酒を勧めてくれたが、冬真を風呂に入れなければならないからと、丁重に断った。広行氏が依頼してくれたのか、料理は冬真の分だけ食べやすいように施されていた。食事の際にいつも使用している、大人用の躾箸を駆使すれば、一人でも充分食することが出来た。しかし、椀物だけは食べさせることにした。椀物は高温な上に滑りやすい。一人で食べさせるには危険が多い。また、他人が食べさせるにも、椀物は危険が多い。金属製のスプーンだと、口に含ませた時、やけどする可能性があるのだ。だからいつもは、先がシリコンで出来たものを使用する。それを使って食べさせようとした時、冬真はそれを拒んだ。 「どうして?お腹いっぱい?」 「ひ...と...り...」 「気持ちは分かるけど...いつものスープカップとは違うんだ。滑りやすいし、やけどしたら大変だから。」 「で...も...」 冬真はそう言って、俯いた。 どうしたのだろう... 今日はやたら何でも自分でやりたがる。 何かあったっけ? 今日一日を順を追って考えていた時、前方から思いもよらない言葉が発せられた。 「自分一人じゃ何にも出来ないんだな。」 正文氏が言った。 「えっ?」 耳を疑った。きっと...聞き間違いだ... そう思った。 でも...そうではなかった。正文氏は続けて言う。 「岩崎家の人間が...情けない!」

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