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怒り #1 side Y

「岩崎家の人間が情けない!」 正文氏は冬真にそう言い放ち、更に続けて言い放つ。 「一人じゃ何も出来やしない。働くこともままならない。結局、一人では生活そのものが成り立たない。いつも誰かの世話にならないと生きていけない。そんなの情けないじゃないか。」 「待ってください。冬真には持病があるんです。無理をして、取り返しのつかないことにでもなったら、どうするおつもりなんですか?誰かがそばにいてやらなければならない存在なんですよ?」 「厳密に言えば、冬真は岩崎の人間ではないからな。私には関係ないことだ。」 「えっ?」 「兄さん!」 俺と広行氏、二人同時に声を上げた。沸々と怒りが混み上がって来た。 落ち着け...冷静に... この人は冬真の数少ない肉親なんだから... 「お言葉ですが、あなたがおっしゃること、理解に苦しみます。冬真はあなたの甥でしょう?何故そんなことをおっしゃるんですか?」 「冬真は里中光彦の息子。それ以上でも、それ以下でもない。」 「そんな...」 「私は事実を言っているだけだ。どちらにしても、どこから見ても、厄介な立場には変わりない。現に食事も一人じゃままならないじゃないか?」 「ちょっと待ってください。冬真だって...好きでこんな風になったワケじゃありません。色んなものと戦って...血の滲むような努力をして...やっとここまで出来るようになったんです。褒められることはあっても、中傷される謂れはありません。」 「事件のことか?冬真に隙があったんだろう。冬真の隙が招いたことだ。全く...岩崎の家にどれだけ迷惑を掛ければ気が済むんだ?」 「兄さん!もういいだろう?もう止めてくれ!」 広行氏が叫んだ。ダイニングの個室に、その用途とは裏腹に戦慄が走った。 堪忍袋の緒が切れる... 聞こえるはずのないその音が... 体のどこかで聞こえたような気がした… 赦せない...... 無意識に...右手で拳を作っていた。 赦せない...赦せない... どうして...冬真を傷つける... 赦せない...赦せない... 立ち上がろうとした時、不意に右手に冷たさを感じた。右手に視線を落とすと、冬真が両手で俺の右手を握っていた。真っ直ぐなアンバーの瞳で俺を見つめ、首を横に振った。 危ない...冬真を更に傷つけるところだった... 冷静さを取り戻すように、俺は深呼吸を一つした。 「冬真はいつでも...心身共にギリギリの所で生きて来ました。一歩間違えれば、死を選択していたかもしれません。それを選択しなかったのは光彦さんの無念と弥生さんの悲しみ...そして...短いながらも二人からもらった深い愛情をどこかで覚えていたからだと思います。だから...どんなことがあっても、自身を奮い立たせ、立ち上がって来ました。でも...そうする度に冬真は自分を失っていき、儚げになっていきます。偶然再会した時、冬真は子供の時よりも更に儚げでした。心臓の手術が成功し、楽しい人生を送っていると疑わなかった私にとって、その姿は驚愕なものでした。だから...これからは出来る限り守ってやろう...そう思いました。私のような若造に何が出来るとお思いになるでしょう。実際、冬真の一番の窮地の時...守ってやることが出来ませんでした...これ以上、冬真を傷つけたくありません。不安や悲しみから遠ざけてやりたいんです。だから私は...冬真を傷つけるものを赦しません...それがたとえ、自分自身でもです。あなたは冬真の伯父で、尊敬する広行さんのお兄さまでもありますが、冬真を侮辱し、不必要に傷つけるあなたを、私は赦すことが出来ません。このままこの場にいたら...あなたを殴ってしまうと思います。それはきっと、冬真の意に反することです。だから...失礼を承知で、私と冬真は退席させて頂きます。あなたが今のまま、変わることなく冬真と接するのであれば、恐らくお会いすることはないと思います。今まで冬真を面倒を見てくださってありがとうございました。どうかお元気で。せっかくこのような席を設けてくださったのに、台無しにしてしまい、広行さんには本当に申し訳なく思います。広行さん...本当にすみません。お時間がありましたら、いつでも森に遊びに来てください。スパークリングワインとジェノベーゼのもてなしぐらいしか出来ませんけど...待っています。」 「海野君...」 「冬真は最近、パン作りを習い始めました。冬真が作ったパンをたまにサービスで店に出しますが、とても好評なんです。販売はないのかと問い合わせが来るほどです。是非一度、食べに来てください。本当に美味しいですよ。」 「そっか...頑張ってるんだな。近いうちに時間を作って、必ず食べに行くよ。」 広行氏は目を細め、慈しむようにそう言った。 「冬真?俺の声が聞こえる?」 未だに長い会話が苦手で、途中からそれが音にしか聞こえない冬真。心配して尋ねると、大丈夫とばかりに冬真は頷いた。 「冬真...ごめんな...久々の再会だったのに...退席しちゃうけどいいかな?」 冬真は頷いた。冬真を立たせると、冬真は正面に向かい、二人に丁寧なお辞儀をした。俺も続けて頭を下げた。出口に向かう途中で俺は言う。 「冬真...ゆっくりでいいよ。転んだら大変だから...」 「ぅ...ん...」 冬真は小さく返事をした。

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