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伯父と甥 #3 side M (Masafumi Iwasaki )

『正文お兄さま。いつも弥生のそばにいてくれて、ありがとう.。正文お兄さま大好きよ...』 瞳を閉じれば...いつでも聞こえてくる妹の声。 弥生...お前は幸せだったのか? 後悔したことはないのか? 「なぁ?兄さん?もう...弥生を許してやれよ...」 「......」 「仕方がなかったんだよ。弥生は普段からは、想像出来ないぐらい情熱的なところがあった。里中君との仲を無理に引き裂こうとしたら、どうなるかなんて想像出来なかったワケじゃない。まだ子供だからと高を括っていた父さんや兄さんにも非があったのも確かだよ。現に母さんは危惧していた。『里中君はとても良い青年だし、結婚は別にして、お付き合いだけでも認めてあげれば良いのに。弥生が思い詰めないか心配だ』って。」 「しかし...」 「父さんや兄さんを非難する気はないよ。あの若さだったし、結婚を反対するのは当たり前だよ。だけど...交際そのものを否定すべきではなかったんだと思う。でも...もう全部過去の話だ。もうこだわるべきじゃない。ましてや、息子の冬真に弥生のしたことを背負わせるなんてナンセンスだよ。冬真は父親の記憶は全くなくて、母親の記憶も一つだけを鮮烈に覚えているだけで、あとはほとんどないそうだよ。わかるだろう?鮮烈な記憶が何か。母親の唯一の記憶が、手にかけられそうになったことなんだよ。切ないよな…可哀想だろう?生まれる前のほとんど記憶にない両親のことで、謂れのない罵声を浴びるの。それでも冬真は、兄さんに会う度にそれを黙って聞いてるんだよ。分かる?何故黙っているのか?」 「それは......」 「冬真は兄さんに対して、罪滅ぼしをしているつもりなんだよ。」 「罪滅ぼし?」 「そうさ。両親のしたことで、誰かを悲しませたのなら、もう謝罪することが出来ない両親に代わって、自分が罪滅ぼしをしようと考えているんだ。兄さんが自分を罵ることで、少しでも悲しみが癒えるのなら、甘んじてその罵声を受けようとしているんだよ。」 「そうなの...か...?」 「兄さんだって、言いたくて言ってるワケじゃない。冬真もそれを分かってる。父親にそっくりな自分を見ると、きっと悲しみと寂しさが込み上げてしまうんだと思う。だから、悲しみが癒えるまで、俺に兄さんのそばにいてやって欲しいって。兄さんの悲しみが癒えた時、是非、自分を訪ねて来て欲しいってさ。葉祐がそばにいるから...僕は大丈夫だって...」 「……」 「うん。なぁ?兄さんはアキラ・ヤマウチ知ってるだろ?」 「フォトグラファーの?」 「そう。彼が学生時代に撮った写真が、冬真の家にたくさんあってね。縁あって里中君の知り合いらしいんだけど、その写真のほとんどが里中君と弥生と冬真の日常なんだ。とても良い写真でね。愛に溢れた写真ばかりなんだ。それらを見ると、二人が本当に仲睦まじく幸せに、そして、冬真をいかに深く愛していたかが分かるよ。それだけでも見に行かないか?あの写真を見れば、兄さんも弥生が起こした行動も、里中君を失って、堪えきれず心を壊してしまったことも、必然だったんだと思えるよ。まだ冬真を正面から見られないなら、冬真のいない時間を見計らって、海野君を訪ねてみようよ。」 「行っても...良いのだろうか?」 「ああ。海野君は大丈夫!本当に思慮深い、誠実な青年なんだ。とにかく冬真のことを一番に考えてくれる。海野君だって、兄さんと冬真の関係がこのままで良いとも考えていないと思う。今度、休みを合わせて訪ねてみよう。」 「変われる...だろうか?」 「冬真は不遇の時代を長く過ごした。可哀想なことをしたと思うのなら、これから取り返せばいい...海野君がそう言ったんだ。本当にそうだよな...俺達は冬真に金銭面だけでしかフォローをしなかった。確かに体が丈夫でない冬真にとって、とても大切なことだと思う。でも、それだけで俺達は冬真と接する時間を持たなかった。冬真の所有している不動産を運用して、利益を生み、ただそれを口座に振り込むだけ。会わなくなってからかなり時間も経過していたし、正直、どう接したら良いのかも分からなかった。でも、この前行ってみて思ったんだ。ただ、一緒にチェスや将棋をする、一緒に本屋に行って、子供向けの図鑑を買ってやる...たったこれだけのことを、冬真は本当に喜んだんだ。冬真はまもなく30になる。普通なら30の男が喜ぶようなことじゃないだろ?でも...嬉しそうに微笑んだ。冬真にとって大切なのは、こういう時間やふれあいだったんじゃないかって。親とのふれあいは全くないし、絹枝さんはそばにいたけど、叔母として接することを父さんから禁じられていたし、解禁されないまま父さんは他界し、冬真は成人してしまった。俺達以上に、遠慮やしこりがあっても仕方あるまい。冬真はさ...ずっと一人ぼっちだったんだよ。親の愛情も知らない子を、俺達は子供の頃からずっと一人ぼっちにしてしまったんだ。可哀想に。これはもう岩崎家の罪で、罪滅ぼしをしなくてはならないのは俺達なんだと思う。だから...俺はこれから、冬真との時間を積極的に作ろうと思ってる。三日以上の休みが出来たら、冬真と海野君を訪ねるつもりなんだ。兄さんにそれをしろとは言わない。でも、兄さんなりの冬真とのふれあいの時間を見つけて欲しいと思う。まずは...弥生を理解し、許してやるべきなんじゃないかな。」 「分かった。努力してみる。約束するよ。」 「何でも協力するから、遠慮なく言ってくれよ。まずは海野君に連絡してみるよ。」 広行は子供のように喜び、そして、酒を注いでくれた。お猪口の中で揺れる酒の合間から、突然、弥生の笑顔が見えた。 気のせいか...そう思っていると、 『正文お兄さま...冬真をよろしくね...』 耳元でそう呟く、弥生の声が聞こえた。 そんな自分を嘲笑しつつも、その声で、気がすうっと楽になるような感じがした。

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