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願望 side Shun
約束の時間の少し前に現れた、車イスに乗る男性に目を奪われた。
美しいから?
いや、違う。
じゃあ...何故?
その人は一礼すると、店内を見渡した。その横顔を見て気が付いた。
岩崎冬真
新作が発表されるのを心待ちにしている数少ない画家だった。しかし、ここ3~4年、新作が発表されることはなく、気掛かりで仕方なかった存在。
車イスに乗っていることに疑問を感じたが、憧れの人を前に珍しく心が上ずり、握手を求めた。しかし、彼はあからさまに戸惑い、俯いた。そして、辿々しい口調で語り始めた。
4年前に事故に遭遇して、手の震えがあるのだと...
初めて聞いた自信なさげな小さい声は、彼の儚さを助長させるには充分過ぎた。
他人に本来の自分を見せることも、本音を語ることもしたことがない。いや...他人どころか、生まれてこの方、家族にも素の自分を見せたことがない。だけど、この時は素の自分が語っていた。
『手の震えがあっても、あなたであることは変わりない。』と。
俺の言葉に彼は小さい笑顔を見せた。それはとてもチャーミングで、きゅんと胸が締め付けられる様だった。事故と車イスの関係は分かった。しかし、チラチラと見える火傷の様な赤いアザは何なのだろう?
香さんが合流して話の筋が見えてきた。彼にはカフェを経営している同性のパートナーがいて、時折、パートナーが経営するカフェの手伝いをする彼は、意に反して、客の興味の対象となってしまう。しかし、彼にそれをかわせるだけの手法がなく、結果、そのことが独占欲の強いパートナーを狂わせ、立てなくなるほど抱き潰されてしまったのだと。少し気怠そうなのはそのせいか…
こんなに美しい人だ。客の興味を引くことは誰が考えても分かる。こんなにも必死に庇ってくれているのに、パートナーは何故、この人に救いの手を差し述べないのだろう。
守ってあげたい
俺の手で...俺の元で...
苦しみから解放してやりたい
その笑顔を守りたい
心の底からそう思った。
他人とは一線を画して生きてきた。それで良いと思っていた。それなのに何故、この人にはそう思わないのだろう。むしろ...
そばにいて...
一時で良い...俺のそばを離れないで...
そんなことを必死に考えていて、初めての感覚に戸惑うばかりだった。
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