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優しい時間 side Shun

翌日から彼には店に来てもらい、実際に働きながら客のかわし方を教えた。案の定、彼がいるだけで店内はざわつき、色めき立った。素直な彼は俺の教えをきちんと守り、自分に興味を持った客を上手くかわしていく。自信がついたのか、徐々に笑顔が増えていった。彼がうちで働いてる間は、カフェの営業を午前中だけにし、迎えが来るまでの時間、リングの製作に時間を費やした。工房に招き入れると、興味深気にキョロキョロと室内を見渡した後、テーブルの上に無造作に置かれたデザイン画に視線を移した。その瞳は真剣そのもので、彼の中に創作意欲を見つけた。 「私がリングを製作している間、冬真さんは絵を描いてはいかがですか?」 俺の提案に、冬真さんは悲し気に首を横に振る。 「どうして?疲れましたか?」 「てが...」 そう言って、自身の手をじっと見つめていた。 「冬真さん?顔を上げて?」 不安気な表情とぶつかる。 「手に触れますよ。良いですか?」 彼は頷き、俺は彼の手を握る。 「震えていたって良いじゃないですか?その手だからこそ生まれる奇跡の作品もあると思いますよ。」 「このて...だから...?」 「ええ。でも、描かないことには何も生まれません。このスケッチブックと鉛筆を差し上げます。何でもいいです。さぁ、描いてみましょう。」 彼の前に真新しいスケッチブックと鉛筆を差し出した。最初こそ、おずおずと描いていたものの、徐々に描くペースは早くなり、手の震えなど全く感じさせないほどだった。 同じような行程で何日か過ごし、お茶の時間に彼が描いた物をチェックした。彼にしてみれば、さらさらと描いた落書きのような絵でも、繊細で美しいものばかりだった。やはり、手の震えなど微塵も感じられないほどに。最後のページには、作業をしている俺の横顔が描かれていた。 「私がモデルですか?」 「はい...」 「恥ずかしいです。でも…この絵、好きだな。記念に頂いてもよろしいですか?」 「きちんと...かいてない...はずかし...」 「いいえ。素敵ですよ。さすが岩崎先生です。」 「せんせい...いやです...いじわる...いうひと...あげない...」 冬真さんは頬を朱に染めた。 「分かりました。ごめんなさい。」 少し大袈裟に謝ると、 「ゆるします...え...あげます...」 と嬉しそうに微笑んだ。 その後、冬真さんが描いたスケッチについて、二人で語り合った。冬真さんは終始穏やかに笑っていた。優しい時間だった。この時間がずっとずっと続くと良い...そう願っていた。しかし、その時間は呆気なく消え去った。 外からガラスが派手に割れる音がした。窓から外を見てみると、どうやら配達中の酒屋が品物を割ってしまったようだった。大したことでは無いと確認し、冬真さんの元に戻ると、それまでの表情から一変、冬真さんは顔面を蒼白にし、小刻みに震えていた。 「冬真さん?」 俺の声に引き寄せられるように、冬真さんは俺の胸に顔を埋め、一言小さな声で呟いた。 「ようすけ......」 「冬真さん?大丈夫ですか?」 俺の声に我に返ったのか、俺の顔を見上げると、すぐさま離れ、その場にしゃがみ込んだ。 「ごめんな...さい...ごめん...なさい...」 何度も何度も小さい声で謝り続け、体の震えはもっと激しくなっていた。その様子にいても立ってもおられず、彼を自分の胸に引き寄せ、抱きしめた。 「大丈夫。大丈夫です。あなたが落ち着くまで、パートナーの代わりに私がこうしていますから...気にしないで私に体を委ねてください。」 その言葉に応えるように、冬真さんは俺のシャツを震える手でぎゅっと掴んだ。冬真さんは俺の腕の中でずっと震え、ずっと泣いていた。『ごめんなさい』を何度も何度も繰り返しながら... 彼が落ち着きを取り戻したのは、泣き疲れたのか、俺の腕の中で眠ってしまった時だった。彼を抱き上げ、ベッドに寝かせた。頭を撫で、顔を覗くと、先程のことが嘘のように思えるほど、あどけない可愛い寝顔だった。何に怯えたのかは分からないけど、この人も複雑な人生を歩んで来たのかもしれない。 大丈夫... 君の恐怖を俺に渡してしまえば良い 君の笑顔が見られるのなら 俺は喜んでそれを受け取るよ 祈りに近いその想いを胸に、眠る彼の唇にそっとキスをひとつ落とした。

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