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さまよう心 #4 side Y

N駅のコンコースにある立ち蕎麦屋のお景さんの言葉から、冬真に劇的な変化をもたらせたきっかけを思い出した。それは、山内氏に招待して頂いた温泉旅館で過ごした日々だった。 N駅前の駐車場から、山内氏のお姉さんに当たる旅館の女将、藤岡礼子氏に連絡を入れた。これから訪ねること、2〜3日滞在すること、それから、冬真の現状を話した。 『待ってる。気を付けていらっしゃい。』 と、女将さんは快諾してくれた。 旅館に到着すると、女将さんは車イス持参で出迎えてくれた。 「女将さん。ご無沙汰していたのにも関わらず、今回は無理なお願いを受け入れてくださって、本当にありがとうございます。」 「まずは、温泉に浸かって、長旅の疲れを流していらっしゃい。それからご飯!詳しい話はその後!」 彼女はニッコリ微笑み、今度は冬真に話し掛けた。 「冬真君、いらっしゃい。明日ね、板長さんが面白い所に連れて行ってくれるんだって。ここからだとちょっと距離もあるし、きっと疲れるだろうから、明日のためにご飯、たくさん食べて力をつけないとね!」 「面白い所って?」 俺が尋ねると、 「うふふ。明日になってからのお楽しみ!さっ。行きましょう!」 女将さんは子供の様に微笑んだ。 湯けむりの向こう側に広がる大海原を目の前に、二人で久々に露天風呂に浸かる。ここには、テーマ別の家族露天風呂が5つあって、使用中の風呂はその客だけの貸し切りになる。だから、体の傷痕にコンプレックスを感じている冬真でも、心から温泉を堪能することが出来た。 「ふう~っ!やっぱり温泉は良いなぁ…なっ?冬真。」 もちろん返事はない。 しかし、冬真は今までとは違う反応を見せた。普段、身の回りにはない波の音や潮の香りを感じ取ったのか、居場所を確認するかのように瞳を左右に動かし、また波の音に関しては、その音を堪能するかの様に、時折、瞳を閉じていた。たったそれだけのこと。だけど、それは冬真の意識が外へと向かい始めた証拠。 冬真に分かって欲しかった。外の世界には...冬真の好きなもの、愛する物がこんなにも溢れているということを... 「冬真...」 冬真を後ろから抱きしめた。案の定、冬真は体を強張らせ、編みぐるみを掴むときと同じ様に、俺の腕をぎゅっと掴んだ。 「痛っ!」 冬真には俺の声が届かないのか、その手を緩めることはなかった。俺も腕を引くことはしなかった。その手が離された時、冬真は俺から離れ、正面に向き直り、今まで掴んでいた俺の腕をじっと見ていた。冬真に掴まれていた腕は、赤く腫れ、爪が食い込んだのか、所々小さく出血していた。 冬真はしばらく俺の腕を見つめ...そして...涙を一筋流した。 目の前にまた別の光景が広がった。あれはいつのことだったか...確か、冬真と繋がって間もない頃だ。冬真と体を重ねた翌日、俺の背中を見て冬真が言ったんだ... 『葉祐どうしたの?その傷...』 『えっ?』 鏡越しに背中を見ると、そこにはいくつかの真新しい小さい傷があった。傷の状況から、それらがどうして付けられたのか悟った。その傷は体を重ねた際、慣れない冬真が俺に応えようとして、無意識につけてしまった傷... 『ああ。これ?別に大丈夫だよ。』 『でも...昨日...お風呂入った時はなかったよ...小さいけど...痛そう...どうして?』 俺は観念して事の詳細を話す。全てを理解した冬真は一筋涙を流した。 『おいおい泣くなよ~ホント大丈夫だって。』 『僕...葉祐を傷つけた...』 『オーバーだなぁ。俺はこれを、そんな風には思ってないよ。』 『でも...』 『冬真…これは傷だけど傷じゃない。これはさ、冬真が一生懸命俺に応えようとした証し。全身全霊で俺を自分の中に受け入れてくれた証し。愛ってさ、目には見えないだろ?だけど、こんな風に目に見えることもあるんだよ。素敵なことじゃない!そう、これは愛の証し。だから...傷だけど、傷じゃない。』 『......』 『しかもさ、こういうのは、徐々に見られなくなっちゃうと思うんだよね。俺も冬真も、今でこそ不慣れだけど、二人の時間を重ねれば、色々なことがシックリ合うようになるだろう?体もそうでさ。見られるのは今だけ。言わば、愛の初心者マークみたいなものだよ。』 『葉祐...』 『だからね、冬真が悲しんだり、落ち込んだりするようなことじゃない。分かった?』 『うん...でも...痛くて...上手く洗えないだろうから...傷が治るまで俺が洗うよ...葉祐の背中...』 『いいの?』 『うん。ごめんね。葉祐..』 冬真の涙を拭ってやると、冬真は綺麗な顔で小さく微笑んだ。 ふっと我に帰り、目の前の冬真の涙を同じように手で拭ってやる。そして、その手をそのまま頬に添えた。 「大丈夫。お前が無意識につけた傷は愛の証しだって、前に教えただろ?お前が悲しむことじゃない。それに...怖がるお前に俺が勝手に触れたんだから、お前が悪いワケじゃない。だけどね...冬真…俺は、やっぱりお前に触れることで、お前を抱きしめることで教えたいし、分かってもらいたいんだ。お前のそばには、いつでも俺がいることを。だからね...もう怖がらなくても良いんだよ...」 朧げではあるものの、冬真はやっと視線を合わせてくれた。それは、完全に冬真の意識が外へ向かい出した証拠、いや、確証だった。来て良かったな…やっばり。その視線に応えるように、俺も真っ直ぐに冬真を見つめる。 「そう...そうだよ。もう怖がらなくて良いんだ。心配しなくて良い...」

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