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想い #2 side Y

「話の続き?」 「ええ。呼吸が荒くなり始めたので、話を辞めて、少し早いおやつにしました。でも、おやつを出しても、じっと見つめるだけで全然食べようとしないんです。」 「食欲...なかったんですか?」 「いいえ。最終的にはきちんと食しましたよ。おやつにドーナツを出しました。とうふドーナツ。頂き物でしたけどね。そうしたら、何か思いついたように絵を描く素振りを見せたので、鉛筆とスケッチブックを渡しました。比較的時間を割いて絵を描き上げると、冬真さんはその絵をスケッチブックから切り離して、ご自身のバッグの中にしまわれました。」 「えっ?あれ?今日はお土産はなかったけど...」 今日、帰宅した冬真から渡された絵は1枚もない。 「『お土産ですか?』と聞くと首を横に振りました。お土産でもないのに、切り離すのは初めてだったので、とても気になりましてね。『見せて頂けませんか?』と尋ねたんです。すると、首を横に振り、頬を朱に染めて、もじもじと恥ずかしそうにするばかり。」 「どうしたんだろう...何があったのかな...」 考え込む俺を見て、俊介さんは微笑みを投げる。 「恐らくですけど...描かれているのは、きっとドーナツだと思います。」 「おやつに食べた?」 「それもあるかもしれませんが、多分、他のも描かれていると思います。自分が好きな物か、或いはあなたの好きな物か...そうでなければあんなに恥ずかしがることもないでしょう?」 「どうして?」 「ドーナツは冬真さんの好物です。苺ジャムトーストの時のように、食べたくなったらあなたに見せるつもりなのかもしれません。もしくは、いつもあなたとシェアして食べるドーナツは、冬真さんにとって幸せの象徴です。あなたと離れている時間が多い今、そんな小さな幸せを鞄にしのばせて、噛み締めたかったのかもしれません。推測の域を出ませんが、どちらにしてもチャーミングですよね。こういうところ...本当に。」 俊介さんは微笑む。その微笑みは、実に穏やかなものだった。その笑顔を見た時、俺は何とも言えない罪悪感を感じはじめていた。 俊介さん...あなたは平気なのですか? やるせない気持ちにはならないのですか? それとも...いつか... 俺から冬真を奪うつもりなのですか? 「葉祐さん?」 「はい...」 「是非聞いて頂きたい話があります。ちょっと長くなりますけど、よろしいでしょうか?」 「はい。」 「あるところに、男が一人暮らしていました。その男は全てにおいて懐疑的で、閉鎖的な男でした。そんな男の前に月の女神が現れました。男は女神に一目惚れをしました。それは男が生まれて初めて本気で落ちた恋。遅い遅い初恋でした。しかし、女神には太陽神という恋人がいました。男は女神を通して太陽神と会うことになりました。太陽神は噂通りの好青年で、男にとって初めて友達と呼べる存在になりました。男は考えます。二人の前から姿を消し、遠くから一人、女神の幸せを祈り続けよう...と。しかし、ここで信じられない事が起きました。太陽神は男の気持ちに気付いていながら、今まで通り、二人が会うことを許したのです。普通なら考えられないことです。自分と男の関係は複雑だが、女神には関係のないことだと太陽神は言うのです。男と太陽神の間に友情が芽生えた様に、女神と男の間にも友情が芽生えていたのです。女神は悲しい生い立ちのせいで、友達がほとんどいませんでした。そんな女神が、自分のせいで男という数少ない友達を失う...それは太陽神にとって不本意なことでした。自分と男の関係よりも女神との友情を最優先にしたのです。男も思います。太陽神の英断を尊重し、自分の一生をかけて女神の幸せと笑顔を守りたいと。男は知っているのです。太陽神との友情を貫き、彼の英断を尊重することが、女神の幸せに繋がり、それが同時に自分の幸せに繋がっているのだと...」 俊介さんがそこまで言うと、しばらく沈黙が続いた。 「俊介さん......太陽神はきっと、罪悪感に苛まれていると思います...女神のためとはいえ、人一人の人生を狂わせてしまったのですから...」 「大丈夫。男は太陽神が思うよりもとても穏やかに、幸せに暮らしていると思います。」  「そうで...しょうか...?」 「ええ。ねぇ、葉祐さん?」 「はい...」 「大変図々しいお願いですが...ビールを一杯頂けませんか?柄にもなく喋り過ぎたようで、喉が渇いてしまいました。」 「もちろん。私もお付き合いしてよろしいですか?男の英断にも敬意を表し、彼の幸せを祈りながら杯を傾けたい...今はそんな気分です。」 「男も喜んでいることでしょう。きっと。」 そう言って、俊介さんは普段見せないような笑顔を見せた。その笑顔は表層的なものではなく、本当に穏やかで幸せな日々を過ごしていると思わせるには充分だった。当然の如く、ビール一杯では済まず、色々な話を肴に杯を酌み交わした。その時、何度も思う。 俊介さんが...いつでもあんな風に笑えるようにしよう... それが...彼の人生を変えてしまったかもしれない俺の義務でもあるのだから...

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