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儚い人 #6 side Y

フレンチレストランでの一件から、明日でちょうど一週間になろうとしていた。あれ以来、自傷行為はない。しかし、その代わり、今度は度々遊行症が起きた。そのせいか、冬真は外へ出ることを嫌がる様になり、家から出ることはなかった。体調が芳しくないのか、それとも心の問題なのか、一日の大半をベッドの中で過ごしている。それでも救いなったのは、あの仔猫の置物とフレンチレストランのディレクトールの言葉だった。 あの日、ディレクトールに通されたのは、レストランの事務室で、俺と俊介さんは店内の雰囲気を壊してしまった非礼を詫び、それから、俊介さんがこうなってしまった経緯を簡単に説明した。ディレクトールはずっと頷きながら俊介さんの話を聞いていた。全ての話を聞き終わると、ディレクトールはソファーで横たわる冬真の前に膝間づいた。 「お客様は、お体が少し不自由だったのですね。気が効かず、嫌なお気持ちにさせてしまい、本当に申し訳ありません。」 そう言って、深々と頭を下げた。冬真は弱々しく首を横に振った。 「もし、この店に嫌な感情をお持ちでなかったら、またいらして頂けませんか?従業員全員で考えます。誰にとっても楽しい食事を。それが実現可能になったら、お客様をご招待したいのです。お客様に私共の味を堪能してもらいたいのです。」 冬真を見つめ、返事を待つディレクトールに、声を出すことが出来ない冬真は、どうしたら対応したら良いのか分からず、俺を見つめた。 「すみません。今は声を出すことも難しくて...」 「重ね重ね、大変失礼しました。当店のパトロンの口癖は、『食事こそ万人に美味しく、優しく、楽しく』なんです。私共、従業員はその言葉を肝に命じ、今日まで働いてきました。あなたがこの店で食事も出来ず、悲しい思いだけをしてしまったこと、パトロンもきっと嘆くでしょうし、私も悲しいです。この店でいつか、お三方で楽しい食事をして頂きたい。そのためには、私共は努力する必要があります。精一杯、従業員全員で考えます。その成果を見て、評価して頂きたいのです。」 ディレクトールの情熱に圧倒され、俺達は来店の約束を交わした。 夕食と入浴を済ませ、いつもの様に冬真にハーブティーを差し出すと、冬真は小さく頭を下げ、それから、何を見るわけでもなく、ただ、ぼんやりとソファーに座っていた。 「と~う~ま!」 名前を呼び、突然横抱きにして持ち上げると、冬真は驚いた様な惚けた様な表情で俺を見つめる。 「飲み会しようか?これから二人だけで。窓際にラグマット敷いてさ。窓全開にして、少しだけ夜風にあたって、月でも愛でて。あっ、そうだ!肌掛けも持って来ちゃおっか!眠くなったら、ここで寝ちゃうの。少し体が痛くなるかもしれないけれど、明日休みだし、何とかなるだろ。どう?」 それまでずっと蒼白かった冬真の顔色に、あの一件以来、初めて仄かに朱色が帯びた様な気がした。

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