231 / 258

大胆な人 #1 side Y

翌週の水曜日、職人気質のその人は、きっちり約束の時間にやって来た。 「冬真坊っちゃま!」 「おじさま...」 玄関先で手を取り合い、二人は約2か月ぶりの再会を喜ぶ。 「坊っちゃまがお元気そうで安心しました。」 「おじさまが...おみえになるひ...ぼく...げんきになります...」 「坊っちゃまからそんな言葉を頂けるなんて...この小泉、誠に光栄の極みでございます。」 「おじさま...?」 「はい。」 「ぼく...こんど...さんじゅう...ぼっちゃま...おかしい...」 「私にしてみれば、坊っちゃまはいつまでも坊っちゃまに変わりありません。あの頃のまま、可愛らしく、愛おしい存在でございます。」 冬真の待ち人、小泉さんは理容師。かつては岩崎家に出入りしていて、祖父の英輔氏はもちろん、幼少時の冬真の髪も小泉さんが散髪をしていたという。英輔氏が亡くなって、岩崎家に出入りすることは無くなったものの、今、こうして再び二人が会える様になったのは真鍋さんのおかげだ。冬真が最初の事件に遭遇した時、すっかり伸びてしまった冬真の髪をどうしたものかと考えあぐねていた時、見かねた真鍋さんが小泉さんを探し出し、連絡を取ってくれて今に至る。小泉さんは今でも市内で暮らしているが、経営していた理容店は息子さんに代を譲り、今は岩崎家の訪問をとても楽しみにしてくれている。小泉さん曰く、生き甲斐らしい。 「小泉さん、どうぞお上がりください。いつものようにウッドデッキの方に準備してあります。必要なものや不足しているものがあったら遠慮なく申し付けてください。」 「葉祐様、ありがとうございます。では、早速。」 ウッドデッキにビニールシートを引き、その上に全身鏡と椅子、小さいテーブルを置いただけの小さな簡易理髪店。当初は冬真の散髪だけをお願いするつもりだった。しかし、真鍋さんから俺と冬真の関係を聞いた小泉さんは、 『坊っちゃまをお守りくださりありがとうございます。大変畏れ多いことではございますが、今は亡き旦那様に代わり、感謝の意を示したく存じます。小泉に出来ますことは、散髪だけでございます。よろしければ、海野様の散髪も小泉に任せては頂けませんでしょうか?』 と言い、俺も冬真同様、お世話になることになった。年月を重ね、そこに俊介さんが加わり、今日から航も加わることになった。 「ぼく...おじさまの...しごと...みるの...だいすきだった...こどものころ...ずっと...まほうつかい...って...おもってた...」 いつだったか、ハサミを自由自在に操り、オーダー通りに手早く散髪をする小泉さんを見ているのが、とても好きだったと教えてくれたことがあった。現に冬真は今でも、小泉さんが仕事をしている間、少し離れた場所に座り、ハサミさばきを興味深げにずっと見ている。 「そうでしたね...坊っちゃまは、お屋敷に出入りする職人の仕事を見ているのが好きなお子さんでした。職人を気遣い、少し離れた場所からずっと見ていらして。職人全員、坊っちゃまが大好きでした。私達職人は、可愛い坊っちゃまをがっかりさせないようにと常に精進を心がけていました。今もその気持ちは変わりません。そうそう、坊っちゃま?寿司屋の大竹さん、覚えていらっしゃいますか?」 「はい。おおたけのおじさま...おすしのにぎりかた...おしえてくださいました...」 「あの方は最後まで、坊っちゃまが寿司職人になるのを夢見ていたんですよ。『坊っちゃまは筋が良い。御曹子じゃなかったらなぁ』が口癖でした。」 二人は懐かしそうに少し遠くを見た後、互いの顔を見て、うふふと笑った。 冬真が笑う... 柔らかく...穏やかに... あまりにも美しく...あまりにも幸せそうで... 涙が出そうだ。 そうだよ...冬真... お前にはいつでも... 幸せの歌を口ずさんでいるように... ずっと笑っていて欲しい。 「坊っちゃまだって。ねぇ?葉祐?冬真ってお坊っちゃまなの?」 このやり取りを初めて目の当たりにした航が、俺の感傷に土足で踏み込む。 「ねぇ、葉祐~」 航がTシャツの裾を引っ張った。 「航。気になる気持ちは分かります。ですが、ここはおとなしくしていましょう。せっかく冬真さんがあんなに嬉しそうにしているのですから。それに、冬真さんのご実家がどうであれ、冬真さんは冬真さんです。そうでしょう?」 俊介さんが俺を助けるかの如く、航を嗜めた。航は首を竦めたものの、いつもよりどこか幼く、幸せそうに微笑む冬真の姿に、航もすっかり笑顔になって言う。 「そうだね。冬真は冬真。俺、冬真大好き!」 冬真から始まった散髪も、いよいよ最後、航の番になった。航が全身鏡の前に着席すると、小泉さんは言った。 「君ですね?坊っちゃまがおっしゃっていたのは...今度、店の方にいらしてくださいね。さて、今日はどのようなスタイルにされますか?」 小泉さんの言葉に、航は一瞬怪訝な顔をした。それでも、オーダーを伝えようと口を開こうとした時、冬真が珍しく口を挟んだ。 「おじさま...」 「はい。」 「わたくんは...ぼうずにし...て...」 「はい。畏まりました。」 「わたくん...よかったね...もう...ようすけに...しかられない...」 冬真は笑顔で言い、それに対して、航の顔はひきつる。そして、俺と俊介さんは言葉を失った。

ともだちにシェアしよう!