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夢 #1 side W
目の前にいる床屋のおじさんは、俺の話を黙って聞いていた。時折、相槌をするだけ。おじさんからは何一つ聞いてはこない。
俺...何でこんなにベラベラしゃべってんの?
この間の葉祐とのケンカのことまでしゃべってるし...心配しちゃうじゃない。おじさん...冬真のこと可愛くて仕方ないのに。
ここまで自分のことを他人に話したのは久しぶり。おじさんには全部話した方が良いような気がする。葉祐と冬真に初めて会った時みたいに。いよいよ話すことがなくなって、葉祐が淹れてくれたカフェオレを一口啜った。おじさんもコーヒーを啜った。
「色々教えてくれてありがとう。」
おじさんが礼を言った。
「別に、大したことじゃないし...」
「いや、君の話を聞けて本当に良かったよ。」
「おじさんがそう思ってくれて良かったよ。少しは役に立ったみたいでさ。俺...そんなつもりはないんだけど...何だかんだ言って、冬真のこと結構傷つけちゃってるから、俺と冬真が一緒にいるの、おじさん嫌だろうなって思ってたから。」
「いやいや、君との時間は坊っちゃまにとって、葉祐様や俊介様とまた違った意味でかけがえのない時間になると思うんだ。そうだな...言うなれば冒険ってところかな。おじさんは寧ろ、坊っちゃまが君とたくさん冒険をしてくれたら良いのにって思ってるよ。」
「冒険?無理だよ!そんなの。」
「あははは。別にどこかの未開拓地のジャングルや洞窟へ行ってくれなんて言ってるワケじゃないよ。そうだな...例えば…近くで良い、二人で買い物に行くとか、ハンバーガーを食べるとか。」
「それだけ?」
「たったそれだけのことだけど、坊っちゃまにとっては大冒険なんだよ。今までそんなことしたことがないし、ましてや、葉祐様の手から離れるんだからね。坊っちゃまは人との触れあいには本当に気薄な子でね。特に子供同士になると皆無に近い。何気ない友達との日常、誰にでもあるそういうことが、坊っちゃまにはごっそりと抜けてしまっているんだ。当時の坊っちゃまは、生きているだけでも奇跡に近かったから仕方がないんだけど。さっきの君と坊っちゃまのやり取りを見て、私は坊っちゃまにも、そんな日常が与えられていたらなって考えてしまったんだよ。くだらないことして笑って、親には言えない悩みを共有したり、女の子の話、音楽や流行の話。今更なんだけど、坊っちゃまのそういう日常を夢見てしまったんだ。エゴだね、これは。坊っちゃまにとっては余計なお世話。全くもって私のエゴ。」
おじさんは詰まるように話を終えると、らしくもなく少し乱暴にカップを煽るようにコーヒーを飲み干した。葉祐は、ただじっーとカップの中のコーヒーを見つめていた。ふと、岩代さんから聞いた話が頭を過った。ベッドの上でずっと宙ばかり見ている、顔色の冴えない高校生の冬真の姿。
「あのさ...実は俺、前々から考えていたことがあるんだけど...怒らないで聞いてくれる?」
前々から考えていたこと...それは、冬真のN大病院の診察に葉祐でもなく、俊介さんでもなく、俺が付き添うこと。そしてその日、冬真が疲れていたら、病院から近い俺の家に泊めて、翌日、冬真を家まで送ること。
随分前だけど、葉祐と冬真、俊介さんの役に立つこと、喜ばせることをしたいって言った時、葉祐はデコピンしながら言ったんだ。
『バーカ!そんなこと考えてねえで、お前は受験勉強を頑張れば良いんだよ。お前が高校に合格することが、俺達の喜びなんだからさ。』
確かにそうなのかもしれない。単純に恩返しがしたかった。いつも温かい居場所をくれる葉祐に、どんな失敗も許してくれる冬真に、勉強だけじゃなく、色々のことを教えてくれて、諭してくれる俊介さんに。その気持ちだけなのに、葉祐にそう言われて、信用されていない、子供扱いされているって思って、スゲー悔しかった。
だから、今度は全てを話した。前々から考えていたこと、前に感じた悔しい気持ち、少し照れくさかったど...三人への感謝の気持ちを。
話終えると、またカフェオレを啜った。おじさんは少し驚いた顔をした後、深々と頭を下げた。それから名刺を差し出した。そこにはおじさんのお店の名前や住所、電話番号が書かれていた。
「困ったことがあったらいつでもいらっしゃい。髪を染める時もね。」
と言った。本当は今日ここで、髪を染めるよう冬真に頼まれたが、家を汚してしまう可能性があるからと断ったのだと教えてくれた。そんなおじさんに対して、葉祐は何も言わなかった。
「葉祐...」
怒っているのかもしれない。ちょっと怖くなって、葉祐の名を呼んだ。
「えっ?ああ...うん......ごめん。なぁ、航…お前さ、明日はバイト?」
「ううん。」
「そうか...じゃあ、今晩はうちに泊まってけ。親父さんにちゃんとメールしておけよ。心配するかもしれないからな。」
それだけ言うと、葉祐はキッチンへと消えていった。
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