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失踪 #4 side K (okei-san)

「岩崎様。」 「さま...いいです...おどろきました...でぃれくとーる...だんなさま...」 「ああ。よく言われるんですよ。お景さんとは10歳離れてますから。」 「違うよ!冬真君は、一緒にご飯食べてるおばちゃんが、あの時のフレンチレストランのディレクトールの奥さんってところに驚いてるんだよ。この子がそんな下世話な事言うもんかい。」 「あっ、そうか!さすがお景さん!」 将ちゃんはアタシを見てニコニコ笑う。アタシは天を見上げる。 「岩崎さん。実はこのお景さん、僕の働くフレンチレストランのパトロンなんです。あのフレンチの他にも和食ダイニングとライブハウスを経営している社長さんなんですよ。」 「でも...おそばやさん...」 「ああ。駅の立ちそばは、マーケティング調査のために週一で働いてるんです。すごいでしょ?僕の奥さん。本当に努力家で、心から尊敬しているんです。それに優しくて美人だし。」 「将ちゃん!もうお辞めよ!他人様にこんな話。恥ずかしいったらありゃしない。」 緻密な仕事ぶりとは裏腹に、普段の将ちゃんはとてもおおらか、かつ大胆な男だ。そして、素直で優しい。アタシと結婚する時、将ちゃんを貶めるような噂が立った。財産目的、会社の乗っ取り...将ちゃんは、ありとあらゆる罵声を浴びた。それでも将ちゃんは『言いたい人には言わせておきましょう。それよりも、いかにお客様に喜んで頂けるお店にするかを考えた方が有意義です。』と言い、その全てを一蹴した。結婚して5年。もう、将ちゃんを悪く言うヤツはいない。 「良いじゃないですか!ね~?」 「はい...なかよし...いいこと...」 「ですよね~あっ、ちょっと待っててください。」 将ちゃんは部屋から退出したかと思うと、すぐに戻ってきた。その手には薬箱。笑顔で冬真君の前に座る。 「さっ、きちんと消毒しましょう。遠慮することはありません。このままだと、もっとひどくなる可能性があります。今のうちに手当てすれば、大丈夫です。さっ。」 驚きを隠せなかった冬真君だったが、すぐに観念したように左腕を差し出した。将ちゃんはシャツのボタンをはずすと、袖を捲った。そこには、紫色の痣や大小様々な傷痕、そして、最近出来たと思われる赤く腫れ上がった傷があった。将ちゃんがさっき、一瞬怪訝な顔をしたのは、これに気が付いていたからなんだとやっと悟った。冬真君は鞄の中からポーチを取り出し、将ちゃんに差し出した。そのポーチの中には、小さな消毒液と絆創膏、塗り薬や湿布薬が入っていた。こういうことがしょちゅうで、故に常に薬を持ち歩いているのだなと思うと、とても切なかった。 「一人で頑張りましたね。もう大丈夫。頑張ったあなたを誰も責めることなんて出来ません。」 将ちゃんの言葉に冬真君は驚きの表情を見せ、そして、手当てに顔が歪む。 「痛いですよね...傷付けた時も痛かっただろうし、手当てしても痛い。おふろに入っても痛いし、何よりこの傷を見る度、あなたの心が痛いでしょう?何度も何度も痛い思いをされて、僕もお景さんも心も痛いです...早く治ると良いですね。」 将ちゃんは屈託なく笑い、手当てを済ませた。 「ポーチ、鞄の中にしまいますね...あれっ?岩崎さんは絵を描かれるんですか?」 「将ちゃん、人様の鞄の中を覗くなんて...」 「ああ。ごめんなさい。スケッチブックが目に入ったものだから。」 「はい...」 「拝見しても良いですか?」 「でも...へた...」 「是非、拝見したいです。岩崎さんがどんな絵をお描きになるのか気になります。ここで見なかったら気になって気になって、今晩、眠れそうにありません。」 将ちゃんがオーバー気味に言うと、冬真君はクスクス笑い出した。 「でれくとーるねぶそく...れすとらんのひと...おけいさん...こまります...みても..いいです...」 将ちゃんは冬真君のスケッチブックを丁寧に開いた。 「ああ...綺麗...」 将ちゃんはまるで溜め息を漏らすように言った。 「これは...デンファレですね?」 スケッチブックを見ると、そこにはデンファレが描かれていた。将ちゃんが溜め息を漏らすのがよく分かる。色鉛筆で描かれたその絵は、デンファレの美しさ、繊細さを上手く表現していた。 「はい...ようすけが...とうまのはなだよって...1がつ16にちのはな...」 「ああ!誕生花!デンファレかぁ...岩崎さんっぽいです。繊細で品があって...それにデンファレの花言葉は『わがままな美人』なんです。わがままはさておき、美人はあなたにピッタリです。」 「でれくとーる...」 「ああ。平塚で良いですよ。あっ、待って!お景さんも平塚だから、将吾で良いです。」 「しょうごさんも...ようすけといっしょ...つかいかたちがう...びじんは...おんなのひと...おけいさんにいうことば...」 「へっ?なっ、何言ってるの!冬真君!」 「あっ!お景さん照れてる!素敵な男性に誉められて...僕が誉めたってこんな顔しないもの。岩崎さん、いいなぁ...僕も美人だったらなぁ~」 「将ちゃん!」 「あっ、でも...おけいさん...いちばんほめられたい...しょうごさん...ぼく...ちがう...しょうごさん...おけいさん...だいすき...」 しどろもどろになって一生懸命弁明している冬真君が、何だか可愛らしくておかしかった。将ちゃんも同じことを思ったのか、吹き出して冬真君の頭を撫でた。 「あなたって人は...本当に純粋で素直で...本当に可愛い人なんですね。」 将ちゃんがそう言うと、冬真君はキョトンとした顔でアタシと将ちゃんを交互に見つめた。その子供じみた姿がおかしくて、アタシも吹き出すと、冬真君もつられて笑った。 この子は本当に美人だ。 だけど...笑顔の方が可愛らしくて、この子らしくて断然良い! アタシは腹を抱えて笑いながら、頭の片隅でそんなことを考えていた。将ちゃんもきっと、同じことを考えているだろう。そう思っていた。しかし、将ちゃんはもっと別のことを考えていた。それは、彼を惚れ直すに充分で、アタシはまた、将ちゃんに恋をする。

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