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約束の日 #5 side S (shoーchan)
朱美さんのお店をあとにして、僕達四人はそれぞれ自宅、ホテルへと向かって歩く。僕の少し前には、お景さんと冬真君がいて、足を少し引き摺る様に歩く冬真君を気遣う様に、お景さんは彼と手を繋いで歩いていた。恐らく30センチほど身長差のある二人。普段僕に話し掛ける時よりも、なお一層見上げるようにして話し掛けるお景さん。それに対し、何度も屈むようにして耳を傾け、その度に美しい笑顔を見せる冬真君。何とも愛らしい二人の姿を、隣を歩く葉祐君は、眩しいものを見る様に見詰めていた。
「何かいいな...こういうの。」
葉祐君が呟く。
「うん。いいね。」
「.冬真...楽しそう。良かった。将吾さん?」
「うん?」
「今日は本当にありがとうございました。一席や仕事の件もさることながら、何よりも冬真に優しい時間をくださって。あんなにふんわりとした雰囲気の冬真は久々です。」
「いやいや、こちらこそ。わざわざ時間を作ってくださってありがとう。とても楽しい時間でした。でも...仕事の件はあれで良かったのかな?」
承諾してもらうには、かなりの時間を費やすだろうと思われた仕事の依頼も、途中から酒席に加わった朱美さんの提案ですんなり承諾を得ることが出来た。手の震えを理由に冬真君は、一度依頼を断った。手の震えなんて全然感じさせない作品ばかりなのに…途中から酒席に加わり、話の全てを聞いた朱美さんが、
『お景も焼きが回ったもんだね...話は簡単さ。仕事なんて大層な物にするからややこしくなるんだよ。ボランティアにすれば良いのさ。冬真ちゃんの絵は本当に素晴らしいよ。だけど、冬真ちゃんが手のこと、どうしても気になるなら、朱美さんにくれた絵みたいにさ、プレゼントするつもりで描いてごらん。和食屋で使用するものだ。季節感が大事になってくる。それを考えるのもきっと楽しいと思うよ。ボランティアだからと言って、完全な無償はダメ。お景は絵を描くにあたっての実費と、こうして時折食事に招待すること。良いことずくめじゃないか。お景は当初より安い金額で冬真ちゃんの絵を入手出来る。冬真ちゃんはやりがいを得る。お景が招待するのがアタシの店なら、アタシは定期的に冬真ちゃんに会える。なっ、良いことづく目だろう?』
ニンマリと笑ってそう言った。
「僕は納得がいかないよ。あんな素敵な作品が、ほぼ無償だなんて...」
「どうかお気になさらないでください。冬真が決めたことですから。」
「でも...」
「ああ見えて結構頑固なんですよ。よっぽどのことがない限り変えることはありません。それに、金銭より将吾さん、お景さん、朱美さんに定期的に会える方が嬉しいんじゃないかな。大丈夫です。何か不都合が出たら、必ず相談します。それに、俺も全力で冬真をサポートしますから。」
葉祐君は彼らしく、爽やかな笑顔をこちらに向けた。
ただ、ひたすら冬真君の幸せを願い、一身に愛情を注ぐ葉祐君。
そして...その愛情がなければ、生きていくことすら困難な儚い冬真君。
葉祐君はどうして、血の繋がりなんてない冬真君のためにここまで頑張れるのだろうか?二人はどのようにして出会い、今に至るのだろうか。
二人がそれぞれ口にした『4年前』という言葉が不意に頭を過り、同時にとある記憶が引き出された。Mホテルの通用口にある守衛室の光景。そこを足早に通り過ぎる救急隊員の声とストレッチャーの音、そのストレッチャーからだらりと下がった血だらけの腕...
ああ。あれも4年前だったっけ...あの時のあの人...どうなったのかな...
元気になって穏やかに暮らしてると良いんだけど...
嫌なことを思い出したと、僕は頭を左右に振る。だけど、また違う記憶が甦った。
『何かよく分からないんだけどさ、Mホテルは嫌みたい。』
『遠慮しているのかな?でも、冬真君のことを考えたら、一泊して帰った方が楽だよね。別のホテルあたってみようよ。』
『うん...でもね、ユニットバスが苦手なんだって。そうすると、ほとんどのホテルは無理だから、気持ちだけで結構ですって。』
『そうか...冬真君のことだ。きっと苦手なことが多いのかもね.....あっ、そうだ!駅からちょっと歩くけど、Eホテルの客室に和室があるんだって。確か...トイレバスは別で、浴槽が檜で出来ているってどこかで聞いたような...調べてみるよ。』
これは先週、葉祐君と約束を取り付けた直後のお景さんとの会話。
もしかしたら...僕の中で悲しい疑念が浮かぶ。
いや...信じたくない...僕の勘違いであって欲しい。でも...
4年前
Mホテル
ユニットバス
一致しているキーワードが多すぎる。悲しいぐらいに。いや...待て。もう1つ決定的なキーワードがある。これさえ一致しなければ大丈夫...絶対違う。
「ねぇ...葉祐君...もしかしたら今は違うかも知れないんだけど...Mホテルのフロント部の主任さんと知り合いだったりする?」
平然を装って尋ねた。
「フロント部の主任さん?」
「うん。直接存じ上げないから、名前は知らないんだけど...多分、歳は僕と大して変わらないぐらいだと思うんだけど...」
「役職は分かりませんが、Mホテルでフロント業務をされている知人はいますよ。西田さんとおっしゃって、冬真の親父さんの友達なんです。」
葉祐君は屈託なく笑った。それに反して、僕は目の前が真っ暗になった。
やっぱり...あの日...
ストレッチゃーで運ばれたのは...
冬真君だったんだ...
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