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四年前の出来事 side S (sho-chan)
「こんばんは、小森さん。」
「おうっ!将ちゃん。明けましておめでとう!」
「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
「さっ、寒いから早く中に入りな。」
Mホテルの通用口にある警備員詰所の小さなガラス戸を閉め、警備員の小森さんは、その横にあるドアから僕を招き入れた。小森さんはお景さんと朱美さんの中学の同級生で、僕にも親しく接してくれた。
「ありがとうございます。」
促された席に座ると、小森さんは淹れたばかりのお茶を差し出した。
「よっさんかい?」
小森さんは指で杯形を作り、煽る真似をした。
「はい。」
『よっさん』とは、修行時代の先輩、吉川氏のことで、吉川氏はMホテルのフレンチレストランでメートルをしている。
「しかし、よっさんもひでぇなぁ~新婚の将ちゃんを新年早々飲みに誘うなんて...景子ちゃんもカンカンだろう?」
「いいえ。吉川さんのお誘いは、僕にとっては渡りに船なんですよ。お景さんは今日、朱美さんのお宅へ行っていて...朱里(あかり)さんが帰省しているんです。」
「朱里ちゃんか...懐かしいな。もう結婚して子供もいるんだろ?」
「はい。お子さんはもうすぐ3歳だそうですよ。」
「朱里ちゃんは、朱美ちゃんの一人娘だけど、景子ちゃんにとっても娘みたいなもんだからな。朱美ちゃんは朱里ちゃんを産んですぐ離婚してさ、見かねた景子ちゃんが二人を自宅に引き寄せて、朱美ちゃんが働けるようになるまで、二人の生活の面倒をずっとみたんだよ。スゲーよな~景子ちゃんは。」
「せっかく朱里さんが帰省しているのですから、どうせなら三人だけのお正月にしてあげようと思いまして...話したいこともたくさんあるでしょうからね。僕もその日、先輩に誘われたって言えば、お景さん、僕に遠慮することなく朱美さん家に行けるでしょう?」
「なるほど...将ちゃんは本当にいいヤツだな。景子ちゃんのことよろしく頼むよ。」
「はい。」
お茶を三口ほど啜ると、詰所の電話がけたたましく鳴った。通話に出た小森さんの表情が徐々に強張っていく。
「将ちゃん、悪いな。何か怪我人が出たみたいでさ、もうじき救急車がくるんだって。俺、誘導しなくちゃだからさ、ここで失礼するよ。将ちゃんは、よっさんが来るまでそれゆっくり飲んでな。」
「はい。ありがとうございます。」
小森さんが退出してから、時間が過ぎるのがとても早かった。
救急車の到着、隊員の入館。それから...
「分かりますか!もうすぐ病院ですよ!しっかり!」
怒号のように飛び交う隊員達の声、まさに生命の危機を感じさせるように慌ただしく走るストレッチャーの音。僕の目の前をストレッチャーが通過しようとした時、乗せられた人の手がぶらりと落ちた。肌の色なんて全く分からない、目を背けたくなるほどの血に染まった手だった。この人がどこの誰で、一体何が起こったのか分からないけど、『どうか助かって!』そう思わずにはいられなかった。その後、吉川さんから飲み会延期を知らせる連絡が入った。
それから10日ほど経って、先日のやり直しをと、吉川さんと酒を酌み交わすことになった。程よく酒を飲んだ後、僕はずっと気になっていたことを切り出した。
「あの...この間、救急車で運ばれた人のことなんですけど...」
「ああ。何かさスゲー悲惨だったみたい。一番最初に客室に駆けつけたヤツはよく話をするヤツなんだけどね。そいつから聞いたんだけど、見つけたのは浴槽で、まるでゴミのように入れられてたって。上半身は裸で、下半身はパンツ一枚。両手には拘束されていた跡。何度も殴られたみたいでさ、血だらけで顔なんて腫れ上がっちゃって、誰だか分かんないぐらい。だから...もうダメなんじゃないかって...」
「そんな......」
「うん...あくまでも噂話なんだけど...宴会場のホール係の女の子達の話じゃさ、あの日は、宴会場でどっかの学校の同窓会があったんだって。そこに思わず見とれちゃうほどのスゲー美人の男がいたんだって。被害者はその人じゃないかって。」
「どうして?」
「あの後、警察の事情聴取があったんだけどさ。その美人、その時にはもういなかったらしいんだ。どの時点でかは分からないけど、きっと...狙われちゃったんだろうな...」
「狙われる?まさか!」
「だってほら、見つかった時、パンツ一枚だっただろう?それに...両手を拘束されていた跡があったんだぜ?可哀想だけど...状況が物語ってるよ。当初は性的な暴行目的で、ヤバくなったから口封じってところじゃね?俺には理解出来ないけど、男から見ても抱きたいって思わせるぐらいの男なんじゃね?相当の美人みたいだから。」
「この話が全て事実だとしたら...彼自身はもちろんだけど...彼の親御さんや彼の恋人...今...どんなこと考えていんるでしょうね...胸がえぐられるような思いです...」
「だよな......さっ、この話はお仕舞い!今日はとことん付き合ってくれるんだろ?将吾。」
「ああ。そうですね。」
「さっ、飲も飲も。」
「はい。」
そこからは、何もなかったかのように二人で酒を飲んだ。
それから5日後、吉川さんからメールが届いた。
僕はそこで、あの時の犯人が捕まったこと、彼が何とか一命はとりとめたこと、その彼がMホテルのフロント部の主任さんの知人であることを知った。
そう......これが...4年前の冬の出来事...
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