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雪解け #1 side S (sho-chan)
店の片付けを終え、葉祐君と僕は彼らの自宅へ向かった。別荘地の入り口から道なりに歩いた左手に、リゾートホテルの離れを思わせる建物が見えた。さすがは高級別荘地。そんなことを考えていたら、まさに、その建物が彼らの自宅なのだと教えられた。広い敷地に少し長く続くスロープがあって、スロープの先は玄関があり、コートを着た冬真君がそこでうずくまる様にしゃがみこんでいた。
「最近は毎日ああして俺の帰りを待っているんです。寒いから中で待ってて、何度も言ってるんですけどね...」
「ああ見えて結構頑固...なんだもんね。」
「ええ。玄関先とスロープ、色が違うの分かりますか?」
「うん。」
「あのラインからスロープ側へは、滅多のことがない限り、一人では越えません。越えたのは、例の失踪騒ぎの時ぐらい。あのラインは冬真にとって結界なんです。外は怖いものばかり。でも...そんなものばかりじゃないでしょう?実は。早くあのラインを一人で越えられたらって思うんですけど...でも、贅沢ですよね。ちょっと前までのことを振り替えれば、出来るようになったことが本当にたくさん増えたのに...俺ってホント強欲な人間ですね。」
そう言って苦笑いした後、彼は冬真君に声を掛けた。それに気が付いた冬真君は立ち上がり、いつもとは違う二つの人影に、あからさまに戸惑う様子を見せた。そんな彼を不安にさせたくなくて、僕は手を振りながら声を掛けた。
「冬真君!」
冬真君はしばらくこちらを見詰めた後、僕と気が付いたのか、歩き出そうとした。しかし、スロープのラインが目に入ると、そこで動かなくなった。
「大丈夫!今行くよ!」
僕は思わず走り出し、スロープの頂上まで来ると彼の両手を取った。
「わっ!冷たい!部屋で待ってないとダメじゃないか...風邪引いちゃうよ。」
僕の両手で彼の両手を挟み、擦るようにして温めた。程なく、葉祐君が玄関先に到着した。冬真君の手を温めることに夢中になっていた僕を葉祐君が呼ぶ。
「将吾さん。」
「うん?」
「冬真...何か話したいみたい。」
葉祐君は満面の笑みを僕と冬真君に向けた。冬真君を見ると、何か唇を動かしていた。しかし、それが一体何を意味するのか僕には解らなかった。
「どうして?」
「えっ?」
「どうして?って言ってます。きっと。」
冬真君は頷いてみせた。
「葉祐君のお店に遊びに来たんだ。前々から行ってみたいと思っていて...」
「そうしたら、店が混み始めちゃってさ。もう常連さんのオンパレード、コンプリート状態。で、申し訳なかったんだけど、手伝ってもらっちゃったの。」
葉祐君の話を聞いて、冬真君は深々と頭を下げた。
「いやいや、そんな!僕も楽しかったし...機会があれば、是非また手伝いたいぐらいだよ。」
「やっぱりさ、スゲーんだよ。さすがは接客のプロでさ。将吾さんの身のこなしや手際、応対まで本当に勉強になったし、常連さんも皆さん、惚れ惚れしてたもん。でもさ、今日はそれだけじゃなくて...冬真と将棋を指してくれるんだって。それで家まで来てくれたんだよ。」
葉祐君の言葉に、冬真君の表情は明るくなり、それから今度は、僕の手を握り、嬉しそうに僕を見詰めた。その後、視線を葉祐君に移し、親指、人差し指、中指と三本の指で何かを摘まみ、持ち上げる素振りを見せた。
「ああ、そっか。将吾さん、チェスはできますか?」
「チェス?一応出来るけど...でも、どちらかというと将棋の方が得意かな。」
冬真君の表情はますます明るくなった。
「しかも、将吾さん...今日うちに泊まってくれるんだよ。良かったな、冬真。」
葉祐君がそう言うと、冬真君は僕にハグをした。嬉しい気持ちが抑え切れない...それが伝わってくる様なハグだった。それから冬真君は少し長めに唇を動かした。すると葉祐君が、
「あっ、言ったな!そういうヤツはこうしてやる!」
冬真君の頭をクシャクシャと撫でた。声は出ていない。でも、とても楽しそうだった。
冬真君...何て言ったのかな?
「葉祐は弱いからどちらも楽勝なんだよ...って。」
僕の気持ちを知ってか知らずか、葉祐君が教えてくれた。
上手く言葉に出来ないけれど、このままではいけない。陰鬱なままでいることは、目の前にいる二人に対して失礼なんじゃないかと、僕は徐々に思い始めていた。雪が少しずつ解けて春を迎えるように、僕の陰鬱な気持ちも少しずつ小さくなっていた。
「さっ、冬真の体も冷えきってるし、将吾さんも疲れたでしょうから、まずは風呂!風呂!」
葉祐君に促され、僕達は家の中へ入った。
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