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台風の目 #1 side T

『なつみ』と呼ばれた台風の目は、その名の通り、平穏だった僕の心に大きな波風を立て、そして、大きな爪痕を残した... 「もうちょっとで終わるから、それ飲んで待っててな。」 「ぼくも...てつだう。」 「いいよ。いいよ。冬真は今、帰って来たばかりなんだもん。それに重かっただろう?一人で行かせちゃってごめんな。」 「ううん。ねえ、ようすけ?」 「うん?」 「ようすけ…たすかった?」 「うん。ホント助かったよ!スゲー楽させてもらっちゃった。本当、冬真のおかげ。ありがとな。寒かっただろう?さっ、冷めないうちに飲んじゃいな。ホットミルク。」 葉祐が出してくれたホットミルク。喉にも良いからって、いつもハチミツを少しだけ入れてくれる。そのホットミルクは、僕にとって幸せそのものだった。なぜなら、味も勿論、美味しいのだけれど、湯気の向こうに見える葉祐の笑顔がとても優しくて、本当に格好良くて...しかも、その笑顔は僕だけに向けてくれる特別なもの。僕は嬉しくて...ドキドキして…ちょっと恥ずかしいけど…幸せだなぁって心まで温まった。 朱美さんから『おせちを作ったから店に取りにおいで。』と連絡が来たのは昨晩のことだった。葉祐のご両親は、その前の日からお兄さんの家に行っていて、俊介さんはお義母さんの家に行っていた。今年の年明けは二人だけだから、おせちは作らず、お雑煮だけにしようと話していた矢先のことだったので、僕達はとても驚き、葉祐は『朱美さん、スゲー地獄耳だな』と言って笑った。しかしこの直後、僕達は珍しく言い争いをした。なぜなら、Evergreen閉店後、二人で朱美さんのお店に行こうと言う葉祐に対して、僕が営業時間中に一人で行きたいと言ったから。 『バスターミナルに迎えがいるのならまだしも、バスターミナルから朱美さんのお店まで、ずっと路地裏歩かなくちゃだし...』 『とおまわりだけど...おおきなとおり...あるいて...いくから。』 『う~ん......やっぱり危険だよ。一昨日まで調子悪かったしさ...とりあえず、今回は一緒に行こう。なっ?』 『ぼく...だいじょうぶ...ひとりでいける...』 『冬真...』 『だって...そっちのほうが、ようすけのふたんへる。』 『そんなこと、冬真は気にしないで良いんだよ。ひとまず、明日は閉店後、二人で行くから。』 『いや。』 『冬真!どうして今日に限ってそんなにダダを捏ねるの!』 葉祐が声を荒げ始めた。 『だって...』 『だって何?!』 『ぼくがいけば...おみせおわったら、ふたりだけのじかん。そこから...おしょうがつやすみおわるまで...ずっといっしょ...ぼく、たのしみにしているの...ふたりだけのじかん。』 そう言うと、葉祐が急に僕の腕を引っ張った。 あっ...怒られる... 僕は咄嗟に身を縮めた。しかし、予想に反して、葉祐はそのまま僕を腕の中に引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。 『全く...お前ってヤツは...』 葉祐はそれっきり何も言わなかった。だけど、抱きしめる力は更に強くなった。ちょっと苦しくなるぐらいに... 「さっ、終わった!最後にこれを管理室に持ってくだけだから、ホットミルク、ゆっくり飲んでいて良いからね。」 柄の先に付いた大きなクリップからモップの部分をを外しながら葉祐が言った。モップは別荘地共有の物を使用していて、使用後のモップを管理室へ持っていくと、洗濯済のモップと交換してくれた。葉祐の負担が少なくなるようにと、清掃係の皆さんのご厚意で、別荘地内で使用したモップと一緒に洗濯してくれた。 「ごめんください。」 扉が開く音と女性の声が聞こえ、入口を見ると、一人の女性が立っていた。スレンダーでショートボブが似合う綺麗な人だった。 「すみません。今日の営業はもう終わりなんです。closeの札出ていたと思うんですけど...」 モップの柄を片付けにカウンター奥の倉庫に行った葉祐は、女性の姿が見えないせいか大声でそう言った。女性は一瞬困った顔をし、僕を一瞥してから、葉祐に負けないぐらいの大声で葉祐の名前を呼んだ。 「葉祐!」 えっ......? 「えっ?」 僕が思ったのと葉祐が声を発したのはほぼ同時で、倉庫から出てきた葉祐は、女性を見ると驚愕の表情を見せた。 「な...つみ......?」 「うん。久し振りだね。葉祐。」 『なつみ』と呼ばれたその人は、葉祐に笑顔で小さく手を振った。

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