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24.Witness(目撃者)
目が覚めた白島が顔だけを窓の方へ向けると、締め切ったカーテンの隙間から既に昇り始めた太陽の光が差し込んでいた。
時間を見れば明け方近くに眠りに着いてから3時間ほどしか経っておらず、隣のベッドには小さな身体が丸まっている。寝苦しそうな呼吸音が微かに聞こえて耳を澄ましてみると、どうやら魘されているらしい。息を荒げながら時折呻く姿は以前に見た発作を彷彿とさせた。
普段は別々の部屋で休んでいるため、魘されている所を見るのは初めてだ。
心配になり、テルの眠るベッドの縁へ腰掛け顔を覗き込むが目覚める気配はない。手を伸ばして額に滲む汗を拭ってやると、苦しそうな表情がいくらか和らぐ。その幼い寝顔は少年そのものだった。
『お前はすぐ情が移る――』
自分の声ではない言葉が頭の中で反響する。まるで心に芽生え始めた同情心を嘲笑うかのようだ。
不意に、テルの唇が震えた。
「…あ…さ、ん……」
掠れているが確実に聞き取れたうわ言は、寂しげな意味を持つ。額から手を離すと気配で現実に呼び戻されたのか、薄っすらと瞼を開き朦朧と泣き出しそうな瞳で見上げてくる。白島の顔を見て少年は安心したのか再び眠りに落ちた。
*
「ナルを捜すの、手伝うぜ」
どうせ休業中だしな、と付け足して白島はテルの向かい側へ座った。ミニテーブルの上へ軽食を並べると相手側へ差し出す。少年は寝起きでぼんやりと眠たそうに白島と机の上を交互に見つめた。
「赤猫のことは、どうする」
「…まだ本当の居場所が分からねえから、また向こうから手出しして来ない以上俺から殴り込みに行く訳にもいかないからな。対策を考えておく…それまで保留だ」
肩を竦めた白島は話題を変えた。
「そっちも急ぐんだろ?」
昨日の覗き見まがいの行動を冷やかして促すと、テルは一瞬罰の悪そうな顔で頷きサンドイッチを口に運ぶ。
相手が食べ始めたのを見、白島は手に持ったコーヒーカップを揺らした。
「じゃあまず、お前の持っている手がかりを全部教えろよ」
テルはゆっくりと咀嚼した後大きく飲み込む。
「…日本にいること、この街で運び屋をしている、こと……」
「それだけか…?」
得られた内容は先日聞いたことと全く変わらない。
「残念ながらそれは昔の話だ。アイツはもうこの街には居ない」
テルは二つ目のサンドイッチを取る手を一旦止め、些か落胆の眼差しを見せた。白島は続ける。
「まだ知りたい事がある。お前が飲んでいる薬について…」
今朝方、発作のように魘されていた事を告げるつもりは無かったが、薬の事は前々からはぐらかされていた事だ。その視線を受けてテルは考え込むように顎を引く。
沈黙のあと、意を決した様子でポンチョの中を探りテーブルの上へピルケースを置いた。それには見覚えがあり、過去に一度白島がテルから取り上げたのと同じ物だ。
「これは、体の成長をとめる薬だ。…10年以上飲み続けている」
「…!」
彼が口にしたことは白島の予想と真逆の物だった。テルが何かの病気を患っており、薬はその治療薬だと思っていたからだ。加えて10年という月日に驚きを隠せない。
テルはケースを眺めながらいつもより強い口調で先を続ける。
「だが、これからもこの薬を飲み続けることはできない。これが最後のストックだからだ。薬が切れると、恐らく俺は生きていられない。だから、鳴介が持っている、この薬の対抗薬を手に入れる」
「対抗薬とはつまり…成長できる薬か?それがあると生き延びることができるんだな、」
少年は頷いた。俄かに信じがたい話だがこれでテルの目的が明確になった。
透明なケースの中身は見るからに残量が少なく、時間の問題だということを納得するしかない。テルが運び屋として目立つような行動をしていた事も、限られた時間でどこかにいるナルの気を引こうとする為なのだと合点がいく。
「でも…なんだってそんな物を飲んでる…?」
テルはそれについて話すつもりは無いと首を振って黙秘した。
話を聞き終えた白島はひとまず、テルを連れてナルの行方を知っていそうな人物の元へ向かう事にした。唯一の心当たりである。
「アイツは、金を貯める為に運び屋になったと言ってたな」
車を走らせながら呟いた。もう殆ど思い返す事のなかった過去を辿り始める。
ナルという人物は、表社会で生きることが出来ない事情を抱えていた様子だった。お互いに仲は良かったものの、深く干渉することはしなかった。身を躱すのがとても上手い男だった。
二人を乗せた車が人通りの少ない、暗い路地に佇む古ぼけた店に着く頃には昼時を過ぎていた。
店の屋根に掲げられた「クリーニング」のネオンサインが斜めに傾き不快な電子音を立てて点滅している。店内は明るく営業中らしい。ガラス扉から伺えるカウンターには、頬杖をついた男が新聞を斜め読みしていた。
「いらっしゃい…」
来客に気づいた店主は奇妙な組み合わせの二人組をサングラスの隙間からジロリと見返した。
「いつぶりやったかなァ?」
わざとらしくとぼけた口調で千坂は白島達に笑いかけた。実に昨日ぶりである。
「今日はワザワザ、どのような要件で?」
「教えて欲しいことがあってな。昨日のついでに聴ければ良かったんだが…」
クリーニングを頼む、と破れ汚れたジャケットをカウンターに差し出し前置きをして白島は声をひそめる。
「ナルのこと、覚えてるだろ?居場所が知りたいんだ。…何か聞いてないか?」
「…。……ほぉ?何でまた、今になって?」
新聞を折りたたんだ千坂は訝しそうに後ろ髪を掻く。白島は隣にいたテルの頭にぽん、と手を置いた。
「実はな、こいつの兄貴だそうだ。探してる」
「……エエーッ!?」
ギョッとした顔で千坂は立ち上がるとカウンターから身を乗り出して少年の顔をマジマジと覗き込んだ。
「ホンマなんか…?この坊やが…⁉︎」
頷くテルに千坂は間延びした言葉にもならない声を出す。
「あ〜?確かに…何と無く面影が似てるような、似てないような……?」
「信じられねえよな…」
半信半疑と言った様子のまま、掃除屋の男は店先に置いてあった営業中の看板を中に仕舞うと白島達を店の奥へと通した。
ハンガーに吊るされた沢山の服の間を通り過ぎ、三人は小さな和室に腰を下ろす。千坂はちゃぶ台に置いてあったリモコンを手に取るとテレビの電源を入れた。画面にバラエティ番組が映し出される。
「確かにナルちゃんとは仲ようしてたからなァ。全く知らんことはないねんけど…」
弟だという少年を未だに疑うような視線で一瞥すると千坂は深く溜息をついた。
「僕もあの子が運び屋を辞めてから一切会ってなかったんよ。…あれは去年の暮れやろうか…。いつも通り依頼された仏さんを回収するはずやったんやけど…」
表向きはクリーニング屋の店主、裏稼業は掃除屋を生業としている千坂は流れるテレビの騒音に掻き消されそうな声量で語り始めた。
その時の依頼主はとある組織の構成員で、仲間内で揉めて殺してしまった死体を処理してほしいとの事だった。現場に到着すると、そこにはまだ依頼主達がいた。しかし、突如現れた謎の男達が依頼主諸共を襲撃し全員殺してしまった。
格好からして同じ組織の人間では無い。
――その集団の中にナルが居た。
彼は千坂に気がつくなり「こいつらは俺たちが始末する」と告げ、死体を車に押し込むと仲間と思しき面々と姿を消した。
「最初、ナルちゃんが殺し屋になったんやと思ったが……」
後日、依頼主達の事が週刊誌の片隅に載っていた。
【――〜組内部闘争か――】
「その少し後に耳にしたんや、この不可解な出来事がキッカケで本当に組織で内部闘争が始まって、すぐに壊滅したっちゅう…。いくらなんでも騒ぎを大きくするんは殺し屋のセオリーやない。別の組織の思惑の為に雇われてるんやないやろか」
場の空気に緊張が走る。千坂は自身の明るい栗色の髪を指先で弄りながら表情を渋めた。
「輩の出処は謎やで。どこに雇われとるのかは分からん…というか、恐ろしくて調べる気にもならんわ。あの中に偶々ナルちゃんがおったから、僕は情けをかけて貰ったような気がしてなぁ…」
一緒に消されるとこやったわ、と運び屋から目を離した千坂は再びリモコンを握りチャンネルを変えると少し声を大きくした。
「探すの、今はやめておいた方がええと思うけどねぇ…」
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