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28.Feint(陽動)
八熊の提案は、涼葉組自ら久留和製薬に商談を持ちかけるということだった。
いくつもの組合を束ねる涼葉組が彼らに手を貸す事でマフィアに莫大な利益が入るのを、今までの動きから予測するに、アンデゼールが一番避けたい結果のはずだと踏んでいる。
「奴らは今のところ、久留和を直接潰したくても潰せねェ、ネーロ一家によってガチガチに護られてるせいだな。…だが一家にとっても、アンデゼールは目の上のたんこぶだろう。俺達がアンデゼールを捕らえられれば、一家の土俵に上がって取引を持ちかけることができる」
八熊は今や裏社会の経済の一角を担っている。米国マフィアの日本進出は現在の市場を荒らされる危機があり、ネーロ一家を止められずとも、交渉の足掛かりが欲しいと説明する。
「こっちから商談を持ちかけたら、アンデゼールも焦るはずだ。久留和が更に大きくなれば、奴らの組織規模だともう一家を止める手立てがなくなるからなァ。
お前ェはアンデゼールにいるナルを捕まえて、俺は残りの連中を材料にする。屋敷を襲撃するよう誘い込めれば、屋敷の間取りを知ってるナルが来る確率が更に高くなる」
「それは、願ってもねぇが…。旦那がオトリになるって意味では危険すぎる…」
「大丈夫とはいかねェな…それでも落とし前つけさせる為にも、奴らに借りがあるンだ。構わねェよ」
「俺は賛成だ」
「テル…」
強い意思を放つ眼差しで八熊を見上げるテルの声に、白島は一瞬戸惑った。のんびり探せるほどの時間が無いのは確かで、此方から出向いたところでナルに会えるとは限らない。これは滅多に無い機会であるのは間違いないのだ。
「…、俺からも頼む」
白島は頷いた。
*
某日八熊邸、20時。
久留和製薬とインターネットでの会談が執り行われる運びとなった。
窓がない書斎には八熊と護衛の側近が2名、そして唯一の出入り口である扉の向こうには白島達を含む数人の護衛が待機しており、屋敷内の至る所には組員が配置されている。守りに徹底し圧倒的な動員数だが、アンデゼールに対する情報不足は否めない。屋敷は木造二階建ての日本家屋だ。相手が火器を扱えば、何処から攻められてもおかしくない。
時間通りに会談が始まり、少しも立たないうちに急に外が騒がしくなる。無線で仲間と連絡を取り合っていた近くの組員が白島らに戦闘態勢を促した。
「敵が来たようです!」
各々は武器を抜いて警戒する。陽動の可能性がある為、持ち場を離れる事は出来ない。
アンデゼールか他の刺客か、正面玄関を破壊する音と発砲音、敵か味方か、男達の断末魔が聞こえてくる。
「構えろ!」
指示のもと組員達は銃を向けるが人影は見当たらない。その瞬間、屋敷全体のブレーカーが落ちる。同時にコロコロと床を転がってきた物体が突然耳障りな高音と強烈な光を放った。光線を直接目の当たりにすれば暫くは起き上がることが出来ない。閃光弾をくらった組員はバタバタと廊下に倒れていく。白島は間一髪で少年の目を手で覆い隠した。
「ナルがよく使う手だ」
立ち眩んで動けない組員を、黒い戦闘スーツを着た何者かがスタンガンの様な武器で電撃を浴びせて倒していく。蜘蛛の様に目にも留まらぬ素早い動きで八熊のいる部屋へ突進する一人の男に向かって白島とテルは同時に襲いかかった。
「待ちやがれ!!」
体当たりをして男を捕まえると、勢いのまま部屋の扉を押し破り雪崩れ込む。
八熊達は既に隠し扉から退避した後で、室内には誰もいない。馬乗りに押さえつけた敵の覆面を剥ぎ取る。現れたのは白島の知らない男だった。
「何者だ、お前ら!」
「フッ…ッ俺たちはアンデゼール、正義のあ…ッ…」
男が言い終わる前にテルの放った銃弾が額を撃ち抜いた。男の手には自爆用の爆弾が握られている。気をつけなければ捕獲どころか、巻き添えを喰らってしまう。
屍となった男は確かにアンデゼールと口にした。釣り餌にかかったのは狙い通りの獲物である。
「奴は、鳴介は、本当にくるのか」
どこか焦りだしたようなテルの言葉の後に突如、八熊が逃れた方向から銃声が響いた。
予め知らされていた隠し扉から急いで地下へ降りると、部屋では側近の一人が主人であるはずの男に向かって銃口を向けていた。
八熊を庇ったもう一人の側近が、血の滲む肩口を押さえ膝をつき相方を睨んでいる。
「血迷ったか遊馬 ァ!」
「ち、違ェ、俺じゃねぇ…ッ体が勝手にッ」
拳銃を構える腕を小刻みに揺らす男は自分の行動が信じられないといった表情で震え、明らかに挙動不審だ。最も遊馬という側近は混乱に乗じて裏切る真似をするような人物ではない。八熊からの信頼も厚い。
「お頭ァ…逃げて、くださッ…」
引金が引かれると同時に飛び込み、鞘で弾を防いだ白島は遊馬を殴りつけた。彼は銃を手放し地面に伸び、気絶した体は動かない。テルが転がった銃を回収する。
「大丈夫か?!旦那!」
「あ、あぁ、だが南雲 が…」
「オレは構わねえ!運び屋、手筈通り若旦那を本社へ連れて逃げてくれぇ!」
肩を押さえつける側近の南雲に止血を試みるが、既に多くの血が流れた後だ。このまま放っておけば助からない。
「急げ白島、この部屋には敵が潜んでいる」
不審な気配を察知したテルの声で一同は周囲を警戒した。地下室は元々拷問部屋として使われており、今はブレーカーが落ちているせいで照明がついておらず暗い。この部屋へ入るには二つある出入り口のうち、両方とも八熊が所有する鍵を使用して潜入する他ない。今日の襲撃より以前に敵が何かしらの方法で侵入していたことになる。
白島は南雲から懐中電灯を借りて部屋を照らすものの人が隠れられる様な場所はなく、一見して敵の影は見つからない。
「こんな暗いんじゃ探すのも一苦労だ。仕方ねぇ…テル、旦那を連れて先導を頼む」
「了解した」
地下室から出ようと促した白島の背後でほんの微かに、彼だけに聞こえる音量で女性の声色が囁いた。
『拓人…白島拓人』
「…!誰だ!」
振り返ろうとした体は動かなかった。
「!?」
全身が硬直したかと思うと、己の意思とは関係なく刀を握る手が持ち上がる。懐中電灯が床へ落ち、代わりに鞘を掴んで刃を引き抜こうと力がこもった。自分の事なのにまるで客観的に眺めているかのような不思議な感覚に陥る。勿論刀は抜けない。
その一連の動作を見た八熊とテルは、彼までもが、先程の遊馬の様に体を乗っ取られた事を直感した。
「白島….!」
「しまった…ッ」
(――さっきの、名前か…!)
直接手を下さず、名前を呼んだだけで人を操る能力。返事をしてしまった事が仇となった。
「気をつけろ!敵はESPだ!」
能力の詳細は不明だが、精神に呼びかける催眠術の様な類のものだ。敵自らが此方に現れ攻撃してくる様子は無い。
制御不能となった己の体の自制を試みるも虚しく、白島の体は八熊めがけて襲いかかる。まるで、糸で無理やり引っ張られているかの如く自由が利かない。
護衛の側近は失血が酷く動けず、テルは白島に銃口を向けたが狙いが定まらない。
八熊は距離をとりながら何とか攻撃を躱すものの、刀を持った白島の戦闘能力とリーチの差から二発、三発と着実にダメージをくらっていく。
「くッ…シロ、ッ」
「旦那!構わねェ撃ってくれ!」
動揺しつつ懐の銃に手を伸ばしかけるが、操られてるとはいえ隙のない相手に払い落とされる。まさに言動が一致していない。
「俺は撃たれたくらいじゃ死なねえよ、テル!」
「やめろッ」
相方の名を呼んで催促した白島を今度は八熊が遮った。だが、間合いを詰めた固い漆塗りが容赦なく肋骨を強く打ち付ける。
しまったと思うには遅く、骨を砕いた感触が腕を通して伝わり罪悪感で胸が締まった。意識だけが正常なのがあまりにも残酷だ。刀から手を離したくとも指は微かに痙攣するだけで手加減すらできない。
「旦那!!!!」
後ろへよろめき血反吐を吐きながら八熊は愕然とする相手を見上げ頰を緩めた。
「その顔、最高だなァ」
「馬鹿野郎ッッ逃げてくれ!!!」
脇腹を押さえ蹲る八熊にとどめの一撃を与えようと振りかざした時、テルのいる場所から銃声が鳴った。途端に白島の体の力が抜け、カランと音をたてて鞘が滑り落ちる。
何が起こったのかと、八熊が音のした方を振り返ると部屋の奥、暗闇の中からテルが一人の死体を引きずって現れた。アンデゼールの物と思われる戦闘スーツのフードを取ると、長い髪の女性が現れる。
気配を探り、潜んでいた敵をテルが暴き出したのだ。
「ここには、恐らくこいつだけだ。もう他に気配は無い」
相方の賢明な判断により、まさに危機一髪という所で能力による催眠状態から脱した白島は大きく項垂れた。
「すまない、旦那…、…」
八熊の元へ駆け寄ると、先程通って来た階段から足音が降りてきた。
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