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29.NULL(ナル)
「二人も失ったのは痛手だよ」
足音と共に地下室に新たな敵が一人現れる。落ち着いた声の主は、血塗れの戦闘スーツを纏った細身の男だった。暗がりでも分かる程、衣服から滴る血液の量でいったいどれほどの人間を手に掛けたのか物語っており、アンデゼールの襲撃により騒がしかった屋敷内もいつの間にか静けさを取り戻している。この男の侵入を許してしまった時点で、涼葉組にはもはや動ける人間は居ない。
その状況を理解した一同は息を呑む。白島とテルは八熊達を庇うように立ちはだかった。
「ウチは少数精鋭の部隊なんでね」
言いながら男は運び屋達の前で立ち止まると覆面をとってみせる。露になったのは黒い瞳と黒髪の、少し日本人離れした顔立ちの青年だ。
「ナル…」
「久しぶり、拓人」
白島の記憶と寸分違わずの姿で現れた人物――照屋鳴介は、奇妙な程青白く生気のない眼差しで微笑んだ。
「探してたんだぜ、お前を」
「…そうみたいだね。でもこんな形では会いたくなかったよ」
周囲を一瞥したナルの興味は本来の目的である八熊ではなく目の前の少年に向けられていた。見つめ合いながらテルは強張った表情でゆっくりと踏み込むと、ポンチョの中から銃を取り出す。
「鳴介」
彼の手に握られていたのは白島と初めて会った時、鞘を壊すために使ったあの銀のリボルバーだった。
「お前を殺す」
その銃身を見るなり大きく瞬きをしたナルはくつくつと喉を揺らしたかと思うと場に不釣り合いな笑い声を上げた。
「報告を聞いたときは耳を疑ったけどさ、まさか本当だったとはね!何の因縁なんだろう、拓人がソイツを連れてくるなんて」
出向いた甲斐があったよと、一頻り嘲笑った男はテルに対し途端に憎しみで顔を歪めた。
「あの外道の穢れた犬が」
目にも留まらぬ速さで銃を構えたナルは少年に照準を定める。お互いに武器を向け合う緊迫した空気に、白島は反射的にテルを守る様に二人の間に立ち塞がるが、困惑を隠せないでいた。
テルの目的はナルから対抗薬を手に入れる事のはずで、その願いが成就されることに越した事は無い。しかし且つての相棒だった男が殺される所を見過ごせるはずが無い。
その逆も然りだ。
「その様子だと案の定、何も聞かされていない…か」
白島の面持ちに気付いたナルはふ、と鼻を鳴らしテルの幼い容姿を足先まで見回すと哀れみに似た眼差し向けた。
「響介、俺を殺した所で薬は手に入らないぞ」
「…!」
銃を構えたまま少年は瞳に動揺を映す。
「あれから何年経ったと思ってるんだ?不老薬はもう完成したんだよ。お前はずっと騙されてる、所詮あの男の良い捨て駒さ。全く…惨めで涙がでるよ」
ナルは片手でわざとらしく涙を拭う仕草をした。
「殺しの褒美に対抗薬を渡すとでも吹き込まれたんだろう?奴らはそんな薬はもう作っていない。俺が奪った分も始末した後だ。お前はどのみち助からない」
二人に衝撃が走った。白島の中でブランクの声が重なる。
『――あの少年は、どのみち死ぬ運命ですよ』
「例え対抗薬を飲めたとしても治るはずが無い。俺と違ってあの薬を投与した時間が長すぎるんだよ。薬が切れるとアポトーシスの狂った体はやがて細胞が崩れ続け、皮膚が腐り落ちて死ぬ…せめて苦しまないようにここで殺しておくのが、兄としての最後の義理だ」
テルの心に瞬く間に絶望が染み渡っていった。リボルバーを構えていた腕がだらりと下がっていく。ナルの言葉が真実ならば今までのテルの、兄を探し続けてきた10年間を否定された瞬間だった。
否、10年もの間、悪足掻きをし続けていた事実に気づかないふりをしていたのだ。騙されていると分かっていても尚、鳴介を探す事が、テルが生かされていた理由だったからだ。しかし、こうして再会を果たしたことで漸く現実を受け止めなければならない。
喪心した弟と対峙する兄は銃のセイフティーを外す。小さな身体の前で立ちはだかる男は刀を構えた。
「一体、どういう事だ…」
「…昔のよしみとソレの面倒を見てくれた礼に一つ教えてやるよ」
白島に狙いが向いても構わずナルは淡々と告げた。
「俺たちの父親はダニオ・デ・ラウロ・フィオリーノ。ネーロ一家の最高幹部。マフィアだよ」
「ネーロ一家…?!」
テルの方を見下ろすと、少年は顔を伏せって影を落とした。
次の瞬間、容赦なく攻撃を仕掛けてきたナルに白島は応戦した。相手は不機嫌の色を濃くして銃を持つ反対側の手にサバイバルナイフを取り出し接近戦に持ち込んでくる。
「なぜ庇うんだい」
「納得、いかねぇからだ…ッ」
「だったら、救えるのか?」
救う、そんな手立てがあるのかさえ分からない。二人が組んでから周囲を取り巻く環境は大きく変わった。それでも白島は何度もテルに助けられたのだ、相棒として。お互いに助け合うのがパートナーだと、テルに説いたのは己自身だ。
それすらも、ナルは指摘する。
「同情だけで響介は救えない。余計なお節介だよ」
だとしても。
「知らなかったとはいえ、やすやすと見捨てられるようじゃ…相方失格だろうが」
その言葉にテルは目を丸くし白島の背中を見つめた。リボルバーを握る手が緩む。
「お前はすぐ情がうつる…」
深く眉根を寄せたナルはまるで手品のように左手に銃を出し二発続けて連射した。狙いは白島の後ろに向いている。少年は硬直したまま動かない。
「テル!!!!」
「母さんの死を償え」
白島はナルへ背を向け、一目散に弾道に飛び込んだ。弾は二発とも胴体を貫通し、衝撃で少年に覆い被さるようにして倒れ込む。
抱き締められた腕の中でテルが目を開けると夥しい量の鮮血が男のシャツを濡らし始めていた。
「しろじ…ま…、」
「拓人…ッ!!」
白島の咄嗟の行動はナルの脳裏に浮かぶ四年前の姿と何も変わっていなかった。忌々しさと怒りが段々とナルの心を揺らす。
(——大人にもなれない悪魔の出来損ないをかくまう事に、お前にとって何の意味がある?)
「どけよ拓人おおお!!!」
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