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30.Memory(記憶)
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照屋グループによる関連企業は経営難により衰退の一途をたどっていたが、そこに目を付けたのは一代で地位を築き上げた米国の医療系企業の実業家だった。男の本名はダニオ・デ・ラウロ・フィオリーノ。米国で幅を利かせるイタリア系マフィア、ネーロ一家の最高幹部という別側面を持つ。照屋家の一人娘を喜んで差し出した社長が、男の裏の顔を知ったのは病に伏せた後のまさに死に際の事である。照屋家の令嬢であった照屋奏 は彼との間に二人の息子を授かり、夫が付けた名前とは別に兄弟に和名を与えた。
それはダニオの本性を知った奏の反抗心でもあった。
「彼はあの子達を跡取りではなくマフィアの殺し屋として育てているわ。外にも出さない、学校にも行かせない…!まだ小さいのに銃なんかもたせて…気が狂ってる…!」
鳴介と響介が成長するにつれ、奏は米国の屋敷内で閉鎖された空間の異質な生活にヒステリーを起こすようになった。照屋家から共に来た一人の執事が彼女の唯一の心の支えだった。
執事と共に日本に帰る手筈を整えようとしたものの、脱走の企てもネーロの監視役の密告により失敗に終わり、執事は奏を庇い兄弟の目の前で主人によって射殺された。
「いいかい、私に逆らう者はみんなこうなるんだ」
地面に転がる屍をつま先で蹴り、顔色を変えずに銃をしまう父親に兄弟は震え上がった。
「あなたは悪魔よ!!!」
絶叫した母親が屋敷内へ連れ戻されていく光景を見て学ぶ。
(――この男には逆らえないのだ)
殺伐とした日々を送る中で、いつものように狙撃の訓練に連れ出された鳴介と響介の前に縛り上げられた数人の男達が目隠しに猿轡を咬まされた状態で投げ出された。
動物ではない、紛れもなく人間だ。
まるで練習のほんの一部だと言わんばかりに、少年たちの手にはいつの間にか実弾が籠められた拳銃が与えられている。組織の幹部である父親が二人の肩に手を置いて言い聞かせるように囁いた。
「これは悪いことをした人間に裁きを下す儀式だ。私達一家には世間とは違うルールが存在する。歯向かう者を野放しにしてはいけない。裏切り者には死を与える、これが私達の絆となるのだ」
「やめなさい!!駄目よ!!撃ってはだめ!!」
「その女を押さえていろ」
話を聞きつけ、止めに入った奏を部下が捕らえ安定剤を吸わせている。ダニオが兄弟たちに指示する命令をどこからか聞きつけた奏が止めに入るのは、もはや恒例となっていた。
そんな日々を過ごすうちに、響介の心の中に二つの罪の意識が渦巻く。母を裏切る罪と父を裏切る罪の、どちらが重いのだろうかと。
家族とは名ばかりで、父のいう絆というものは存在しない。あるのは恐怖に支配された世界だ。父に対し兄の顔が嫌悪に歪むのを見逃さなかった。
「怯えなくていい、君たちは正しい事をしているのだ。私の言うことを聞きなさい」
兄弟を心配し泣き叫ぶ母親を、安心させてあげられる日はきっとこない。
響介より2つ年上の鳴介は、彼女に対し柔和に笑んで見せた。
「大丈夫だよ、母さん」
褒美だと、父親である男は言った。
言いつけを守った報酬にどんな病にもかからないようになる特別な薬をくれるという。
それは褒美という甘いものではなく、断れない命令だった。毎日その薬を飲み、週に一度町へ送られ身体検査をされる。
その時から兄弟の時間は歪んでいった。
生きるためには男の機嫌をとらなくてはいけない。母に心配をかけまいと秘密を増やしていけばいくほど、彼女はどんどんとやつれていく。
「母さん…」
車椅子に座り窓際で夕涼みをする奏の部屋に入り、響介が夕食だと呼びかけると、彼女は力なく微笑み首を振った。もう暫くの間食事を拒み続け、医者にかかることも嫌がっている。
心の病だと、兄弟は言い聞かされていた。
「今日は、1人で銃を組み立てられるようになったんだ…」
彼女が嫌う話だとしても、他に気を紛らわせられるような話題など知らなかった。遊ぶことは愚か勝手に外へ出ることもできない。偏った勉強と訓練、決められたことをこなすだけの毎日。段々と会話も減り、心労と栄養失調ですっかり弱ってしまった奏は立ち上がれず、兄弟を見守ることしかできなくなっていた。
響介は近くのテーブルに新調したばかりの銀のリボルバーを置いて見せた。グリップにはフィオリーノ家の家紋が彫られている。
ぼんやりとそれを見据えた奏は笑顔を作ったまま少年の頭に手を伸ばしかけたが、諦めたように腕を下ろした。
「あなたは人を殺す事で価値を魅入られてしまったのね」
凛とした落ち着いた声色が窓から入り込んだ凩と共に響介の中をひんやりと吹き抜ける。
「私は何もできなかった…間違いを正す事ができなかった…。あなた達はこれからずっと、あの男の人形として生きていくのよ」
何かを悟ったような口調で息をついた奏はテーブルの銃を手に取ると響介に手渡し握らせた。
「母さんを撃って」
部屋を照らす赤く濃い光が徐々に夕闇色に染まり母を引きずり込んでいく。酷い胸騒ぎが少年を駆け巡った。
「私はもう…長くないわ。彼に葬られる前に、あなたの手で眠らせてちょうだい…だからこれで最後にするのよ。私で最後にするの」
「かあさん…?」
(――母さんは何を言っている?)
長くない、それは残りの命の短さを指す。命じられるまま命を奪い続けてきた響介にとって死とは身近なものだった。しかし、母親を自らの手にかける事の重大さは、幼い少年にも理解できていた。
混乱する響介の手を包み、銃口を自身の胸に当てた奏は真剣だった。
「何もかも手遅れになってしまったの…。誰にも止められない…。もう二度と、大きくなれないのに…。こんなの、もう…堪えられない」
弱い母親でごめんなさいね、と、奏の黒い瞳から涙が溢れていく。
慌てて銃を取り上げようと腕を引くが、少年を押さえる掌は驚くほど冷たく力強かった。
「これから誰かを殺す度に私を思い出しなさい。命を奪うという事はとても重いこと、決して忘れてはいけないこと。そしてあなたが生きていく上で背負う罪を母さんが全て引き受けるわ。響介、覚えておくのよ」
「だ、だめだ母さん…っ」
「これがあなたの為に最期に出来る事だから…」
首を振って拒もうとも、身を以て命の大切を伝えようとする彼女の意思は揺らがない。
どうしてこうなってしまったのか、少年には分からなかった。母の望みである幸せに暮らすという事がどういう事なのか、その知識でさえ欠如していた。
どちらかの力によってゆっくりと引き金が引っ張られていく。
「二人とも、愛してるわ」
「待って、まって、ごめんなさ」
つん裂くような破裂音と共に彼女の手がだらりと垂れ下がった。呆然と、トリガーに引っかかったままの自分の指を見る。
(――俺がやったのか?)
違う、俺じゃない。そう言い聞かせたくて凶器を床へ落とし車椅子の背もたれに倒れて動かなくなった母から一歩ずつ後ずさる。
音を聞きつけた鳴介が部屋に飛び込んできた。その後ろにはあの男が立っている。無惨な光景を目の当たりにした兄は瞬時に状況を理解すると、弟に詰め寄り胸ぐらを掴んだ。
「殺したのか…?!母さんを…!!」
「あ、ちち、違、か、かあさんが、撃ってって、お、」
なんとか母の意思を伝えようにも己の仕出かしてしまった罪の重さを知り、これから与えられてしまうだろう罰に怯え頭が真っ白になった。
「お前が撃ったんだろ?!何で!?」
「母さんが、俺に持たせて、そしたら、」
凄まじい剣幕で怒鳴り腕を振りかざした鳴介の肩を掴んだ男はもう一つの名で兄を窘めた。
「やめなさい、フィデリオ」
静かな低音は感情を一切含んでいない。その声に操られるように大人しく従い響介を突き飛した鳴介は、止めに入った父親に対して信じられないとばかりに怒りの形相で吠えた。
「どうして…!!!」
何も答えずに男は、床へ座り込む響介と奏の亡骸を一瞥してから事務処理のように使用人を呼び、部屋を後にした。彼女を憐れむ涙も息子を叱る声もない。
その背中に噛み付かんばかりに叫んだ鳴介は落ちていた銀色の銃をドアに向かって投げつけた。
「あんたは、アンタは狂ってる!!!!」
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