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33.Give away(与えるもの)

残り少ない余命を受け入れた表情をする相手の小さな体に触れていた白島は、テルを死なせたく無い、死なせないという決心を固くする。 地下室で問いかけられた「救えるのか?」というナルの言葉。その手立てを必ず見つけなければならない。 「行きたい所がある…」 ほんの僅かな望みに縋る思いで車のエンジンをかけると、ある目的地へと向かう。 1時間ほどで到着したのは早朝の濃い霧に包まれた町外れの住宅街の中、寂れた白いレンガ張りの大きな家だった。テルは車を降りた白島の後に続いた。 「ここは…」 「…診療所だ」 そう聞いてテルの足が止まる。警戒する少年に振り返ると「心配いらねぇよ」と付け足した。 「俺の実家…だ」 家は外装に反して中は清潔感があり「夜間診療」と書かれた貼り紙がある。受付や待合室には誰もいないが、白島は気にせず奥へと進んでいく。診察室の扉を開けると白衣を着た一人の老人がパソコンに向かっていた。 来客に気づいた医者は老眼鏡をずらすと些か驚いた面持ちで二人を見るなり、口をもごつかせた。 「拓人…お前、暫く会わん間にガキまでこしらえてしもうたのか」 「こしらえてねえよ!!仕事の相方だ相方!!!」 ボケをかました老人は白島の育ての親で名を景造といい、この界隈では名の知れた闇医者だという。白島は彼に助力を求めてテルの体と薬のことを大まかに伝えた。 話を聞き、驚きながらも景造はテルを診察し始め、白島が指示するならと少年は大人しくそれを受け入れた。 「面白い話じゃが、マフィアが大金を積んで最先端の技術で何年もかけて作った薬の事なんてワシが解るはずなかろうて…」 「…分からなくても、何とかしてやりたいんだ…」 例の薬が入ったピルケースを眺めていた景造はそれを持ち主に返すと、顎髭を撫でながら暗い表情で二人を見つめた。 「一つだけ方法があるかもしれんが…」 「…俺の血を、輸血する」 「そうじゃ」 それを試すつもりできたと、白島は診察台へ座るテルの隣へ腰かける。景造もテルと向かい合って話しかけた。 「拓人の体質は知っておるんじゃな?」 頷く。 「理由は分かっておらんが、こいつは生まれつき体の修復能力が異常に高い特殊な体質を持っとる。わしは便宜上、再生細胞と呼んどるがの。 昔、ある患者に拓人の血を輸血して治療したら患者の傷が瞬く間に治った事があってな。それどころか、治療が不可能だった臓器のダメージまで完全に元どおりになっとった」 白島の血は、他人に輸血をすることで一時的に再生能力までも譲渡される。と景造は説明した。 「傷や病ならそれで問題なく治せるじゃろう。しかしテルくんの身体に上手く作用するかは…試してみない事には分からんのじゃが」 前例が無いからの、と老医者は首を傾げて唸る。 「治療としては、テルくんの血液を少しずつ抜き取っては拓人の血を輸血する。その繰り返しじゃ。いつまで繰り返すことになるのか、効果が出るのかも分からんぞ。治癒力を高める再生細胞が自ずと体を正常なバランスに戻してくれる…それに賭けるしかあるまい。それでも試すかの?」 テルは思わず白島を見上げた。彼の表情は、助ける事は当然だと言わんばかりだった。 (先程、死を受け入れたばかりの自分とは違いこの男は諦めていない) 試したい、とテルは思う。最期まで白島と居たい――それを伝える事が出来たからこそ、手を差し伸べて貰えた可能性だ。 「いいのか」 「死なれちゃ困るって言ってんだろ…」 隣に座る男の好意的な言動に裏など無い。施し、齎らし、見返り、与える…そのような感情で動いていない。ただ心の思うがままに人を助けようとする、お人好しなのだ。 「ありがとう、」と返事をしたテルを見て白島親子は顔を見合わせ頰を緩めた。 「本当にお前さんたちは、なるべくして組まされとるように思えてくるのぅ」 景造は重い腰を上げて立ち上がり早速準備に取り掛かる。 輸血を終えた後、テルの身体に異常は見られず、一先ず処置は成功した。 「どうだ…?」 尋ねられて注射針を当てた腕を軽く動かしてみるが、特に違和感を覚える事は無い。 「問題ない」 「…ふむ、すぐには効果は現れんようじゃな。数日様子を見たほうがええじゃろう。暫くここに居ると良いぞ」 「安心しろよ、爺さんの口は堅いからよ」 「どうかの、闇医者の事は信用せんほうがええぞ」 「それより爺さん、何か食えるものねぇか…朝まだなんだよ」 「買って来んと何もないわい」 「…まぁた弁当の宅配に頼ってるのか…」 一連のやり取りを側で見て、テルは新鮮に感じていた。普段とは違う白島が発する気配、緊張も警戒もしていない。彼がここまで心を許しているのは、景造が父親だからだ。血が繋がっていなくとも、親子となり得る。 「テル、ついて来い」 診察室から出た白島は家の二階へ上がって行く。二階から三階は生活スペースだ。キッチンへ向かった白島は真っ先に冷蔵庫を開けるが、目ぼしいものは無かったようで舌打ちをした。 テルは後ろへ続いてキッチンと隣接したリビングを眺めた。白島のマンションとは違い、かなり物が散らかっている。 棚の上には埃を被ったフォトフレームが幾つか並んでいた。 (――ここには自分の知らない、白島の過去がある) 白島の体質を知る人間はどれくらいいるのだろう、その疑問はテルの中で一つの確信に辿り着く。 今まで再生体質を秘密にしていたという事は、知られる事にリスクがあるに違いない。輸血で傷や病が治るのなら、白島の血を欲する輩が現れてもおかしくない。 白島は部屋から出るつもりか、ジャケットを羽織り再び階段を降りていく。その背中を呼び止めた。 「赤猫は、お前の体の事を知っているんだな」 そう探る様に投げかけると、彼は動きを止め頭だけで少し振り返った。 一拍を置いて再び前を向いた白島は煙草のケースを取り出すが中味が空だったのか、すぐにポケットへ戻した。 「…だろうな。アシバが一度生き返ったのとどうやら関係がありそうだ」 そう言って玄関へ向かって歩き出す。 「あんまり気にすんなよ。それより飯が先だ」 「どこへ行く」 「材料の買い出し」 テルは閉まった扉の方を見つめ鋭く目を細めた。 * 「具合はどうですかい」 「おう」 襖を開け盆に白湯と薬を乗せて持ってきた八熊の側近、南雲は、主人が寝込む布団の傍へ座った。彼の肩にも包帯が巻かれているが、僅か数日で瀕死の状態からここまで回復したこの男も中々タフである。 「遊馬はどうしてる」 「ヘイ、屋敷の手入れに」 もう一人の側近である彼は、操られていたとはいえ主人を手にかけようとした挙句兄貴分である南雲に怪我を負わせた罪悪感で酷く傷心し、正気に戻るやいなや、自害すると言って聞かなかったのを二人してなんとか引き止めた所だった。 南雲は八熊の身体を起こすのを手伝うと胡座をかき、秘書が置いていった被害報告の書類に目を走らせた。 「随分やられちまいましたね」 「…その分収穫もあったさ」 湯呑みをとった八熊は薬を口に含みゆっくりと嚥下すると息をついた。 「南雲、先代が死んで何年になる」 「三年でさぁ…」 残った白湯に写り込んだ自分の顔を眺めながら男は淡々と説明し始めた。 「その間に、元々爺さんの相談役だった鷲本のジジイが四龍会を立ち上げてから組の者が随分取り込まれた。どうやら…今回の騒動に乗じて俺を消すつもりだったらしい」 「まさか…!」 「そうさ。四龍会に取り込まれた奴も警備の中にいたろうが、照屋鳴介はそんな事ァお構い無しだ。おかげで不穏分子諸共、一掃されちまったな」 あくまで涼葉組の傘下である四龍会は、八熊三七郎の孫である黒雪のやり方に反感を成した古株達の集いである。互いに正面衝突は避けてきたが、四龍会がとうとう暗殺に踏み切ったのだ。 地下室のセキュリティが破られていたのはアンデゼールではなく内部の裏切り者の仕業であり、彼らもまた便乗した形にすぎない。 例えアンデゼールの襲撃が無くとも八熊を殺すつもりで率先して人員を用意した四龍会だったが、結果はご覧の通りである。 暫くは大人しくなるだろう、そう言って小さく喉を揺らした八熊は締め切った障子窓の方へ視線を移した。 「目論見通りアンデゼールの一味を捕らえた事でマフィアと交渉する材料が出来た。死体が二つに生きたままの捕虜が二人、しかもナルは幹部級だそうじゃねェか。これ以上ねえ収穫だ」 そっから被害分を丸ごと補ってやるさ、とほくそ笑んだ男に側近は苦笑した。昔から彼の悪どいやり方は折紙つきだ。 「それに…」 と、続けて八熊は白島のパートナー、照屋鳴介の弟だという少年を思い浮かべた。 (――あいつの弱みだって手に入れたことになる) これも思いがけない収穫だ。 言いかけて黙った腹の内を察してか、南雲は釘を刺した。 「それにしても…あの運び屋に入れ込みすぎてやしませんかィ…」 心中を読まれた八熊は口角を下げる。これも付き合いの長さ故だ。 南雲は真剣みを帯びた口調で軽く咳払いをするとサングラスのブリッジを押し上げた。 「もう諦めてオレにしやしょうや」 「天と地ほどの差があるわボケナス!」

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