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第2話

翌朝の社内は新入社員を迎え入れたこともあり、いつも以上に忙しくまた慌しかった。 辺りは異様な緊張に包まれ、新入社員達の不安と期待とがこちらにも身体全体にひしひしと伝わってくるようだ。 そんな中で始められる会社の朝礼。 それぞれの部署では月初めに部長を筆頭に朝礼を始めるのだが、いつもは退屈そうにしている社員も今日ばかりは目を輝かせている。 今日は朝礼と共に新入社員の紹介があるのだ。 真新しいスーツ姿の新入社員に、時折女子社員の黄色い声や男子社員の漏らす呟きが聞こえる。 やはり仕事場であっても素敵な男性、可愛い女性には目を奪われてしまうものなのだろう。 その様子にため息をついて俺は顔を伏せた。 (こっちはそれどころじゃ無いって言うのに…) 今日ほど会社に出勤することを苦に思ったことは恐らく無い。 朝からただでさえ憂鬱だった気分に拍車を掛けたのはこの一室に足を踏み入れてからだ。 「小杉山……」 『彼』を一目見て自然と発せられたその名前。 どこか着慣れず不格好な他の新入社員とは明らかに違い、その着こなしは完璧と言う他なかった。 180センチを優に越えると思われる長身にダークスーツはよく映え、スラリと伸びた長い脚を強調している。 多少神経質そうに見えるのはスーツと同色の黒縁眼鏡を掛けている所為か。 けれども厚いレンズの奥には鋭く射るような瞳が存在し、その威圧的な風格に思わず声を出す者もいた。 「あのダークスーツの人、本当に新入社員なの?格好といい、雰囲気といいとてもそんな風には見えないけど…」 「小杉山とか言う人でしょ?なんでも前に働いていた一流企業の会社からわざわざこっちに転勤してきたらしいわよ。若い割には結構なやり手で、この会社に入ったのは引き抜きに合ったからとか」 「へぇー。本当にあるんだそういうのって」 隅でコソコソと会話をする社員の声を聞きながら、俺はずっと彼を見ないよう心がけた。 引き抜き…本当にそうなのだろうか。 意気揚々と一人喋り続ける部長の話などもはや誰も聞いてはおらず、むしろ皆の注目は小杉山の方に向けられている気がした。 当の本人は一体今どんな表情で何を見ているのかなど俺には分からなかったが、分かりたくもない。 長い朝礼の中で俺達が目を合わせることは、ついに無かった。 暫くしてようやく部長の長たらしいお小言も終わり、それぞれが散り散りとなって席に着き自分の仕事に取り掛かる。 俺もそれに続くようにして自分のデスクに着つくと真っ先にパソコンの電源を入れた。 カタカタ…とパソコンの起動音が聞こえる。 彼と同じ室内に、しかも生活の大半を共にするなど自分には到底堪えられないと思っていたのだが、せめてもの救いは俺と彼、小杉山とのデスクが大分離れているということだった。 俺は課長だが今の小杉山は入社したての平社員であるため場所は遠く、頑張れば一日彼の顔を見ずに済むかもしれない。 我ながら何とも女々しい発想だとは思ったがその事実にほっと胸を撫で下ろし、デスクに昨夜置き忘れていた新入社員名簿を改めて手に取った。 数枚にわたり新入社員の名前と簡単な経歴が記載されている。 俺はその内小杉山の資料に何気なく目を通していた。 【小杉山 崇弘…鳳高校を卒業後、W大学に進学。大学卒業後に大手一流企業○○会社に就職】 高校名に一瞬ドキッと俺は動揺した。 小杉山にとっての母校だが、俺にとってもこの鳳高校は母校なのだ。 懐かしい文字に昔の記憶が蘇る。 もちろん高校時代での楽しい記憶は山ほどあるがあの三年間は楽しいことばかりではなかった。 俺にはどうしても思い出したくない思い出…いや、思い出なんて生易しいものではない。 今でも身体の奥底に根強く残す深い傷痕。 それはもはやトラウマのようなもので一度疾患を持ってしまえば最後、もう治ることはなく、十年以上が経っても周りを腐敗させながら徐々に自分を侵していった。 時が全てを無かった事として綺麗に忘れさせてくれると信じていたのに。 月日を重ねるごとに記憶は薄れるどころか逆に鮮明とし、当時の俺と彼の関係はリアルなまでに俺の人生に大きく影響を与えていることを実感させられた。 『はっ……あぁっ、…やめ、ろ……放せっ!』 『逃げるなよ界斗。お前の此処、凄いビクビクして吸い付いてるぜ…?』 組み敷かれて、低音で耳元に囁かれたのは卑猥な言葉ばかり。 助けを求めるように空に伸ばした腕も引き戻され、思うが儘に弄ばれ…。 乾燥した教室に響き渡る場違いな水音。 二人分の吐息が混ざり合う。 絶望の淵で霞んだ目を窓に向け外を見てみると、空中にはふわりふわりと舞い踊る白い雪が降っていた。 その日は、いつになく寒かった。 凍える身体を無理矢理開かせて肌を重ねられ、もう何も考えられなくなっていた。 それが友人としての関係が壊れたきっかけ。 十二月を間近に控えた高一の冬の出来事だった。

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