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第11話
俺がふとデスクから顔を持ち上げ、気付いた時には辺りがもう真っ暗になっていた。
午後から集中して休憩も取らずにぶっ続けで仕事をしていたため、時間の感覚が鈍っていたのかもしれない。
卓上時計を見てみると時刻は七時過ぎ。
辺りを見回し社員が誰もいないことに妙に納得した。
今日は休み前の出勤日だったので定時どおりに帰る人が多いのだろう。
一通り仕事を終え、デスクを片付けようとした時、スーツの胸ポケットが振動する。
ポケットの中に指を入れ、中から携帯を取り出すと、宏実からのメールが来ていた。
【本文:セントラルホテルの一階ラウンジバーで待ってる】
文脈は粗放としてはいたが、それだけで充分だった。
名残惜しげに携帯を握り締め、やがて折りたたんでポケットに納める。
「課長」
机を覆った黒い影と上から降りかかる声に初めて目の前に人がいることに気が付いた。
その人物に眼をやるより先に俺の机の上に書類の束がバサッと乱雑に置かれる。
「一応全部終わったけど念のためチェックしておいてくれ」
小杉山は俺にそう言うと鬱陶しそうに眼鏡を外し、俺のデスクに腰掛けた。
「おい。机に座るな」
「んな細かい事でごちゃごちゃ言うなって。ちゃんと仕事はしてるだろ」
内ポケットから煙草のケースを取り出し、左手で器用にスッ…と一本だけ持ち上げ口に咥える。
そしてもう片方の手ではジッポライターの蓋を親指でピンと弾く。
シュボッという音と共にライターに火が付いた。
「…煙草、吸うのか」
風もないのにゆらりと不安定に揺れ動く炎をちらりと見てその視線を渡された書類に向けながら俺が尋ねると、小杉山は咥えた煙草をライターに近付けジリジリと燃やし、ライターの蓋をカチンと仕舞った。
煙草を吸い、一旦口から放すと白い煙を吐き出す。
一気に周りが煙草の臭いで充満する。
長い指との間に煙草を挟んで吸う姿が嫌なくらい様になる男だった。
「吸っちゃ悪いかよ。今時煙草を吸うくらい珍しくもなんとも無いだろう。お前は吸わないのか?」
「あまり好きじゃないな。それよりこの仕事、今日だけで終わらせたんだよな?」
書類を捲っていく内に、彼が本当に優秀なのだということがすぐに伺えた。
その量と内容の濃さに感心させられる。
実の所、小杉山が一流企業に入れるような人物だとは俺の記憶の中では想像も出来なかったので引き抜きの噂も半信半疑であったのだが…。
この分なら俺が教えることもなさそうだ。
「それじゃあとはこの書類をコピーすれば終わりだから今日はもう帰っていいよ」
書類を手に抱えて席を立ち、すれ違いざまにそう言い残して俺は印刷室の方へ移動する。
個人的な付き合いなら勘弁だが、仕事のパートナーとしてはひょっとしたら悪く無いかもしれないな、と考えるようになっていた。
いずれは過去を過去の事として、いい加減割り切れるようにならなければならない日が来るのだから、これはその良い機会なのだと思えばいくらか気が楽になる。
今日の、エレベーターでの出来事は確かに驚いたけれども。
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