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第44話
「修介っ、気を遣わなくていいんだよ!彼女もう帰るから」
背後から景に呼び止められるけど振り向かずに、屈んでスニーカーの紐に指をかけた。
「違うねん。大学に出す課題、明日までだって友達から連絡来て、俺すっかり忘れとって。早よ帰ってやらんと間に合わへんのよ」
よくこんな見え透いた嘘がスラスラ出てくるなと呆れたけど、景はそれを信じたようだった。
「そう、なんだ。じゃあまた今度ゆっくり」
「あのさ」
靴紐を結び終えて立ち上がり、景の方にくるりと体を向けた。
心配そうな面持ちで俺を見つめる景の大きな瞳と目が合うと、なんだか涙が出そうだった。
「年末年始、忙しくなるんよ。バイトもシフトたくさん入ってて、大学の課題もやんなきゃやし……だから、当分連絡せんでええよ?」
俺は笑いながらそう告げた。
忙しいのは本当の事だ。バイトも大学も、毎日何かしら用事がある。
でも、景と電話したり会ったりなんて時間を見つければいくらでも出来るのに、棘のある言い方をしてしまった。
景は視線を落としたまま黙り込んで、何かを考えている様子だった。
少しの沈黙の後、景はにこりと微笑み、いつものように顔を少し傾けた。
「そっか、飲み屋だし、大学も色々あるから大変だよね。分かった。修介に連絡するのは控えるよ」
あ、景、いま演技した。
なんとなくだけど、そう感じ取った。
こんな俺の態度、本当は気に食わない筈なのに。
やっぱり視線を合わせないまま、俺は頷いた。
彼の事、傷つけたかもしれない。
でも言ってしまった以上、後戻りは出来ない。
今更後悔しても遅いけど、景とはあんまり会わない方が良いんだ。
景といると、いろんな感情が混ざりすぎて、俺が俺で無くなっていく。
好きだという気持ちも、加速し過ぎてもっと酷い事故を起こしそうだから。
「そうや、グラスほんまごめんな。今度、ちゃんと弁償するから」
「そんなのいいよ、安物だし。下まで送るよ」
「ええよ、一人で帰れるから。じゃあね」
俺は逃げるように玄関のドアノブを押して外に出た。
ゆっくりと元の位置に戻っていく重いドアを、手でノブを掴みながら外側から体重をかけて、はやく、はやく閉まれと強く押した。
「……修介っ……」
ガチャ、と音を鳴らしてドアが完全に閉じる少し前に景の声が聞こえたけど、俺は気付かないふりをしてその場を後にした。
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