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第57話
「もうここらへんでええで。景の家遠くなってしまうやろ。家の人も心配すんで」
「実は今日、友達の家に泊まらせてもらってて。だから大丈夫だよ。本当にここでいいの?家まで一緒に行くけど」
「ええよ。うち、ここずっと真っ直ぐ行けば着くし。景はいつまでこっちにおるん?」
「明日のお昼にこっちを出る予定かな。もう少しゆっくりしたかったけど、仕事入ってて」
「そっか。じゃあ仕事落ち着いたらまた……」
「連絡してもいいの?」
景の表情がパアッと明るくなって顔を傾けたから、ドキッとしてしまった。
連絡するなと自分で言った事を一瞬忘れていた。
「え、ええよ。もう、バイトそろそろ落ち着いてきたし」
手の甲で唇を隠して景から視線を外しながら言った。
この前の嘘と顔が熱くなっているのはバレませんように。
「良かった。じゃあまた連絡する。でも今度は僕の方が忙しくなりそうで、もしかしたら間があくかもしれないけど、予定があったらまた家においで」
「うん。ありがと、楽しみにしてる。あ、そうや。割ったグラス、いくらやったん?今払うで」
俺はリュックを下ろして、財布を出そうとゴソゴソと中を弄った。
「いいよ本当に。いらないって」
「ええんよ!それじゃあ俺が納得出来へんから!」
「え……大丈夫なの? あれスワロフスキーだから三万はするけど」
「えっ!!さ、三万?!」
あいにく持ち合わせが無い。というかかなり痛い出費だ。
高くても二千円くらいだと思っていたのに、芸能人を甘く見ていた。
どうしよう...と悶絶していたら景はふふっと笑って俺の頭をポンポンと叩いた。
「嘘に決まってるでしょ。あれは友人の結婚式の引出物で頼んだやつだから。もういいよ、本当に気にしないで」
「はぁ、そうなん? じゃあ、ごめん、お言葉に甘えて……」
なんだか景が言うと冗談に聞こえないから怖い。
「その代わり、また会ってくれる?」
「……うん。当たり前やろ」
「良かった。じゃあ、気を付けて帰りなよ。しっかり睡眠取ってね。おやすみ」
「あ、うん。おやすみ」
景は来た道をまた戻りながら、手をヒラヒラとさせていた。
その後ろ姿を見た時、これ、なんだか見た事ある。そう思ったから記憶を手繰り寄せた。
あ、初めて会った日、番号交換をして、景が帰る時の後ろ姿だ。
あの時と見ていた後ろ姿は同じはずなのに、あの時と気持ちが全く違う。
こんなに別れが惜しくて胸が痛くなる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「景っ」
景は遠くの方で、歩みを一旦やめて振り向いてくれた。
声が届くように、ちゃんと声を出そうと口で息を吸い込んだ。
[好き]
その二文字は、しんしんと冷えるこの静けさの中で形になることは無く、白い靄となって消えていく。
「ありがとねーホンマに!」
大きく手を降ると、景はまたニコッと笑って手を小さく振ってから体を向き直して再度歩き始めた。
それを見届けてから俺も家の方向へと歩き出す。
景と別れた途端、お茶はもう完全に冷め切っていて、指先が氷のように冷たくなっていた事に気付いた。
でもそれさえも心地良い。
きっと彼も同じように冷たくなっているに違いない。
寒空の下に二人でいた証なんだなって思うとちょっと嬉しくて、俺はマフラーに顔を隠して唇を横に引いてニンマリとさせた。
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