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第98話
「なっ、なにして……ッ?」
震える手の甲で鼻と口を隠して、顔を見られないようにした。
抗いたい気持ちとは裏腹に、身体はそれ以上を求めていたなんて、気付かれたくないから。
「ほら、逃げられなかったじゃない」
「だっ、だってあんな風にされたらっ!」
「君の細い身体なんて本気出せばどうにでもなるんだよ」
「……だからって、何キスなんかしてるんよっ?」
「あいつの事、家から追い出しなよ」
景は相変わらず人の話を聞いていなくて、さっきから話が噛み合っていない。
でも追い出せという言葉を聞いて、正直心が弾んだ。
やっぱり、俺が瞬くんと一緒にいる事が気に入らないんだ。
キスもして来たって事は、やっぱり俺の事……
でも、高揚した気分になれたのはほんの一瞬だった。
「この間見知らぬ男に襲われそうになって、あんなに怖い思いをしたっていうのに、よく元カレを泊める気になったね?僕には全く理解出来ないよ」
(え?)
「僕がどんな気持ちでここに来たか分かる? 心配なんだよ、そうやって後先考えずに行動している君の事が。取り返しのつかない事になったら、どんなに後悔してももう時間は戻らないんだよ」
(景……それって……)
違う。
景が怒っているのは、嫉妬している訳でも、俺の事が好きな訳でも無い。
自分の決めたルールから外れている人間が気に入らないだけなんだ。
セックスは、愛している人とだけするべきだという事。
嘘はつかない事。
伝えなくちゃいけない事は必ず口に出すという事。
数々の景の信念みたいなものを、俺にも貫いて欲しいんだ。
曲がった事が嫌いで、正義に満ち溢れたこの人は、俺の軽率な行いが只許せないだけで、決して好きだからという訳では無いんだ。
勘違いして自惚れてしまった自分があまりにも情けなくて恥ずかしくて、酷く憎んだ。
馬鹿だった。希望があるのかもって自意識過剰になってしまった。
途端にやり場のない怒りもフツフツと沸いてきて、その怒りの矛先は自分ではなく、景へ向けられた。
俺はグッと拳を握りしめると、本能のまま、今度は右脚を軸にして左脚を浮かせると、その脚を景の体へ思い切り沈み込ませた。
「痛っ!」
人を思い切り蹴飛ばすのは人生で四度目で、一番上手くいった気がした。
景は今度は声を発して、少し体を後ろへ引いた。
脛に直撃したから結構痛かったかもしれないと怯んだけれど、この頑固で意地っ張りな性格が仇となって、謝りもせずに俺は景の事を睨んだ。
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