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第260話

朝井さんに言われるがまま、酒を飲んだ。 少しだけ酔いが回ったけれど、分別つかないほどではない。 ちなみに朝井さんも飲んでいる。帰りはタクシーにするらしい。 料理はすごく美味しくて、朝井さんの話は面白いから、俺は笑ってばかりいた。 俺が就活で悩んでいると言ったら、親身になって聞いてくれた。 なんで俺なんかに親切にしてくれるのか。口は悪いけど、今のところ嫌な思いはしていない。 もしかして、本当に付き合っていた人と別れたばっかりで傷心していて、こういうデートがしたくて、たまたま会った俺を誘ったのかもしれない。 脅せば、俺は言うことを聞くわけだし。 俺は朝井さんのしている腕時計に視線を移す。 そろそろ、帰らないといけない時間だった。 「あの、朝井さん、俺、そろそろ帰らないと」 「え、明日何かあんの?」 「いや、無いですけど、終電無くなっちゃうし」 「えぇ、いいじゃん。俺んちに泊まって明日の朝帰れば」 「え……」 そんな事、できるわけがない。 というか、もうそろそろ本気で指輪を返してもらおう。そう決断した俺は口調を少し強めた。 「あの、そういうのは無理なんで。もう、デートは終わりにします。指輪、返して下さい」 朝井さんを真っすぐ見据えると、朝井さんはグラスを持って固まったまま俺の顔を見て、しばらくしてからフッと笑った。 「んだよ怖い顔して。分かったよ。そこまで言うなら返してやるよ」 しぶしぶと言った表情だったけれど、朝井さんは持っていたバックの中を漁りだしたから、俺は驚きの声を上げてしまった。 「え!ほ、本当ですか?!」 これでようやく問題解決だ! ホッとしていると、振り返った朝井さんの手には間違いなくあの指輪があった。 「あぁ!ありがとうございま……」 手を伸ばすと、朝井さんはまたあの時と同じように手を高く宙に掲げた。 またぽかんと口を丸くしていると、朝井さんは不敵な笑みを浮かべながら、なんとその指輪を自らの口の中にポイと入れてしまった。 「いいよ取って。もちろん口でね?」 指輪が入っているからもごもごとした喋り方だったけど、聞き取れてすぐに理解して、この状況に頭が真っ白になった。 何もできずにただじっと朝井さんの顔を凝視する俺に、朝井さんは挑発するように舌の上に乗った指輪を見せつけた。 沈黙が流れる。 まさか、最初からこのつもりだったのか。 俺がもし、断ったらどうなる? 痺れを切らした朝井さんは、目を細める。それだけでもう、何が言いたいのか分かってしまった。 今日、散々言われた朝井さんのセリフがまた脳内に響いた。 [言うこと聞かないと、お前と藤澤の事、世間にバラすからね] 「ほら早く。えずいちゃうだろうがよー」 景以外と、キスなんてしたくない。 でも、しょうがないんだ。 景との関係を簡単に見抜かれてしまった俺が悪いんだ。 これは夢。夢。 ほんの一瞬、我慢するだけ。 (景、ホンマごめん) 目を閉じて、景の優しい笑顔を思い浮かべると涙がにじんでしまったけど、それを拭わずに朝井さんの両腕をぐっと掴んで、体を引き寄せた。

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