260 / 454
第260話
朝井さんに言われるがまま、酒を飲んだ。
少しだけ酔いが回ったけれど、分別つかないほどではない。
ちなみに朝井さんも飲んでいる。帰りはタクシーにするらしい。
料理はすごく美味しくて、朝井さんの話は面白いから、俺は笑ってばかりいた。
俺が就活で悩んでいると言ったら、親身になって聞いてくれた。
なんで俺なんかに親切にしてくれるのか。口は悪いけど、今のところ嫌な思いはしていない。
もしかして、本当に付き合っていた人と別れたばっかりで傷心していて、こういうデートがしたくて、たまたま会った俺を誘ったのかもしれない。
脅せば、俺は言うことを聞くわけだし。
俺は朝井さんのしている腕時計に視線を移す。
そろそろ、帰らないといけない時間だった。
「あの、朝井さん、俺、そろそろ帰らないと」
「え、明日何かあんの?」
「いや、無いですけど、終電無くなっちゃうし」
「えぇ、いいじゃん。俺んちに泊まって明日の朝帰れば」
「え……」
そんな事、できるわけがない。
というか、もうそろそろ本気で指輪を返してもらおう。そう決断した俺は口調を少し強めた。
「あの、そういうのは無理なんで。もう、デートは終わりにします。指輪、返して下さい」
朝井さんを真っすぐ見据えると、朝井さんはグラスを持って固まったまま俺の顔を見て、しばらくしてからフッと笑った。
「んだよ怖い顔して。分かったよ。そこまで言うなら返してやるよ」
しぶしぶと言った表情だったけれど、朝井さんは持っていたバックの中を漁りだしたから、俺は驚きの声を上げてしまった。
「え!ほ、本当ですか?!」
これでようやく問題解決だ!
ホッとしていると、振り返った朝井さんの手には間違いなくあの指輪があった。
「あぁ!ありがとうございま……」
手を伸ばすと、朝井さんはまたあの時と同じように手を高く宙に掲げた。
またぽかんと口を丸くしていると、朝井さんは不敵な笑みを浮かべながら、なんとその指輪を自らの口の中にポイと入れてしまった。
「いいよ取って。もちろん口でね?」
指輪が入っているからもごもごとした喋り方だったけど、聞き取れてすぐに理解して、この状況に頭が真っ白になった。
何もできずにただじっと朝井さんの顔を凝視する俺に、朝井さんは挑発するように舌の上に乗った指輪を見せつけた。
沈黙が流れる。
まさか、最初からこのつもりだったのか。
俺がもし、断ったらどうなる?
痺れを切らした朝井さんは、目を細める。それだけでもう、何が言いたいのか分かってしまった。
今日、散々言われた朝井さんのセリフがまた脳内に響いた。
[言うこと聞かないと、お前と藤澤の事、世間にバラすからね]
「ほら早く。えずいちゃうだろうがよー」
景以外と、キスなんてしたくない。
でも、しょうがないんだ。
景との関係を簡単に見抜かれてしまった俺が悪いんだ。
これは夢。夢。
ほんの一瞬、我慢するだけ。
(景、ホンマごめん)
目を閉じて、景の優しい笑顔を思い浮かべると涙がにじんでしまったけど、それを拭わずに朝井さんの両腕をぐっと掴んで、体を引き寄せた。
ともだちにシェアしよう!