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第276話
朝。ラベンダーの香りで目が覚めた。
ふわふわの枕に顔を埋めながら、何回か瞬きをする。
こんな芳醇な香り、俺の家でするはずがない。
そう、ここは景の家のベッドの上。
昨日、というかもう日付は変わって今日だったけど、景の言っていた通り、目覚めたら景は隣にいなかった。
ちゃんと寝れたのだろうか。
俺のせいで迷惑を掛けて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
心の中で何回も景に謝りながら、勢いよく体を起こしてベッドを降りた。
リビングに入ってダイニングテーブルに着席すると、目の前にラップが掛けられたおにぎりが二つ置かれていた。
すぐ横には景の達筆の文字で書かれたメモも。
[おはよう]
うう。胸が痛い。
なんでこんなにも景は優しいんだ。
切なくて大好きでどうしようもなくて、感動で胸をいっぱいにさせながらおにぎりを完食した。
食器をきちんと洗い、この広いリビングでくつろいでみようかとも思ったけど、景がいない部屋で一人でいる気にもなれず、家に帰る事にした。
指輪をきちんとポケットの中にしまい、合鍵を使ってロックをし、マンションを出た。
* * *
今日は日差しが照り付ける。
パーカーを脱いで手に持ち、アパートの最寄り駅の改札を抜けて階段を下りていると、数メートル先に莉奈が歩いているのが目に入った。
大きなボストンバックを肩から下げて、よろよろと歩いていたから、転ばないだろうかと心配になる。
そういえば莉奈は実家に二、三日帰省すると言っていたから、今こっちに帰って来たのかもしれない。
小走りで近づいて、後ろから莉奈に声を掛けた。
「莉奈ー」
莉奈は俺を振り向き、俺の手首に巻かれた包帯を見て目を丸くした。
「北村さん!どうしたんですかそれ?!」
「え、あ、これ?昨日ちょっと捻ってもうて」
「え、もしかして彼女さんにやられたんですか……?」
「は?あはは。どんな彼女やねん。超暴力的やなぁ」
「……」
俺は笑って返したけど、莉奈は俺の手首をじっと見つめたまま、なぜか黙り込んでしまった。
一瞬間が空いてから、莉奈は慌てて仕切り直した。
「あ、こんなところでどうしたんですか?買い物ですか?」
それはいつもの莉奈だった。
あれ、なんだ、今の落ち込んだ表情。見間違いか?
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