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第6話
そして、翌日。
学校から帰ってくると蔵に直行した。母屋に着替えに帰るのも億劫で、吸い込まれるように蔵の奥へと進んで行った。
本棚の奥に隠されたように置かれた巻物。
御影が封印されていた巻物だ。史己はそれを手に取ると頑丈に貼り付けられていた札を取り、紐を解いた。
手元からまばゆい光が放たれたかと思うと、頭上に狐の耳を生やした美青年が自分を見下ろしていた。
鮮やかな花緑青の瞳と目が合うと、彼は微笑を浮かべ、史己はそれだけで昇天しそうになった。
(天使だ……)
想像していた姿の百倍可愛い。
「これはこれは可愛い主人ですね」
御影が喋った。思っていたよりも低い声。
彼が目の前で動いて、自分と話しているのが信じられない。
「ふふ、驚いて声も出ませんか?」
その通りだ。こう見えて、史己は大パニックに陥っている。走ってもないのに心臓が爆発しそうなぐらいドキドキして何も考えられない。
「私の名は……」
「御影」
御影。御影。御影。
何度も心の中で反芻した名をようやく口に出すことができた。
「君のことは知っている。自己紹介の必要はない」
史己は御影の前の主人の説明をした。聞かれてもないのに。彼の口から滝のように言葉が溢れて止まらない。
きょとんとする御影に恥ずかしくなって目を伏せた。
「……君がここにいる経緯。気になるかと思って」
「よく分かりました。ありがとうございます」
言い訳がましい言葉にも、にっこりと笑う御影。可愛い。
「他に聞きたいことある?」
調子に乗って、ついそんなことを口走ってしまう。
御影が望むなら、知識を求めて片道一時間半の県立図書館に走っていくことだって厭わない。しかし、御影の質問は意外なものだった。
「あなたは何者ですか?」
(僕? 御影が僕に興味を持った?)
予想外の質問に史己は、混乱しながら頭に思い浮かんだものをとにかく口にした。
「僕の名前は環 史己。高校二年生。そこの母屋に……」
滝のように言葉が溢れてくる。何を話しているのか自分でもわからないし、止められなかった。
「あの、もう大丈夫です」
御影に止められて、ようやく口を閉じることができた。彼はさらに質問を重ねた。
「なぜ私の封印を解いたんでしょうか」
「日記を読んで君に会いたくなった」
「日記?」
「伊藤省三郎の日記。ここで見つけた」
伊藤については、できればあまり言いたくなかった。
御影は主人である伊藤をとても慕っていた。
その証拠に彼の名を口にした途端、御影はぴくりと反応した。
彼のことを教えるのは、なんだか自分にとって不利になるような気がして、史己は話題を変えた。
「今度は僕から君に質問しても?」
「はい」
嫌な顔一つせずに頷く従順な御影。
資料によると妖狐は封印を解いた人間を主人にして仕えるらしい。素直な態度は彼の性格なのか、それとも主従関係に基づくものなのか。どちらにしても、頭に超がつくほど可愛いことに変わりはない。
「封印されてる気分はどうだった?」
「長い夢を見ているような、そんな感じです」
御影はどこか幸せそうに微笑む。なんの夢を見ていたのか聞かなくてもわかる。きっと『先生』の夢だろう。
そんな顔をされると邪魔をしてしまったのかと不安になる。
「また封印されたい?」
「まさか」
否定されて安堵した。もっと夢の中にいたかったなんて言われたら、それこそ泣くほど悲しい。
伊藤の日記を読んだ時から薄々気づいてはいたが、自分はどうやら御影に恋をしている。
不整脈かと疑うような動悸もきっと恋愛感情のせいだろう。他人にそんな感情を抱いている自分に我ながら驚いた。
その証拠に史己は全身全霊で彼の変化を感じ取ろうと必死になっている。他人にこんなに注意を払うのは初めてだった。笑いながらもどこか緊張しているような御影。
彼に触れたい。
率直にそう思った。
彼は衝動に任せたまま、かかとを上げると、御影の頭に乗っている柔らかそうな耳に向かって、手を伸ばした。夢と同じようにくすぐったい声を出すだろうか。
「な……なにを?」
「耳を触りたい」
戸惑う御影にそう告げて、さらに手を伸ばした。従順な彼なら許してくれるような気がしていた。
しかし、返ってきたのは強い否定だった。
「だ、駄目です! 耳や尻尾という部分は非常に敏感な部分で、他人に触られると不快なのです」
……怒らせてしまった。
御影に怒られたことが、とてもつもなくショックだった。史己は耳に触れるのを諦めて、目の前の艶のある髪を見つめた。
「髪は?」
「髪なら大丈夫です」
許可をもらって髪に触れようとしたが、力加減を間違えてつい引っ張ってしまった。
「……ッ、やめてください」
「ごめん」
またやってしまった。
失敗続きに、思考が混沌としてうまく働かない。何か話さないと。とにかくそう思った史己は漠然とした質問を彼に投げつけた。
「君はさ、何ができるの?」
トイレやお風呂、食事はどうしているのか。何が必要で、自分に助けてほしいことはあるのか。しかし言葉足らずの質問を投げかけられた御影は困っている。
今日という日のために、たくさんシミュレーションしてきた。御影と会ったら、聞いてみたい質問は山のようにあったし、落語を聞いて笑える小話もいくつか用意した。
しかし、いざ会うとなにひとつ役に立たず、聞かれてもないことをベラベラと話し、髪を引っ張って怒らせてしまっただけだ。
嫌われたかもしれない。
新しい主人がこんなやつでがっかりしたかもしれない。……こんなことなら、封印されて夢を見ていた方がマシだったと思ったかもしれない。
「ここにいる必要がないなら、また封印するから」
否定をしてほしくてそんなことを言って、御影を見上げたが、彼は何も言わなかった。
説明不足の言葉ばかりでうんざりされたかもしれない。だけど、何をどう言えばそれが伝わるのかわからない。
史己はこの日ほど、自分の無能さを悔やんだ日はなかった。
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