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第4話

 満月が煌々と光る真夜中、すでに日付は変わっていた。  ブレッドはそばにあった椅子を引き寄せて座り、目の前で眠る番の手を取る。  白い清潔なシーツの上で酸素吸入器をつけてはいるものの、規則正しい寝息を繰り返しているエイトに安堵した。  浅黒い甲とちがって、節の目立つ指を持つ撫子色の手のひらを両手で包み込みながら、タワーマンションでのことを思い出していた。  消火活動にあたっていたブレッドは突然の咆哮にまず驚いた。次の瞬間にはその声に己の本能が共鳴して全身が打ち震えたのだ。  更には声の先にものすごい速さで外壁のわずかな突起や細いパイプを豪快に掴んで登っていくエイトを見て、なんて猛々しいのだろうか、なんて凛々しいのだろうか、とあまりの魅力に胸が歓喜に満ち溢れた。  そして、やはり彼が『運命の番』であることを確信し、このつがいからは離れることが出来ないのだと、悟った。  子だくさんが誉れとされる馬族のなかでも、とりわけブレッドの一族は多くの子を残すほど優秀とみなされた。  アルファであるブレッドは親のみならず親戚一同からも期待されていた。  だが、馬族のアルファは自身の持ってるものが凶器すぎてパートナー探しに苦戦するのが常だった。  ブレッドも代々血族に受け継がれる凶器を持ち、ありのままの自分を受け入れてくれる相手を物心ついた頃から探した。だが未だ出会うことができていなかった。  もしかしたらこの内に秘める凶器を受け入れることができるのは生まれ育った都市の人にはいなくて、はるか海を越えた西方に住む大型亜種の獣人の中にいるのかもしれない。と学生の頃に大きな希望を抱いて留学も経験した。  そこで火遊び程度にいろんな獣人と出会い、己を受け入れてくれるかどうか駆け引きにも似た情交に没頭した時期もあった。確かに、受け入れてもらうことはできたがその多くは受け入れることを生業としているもので、どこか一線を引く関係に心が満たされることはなかった。  それがどうだろう。  まさか、こんな身近に『運命の番』がいただなんて。  そもそも運命なんてものは信じていなかった。物語の中のお話でしかないし、酔狂な科学者が研究している機関もあると聞くが、その科学者の論文によると、非常に低い確率で出会えたら奇跡。とも言われている。  でも署内のトイレで一目見た瞬間、ブレッドの心は囚われたのだ。  そんなことがあるものか、と最初は否定したが、エイトの腹の底からの咆哮で、これが『運命の番』を見つけたもののみが得られるといわれる、パズルのピースがピタリとはまる充実感なのだ、とあっさりと認め、喜悦に酔いしれた。 (……これが本能か。恐るべし神の副作用。だとしても放すものか。たとえこの美しき獣人に拒絶されようとも、私はもう彼と離れることはできないだろう。そんなことは許されない)  ブレッドが考えに耽っていると、ノックの音と共にヘビロフが病室へと入って来た。 「司令長、エイト先生の容体は……落ちついてるみたいですね。司令長の体は大丈夫ですか?もう徹夜3日目でしょ、今日は病院から直帰でいい、と署長から伝言を頼まれたんで、このまま休んでください」 「ああ、後処理を任せっきりにしてしまって済まない」 「事後処理はあらかた片付いたし、事務方の最終責任者は署長なんで、ご安心を」  割れた舌をちらつかせながら、ヘビロフは笑顔で答える。 「それにしてもエイト先生の行動はびっくりしました。でも助かりましたね。高層階だから防火壁もスプリンクラーもあるって高を括ってたら、まさかの整備不良で作動不可とは」 「あぁ、非常用エレベーターは動いてなんとかなったが、彼が子供を見つけてくれなかったら手遅れになっていたかもしれない」  握っていた手に少し力をこめると、エイトが身じろぎをして瞼を震わせた。 「ん……」 「あ、エイト先生?気がつきましたか、ここ病院です。わかりますかーわかりますかー」  目を覚ましたばかりのエイトに人命救助ばりの大きな声と身振りでヘビロフが話しかける。一気に意識がはっきりしたエイトは、驚いて掴まれていた手をしっかりと握り返した。 「おい、彼が驚いているじゃないか。もっと静かに話しかけろ」  ブレッドが、距離を詰めていたヘビロフとの間を引き離すようにエイトを抱き起こした。 起きたら突然ブレッドに抱きしめられている状況に、エイトは理解が追い付かない。 「えっと……あの……」 「……どーしたんすか、司令長。いつもはどんなに熱く人命救助した現場でもつねに冷静で、ある種近寄りがたい冷気を放って負傷者にも淡々と対応しているのに……」  ヘビロフも戸惑いの声を上げ、ブレッドは満面の笑みを浮かべて言った。 「彼は私の『運命の番』だ。何人たりとも触れたりするようなことは私が許さない」  突然の宣言に、エイトとヘビロフは目と口をあんぐりと開けて間抜けな面を晒した。  そんな二人には構わず、ブレッドはさらに追い打ちをかける。 「署長に伝えてくれ。私は今日から有給をとる。いままで未消化だった分も全部、結婚による特別有給休暇も使う。合わせてざっと半年ほどか。もしかしたらそのまま育休も取得することになるかもしれないが、その時はまた連絡する」 「は?え……?」 「結婚?育休?え、司令長?」  目が点になっているヘビロフを尻目に、状況が一切つかめていないエイトを壊れ物を扱うかのように優しく抱き上げ、ブレッドは一切迷いのない足取りで病室を後にした。

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