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第5話
「あ……あの!ユリアちゃんは、無事ですか?」
有無を言わさず押し込まれた車の助手席で、エイトは大事なことを思い出した。
「あぁ、心配ない。君のおかげでかすり傷ひとつないし、ひとまず親御さんと実家に身を寄せるそうだ。正直、助かった。あの家は親が仕事から帰るのが遅いから、いつもは子供は祖父母が預かっているそうだが今日に限ってお婆さんが体調を崩して、子供だけで留守番させていたそうだ。情報がなかったから、もし君が見つけてくれなかったら、あの子は手遅れになっていたかもしれない」
それを聞いてホッと胸を撫でおろす。
考えるよりも体が先に動いて、今思えば自分でも無謀なことをした。でもそのおかげユリアを救えた。
漠然と好きになれなかったゴリラの特性をこれほど有難く感じたことはない。
嬉しくなったエイトは、しかし先程ヘビロフに向かってブレッドが宣言した言葉が蘇った。
「僕が、その……あなたの『運命の番』って本当ですか?」
ブレッドは顔を前方からそらさずに、片眉を上げてエイトに問う。
「君は私を見て、何か感じなかったかい?」
走り出した車は病院の門を抜けて、エイトの家とは違う方向へと進んでいく。
「それは……」
無表情に問われてエイトは口ごもった。
確かに、ブレッドを一目見た時にどこかなつかしいような、欠けていた何かを見つけたような気分になった。
けれどこんなことを会ったばかりの人に正直に言ってしまって、気味が悪いなんて思われないだろうか。
「だって、今日……もう昨日ですけど、会ったばっかりで……」
赤信号でゆっくりと停車すると、ブレッドはエイトの目をしっかりと見つめた。
「私は君を見た瞬間に、長年感じていた、自分の中のどうしても埋まらない心の空洞があっけなく埋まってしまったんだ。それに、まるで幼いころに失くした大切なモノを見つけて抱きしめたような安堵感もね」
ブレッドが確固たる響きで紡ぐ言葉に、エイトは心が躍り出す。じんわりと胸が暖かくなり、腹の奥がキュンっと絞られたような気がした。
「あなたも、僕と……同じ?」
呆然と言葉を返すと、エイトを見つめる茶色い瞳の奥に何かが灯った。
「ああ、君もそう思ってくれたんだね。私だけが一人でそう思い込んでいるんではないかと不安だったんだよ」
「そんなこと!僕もまるっきりおんなじで、ブレッドさんが僕の心を読んだんじゃないかって!びっくりしました」
エイトが身を乗り出すと、ブレッドは蕩けるような笑顔で言った。
「人はこれを、運命と呼ぶんじゃないだろうか」
放たれた言葉の矢が、エイトの心に直撃した。
「運命……運命……」
口の中で繰り返し、これは現実なのか、もしかして夢の中の出来事なのか、と考えながらどんどん自分の頬に熱が集まるのを自覚する。
火照る頬を押さえて思考の波にもまれていると、車はいつの間にかどこかの建物の地下駐車場に停められていた。
「あの、ここはいったいどこですか?」
周りを見回すが、無機質なコンクリートの壁しかない。
「ここは私が部屋を借りているマンションだよ」
ブレッドはお茶目にウィンクを飛ばしながらシートベルトを外し、エイトの座る助手席のシートに腕をついた。
「そろそろ昼間に飲みすぎた抑制剤の効果も切れるころじゃないかと思うんだけど、気分はどうだい?」
そういいながら、エイトの首元へと鼻を寄せる。
こげ茶の耳がエイトの頬を、短髪が顎をかすめてくすぐったさを感じたが、それはすぐにブレッドの放つ蜜のように甘い香りにかき消された。
腹の奥に感じていたわずかな熱の塊が急激に膨らみ、全身を駆け巡りだす。無意識に荒くなる呼吸がエイトの本能を引き出そうとした。
「え……あ……」
目の前の人のに食べられてしまうのではないかという恐怖心に駆られ、自身を抱きすくめる。
車を降り、助手席のドアを開けてブレッドは再びエイトを抱えあげた。
「待って、僕重たいから……」
「日頃からトレーニングしている身からしたらこれぐらい、全然重さを感じないよ。それに、歩けないだろう?」
確かに、情けないほど足に力が入らない。それに体も。なのに皮膚は研ぎ澄まされたように敏感で、服に擦れるところから痺れが全身に広がっていく。
熱に浮かされる頭では周囲の変化が捉えられない。身もだえている間にエレベーターに乗り込み、浮遊感を感じることもできずに目を伏せていると、どこかのドアが開く音がした。
そっと置かれた場所は体が包み込まれるように柔らかで、そっと目を開くと周囲は薄暗かった。大きなガラス窓の向こうには深夜でも消えない街の灯が切り取られていた。
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