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32.『花と嵐とドーナツ』

嵐の夜が明けた。  布団には既に僕一人で、途端に左肩が寒々しくなってくしゃみが出た。  いつもきみが朝一番に淹れるインスタントコーヒーの残り香がなく、いつも僕の知らない音楽を流すスピーカーもオフの色、きみの名前を呼んでも静寂が応えるばかりで、玄関のスニーカーさえないのに気づいて僕は途方に暮れてしまった。  南向きのベランダには、一晩じゅう吹き込んでいたのだろう桜の花びらが、まるで絨毯のように敷き詰められていた。爛漫に咲かせた花をたった一晩でさらわれた、向かいの公園の桜を眺めるうちにぼんやりと涙が滲む。  きみには打ち明けたことがなかったが、ずっと昔に恋を失ってから、春が嫌いだ。  青くも、この身を捧げた恋だった。  そういえば最近、きみの返事は少し上の空だし、一昨日など僕はへまをしてきみの作った夕食を無駄にした。愛想を尽かされる理由なら、いくらでもある。  ああ、また春に終わるのか。  好き、愛してる、ときみに言われるごとに、僕だってきみを好きになっているのだと伝えそびれたままなのに。 「ただいま」  穏やかな風が吹き抜ける。 「ドーナツ買ってきた。さくら風味だって」

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