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35.『寒桜』

始発駅で乗り合わせた青年は、 とりわけ何が目を引くということもないが、足元が洒落ていた。 その一点が私の気に入った。 先頭車両に二人きりの気まずさ、距離にして斜交いに2メートル。 ライトグレーのチェスターコートにベージュのプルパーカー、黒のボトムに同色のレザーシューズを履いて、覗く足首の筋張った瑞々しさに息を呑む。 車窓をざわつかせる寒桜の濃いピンクが、ひとひらふたひら、うとうとする彼の黒髪を慕い、 キャンバス地の大きなトートバッグのドサリと落ちる音で、目と目が合った。 咄嗟に視線を逸らせたのは不自然だったかもしれない。 「近くに足湯があるんです」 晴れた早春の朝のような声を彼はしていた。 「それはいいですね」 意表を衝かれたが、齢45の分別で応じた。 浮足立つも、会話は途絶えた。 開いたままの扉から、運転士が私と彼を線引きするように後部車両へ移動していく。 やがて、ホームを小走りに戻ってくると、車掌室でガチャリと音がした。 発車のメロディが鳴りだして、 「降りませんか」 と、私は腕を掴まれた。 後に彼は「きまぐれだった」と笑ったが、 この春もまた、あの足湯で肩を並べ、飛花を楽しむ……。

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