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第2話 ④
「鈴木さん、会場の忘れ物チェックして」
一際大きな宴会場の一室で、披露宴の列席者を見送りながら悠介はこの春入社したばかりの新人社員にそう指示を出した。
たった今、三時間に及ぶ披露宴が終わり、ほっと息をつく。
悠介の職場は松浜プリンスというシティーホテル。入社してすぐ配属された料飲宴会部でこの春主任から係長に昇進した。
「いい披露宴でしたねー」
披露宴で司会を担当した馴染みの女性が悠介を労うように声を掛けてきたのに対し
「お疲れ様でした。今日の進行もスムーズで、さすがですね木原さん」
こちらも同じように労いの言葉を掛ける。
「来週も二件ありますよね? またよろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
軽い挨拶を済ませ、会場内を見渡した。会場の外で列席者と言葉を交わしている新郎新婦を横目で気にしつつ、通りかかった後輩を呼び止めた。
「村田。ここ片したら、明日のスタンバイ任せていいか? 新郎たち、控室まで送ってくる」
「はい。明日、立食でしたよね?」
「チャーフィン、いま飛鳥の間で使ってるから、揃うだけ用意。頼むな?」
「分かりました」
簡単な指示を出し、悠介はそのまま会場を離れた。
仕事を終えて自宅マンションに向かうのは久しぶりの事だった。今夜は日曜。成島が部屋に来ているはずだ。
父親の手術は先週無事に済んだ。その後の経過も良好で、病室に顔を出した悠介にもすこぶる元気な顔を見せている。その父親も明日には退院することが決まり、ようやく一安心といったところだ。
あれから哲平から何度か連絡があった。父親の様子を心配する内容の電話から、何してたか、とかまるで暇つぶしのような電話が数回。
悠介から連絡するようなことはしなかった。
あれから何年も経っているとはいえ、無理矢理封じ込めただけの想いがいつまたひょっこり心の隙間から顔を出すとも限らない。
近づき過ぎるのは避けたい。今更あの頃の気持ちを呼び覚ましたくはない。
自分にはすでに成島という「男」の恋人がいて、すでに哲平とは違う世界で生きている。
自宅マンションに着くと二階の角の悠介の部屋に明かりがついていた。部屋に成島がいると思うと、ほっとしたような気持ちになる。
成島に会うのは父親が倒れてから実家に帰っていた時期を含めおよそ三週間ぶりだ。
「ただいまー」
玄関を開けて部屋に入ると、悠介の帰宅にソファから立ち上がった成島がゆっくりとこちらにやってきた。
「さんざん放置しといてそれだけかよ?」
成島はそう小さく呟くと、悠介の腰に手をまわすなり、力強く抱きしめた。
「……はは。珍しい熱烈歓迎」
「そりゃ熱烈歓迎もするだろ。三週間もほっとかれりゃ」
「連絡はしたよ」
「それ、折り返しっつうんだよ。岩瀬から連絡くれたことなかったわ」
「そうだっけ?」
成島が自分と同じこちら側だと知ったのは、高校の頃だった。
二年になり、クラスが同じになり──なんとなく一緒にいるようになって。
男子校だからか、男同士で妙な関係になる奴らもいたにはいたが、大抵は盛りのついた年頃の男の集まり。進学校とはいえ、女に関心がある年頃には変わりはなく、話題もどこどこの女子高の女の子が可愛いだとか、ありふれたもの。
当然、そういったものに悠介も巻き込まれはするのだが、やはり乗り気にはなれず、かといってそれらを完全にシャットアウトしてしまうほどの勇気もなく。
そんなときに出会った成島は、そういった誘いにも乗らずどこか浮いてはいたが、悠介にとってどこか気になる存在であった。
きっかけは何だったのか今となってはあまり覚えてはいないが、成島の口から「自分はゲイ」だと告白された。
初めて出会えたと思った。──同じ悩みを抱える同士に。
それからだった。急速に成島との距離が近づいて行ったのは。
同じ気持ちを分かち合えるもの、という意味では、成島以上に分かり合える者はいなかった。
成島は悠介を抱きしめたまま、大きく息を吐いた。その温かな吐息が悠介の首筋にかかる。成島はそっと身体を離すと、右手を伸ばして指で悠介の唇に触れた。そのまま指で何度も唇をなぞっては悠介の目を見つめ、徐々にその顔を近づけてくる。
「なんか、高校んとき思い出すな」
ニヤと笑った成島の息が鼻にかかる。
「……何言って」
悠介が答え終わる前に、成島の温かな唇がそっと重なる。
こうしてよく成島にキスをされた。最初は驚いたが、嫌悪感のようなものはなかった。
当時は自分の性癖を自覚しつつも、実際そんなことがありえるだろうか、自分は本当にそうなのか。日々思い悩んで揺れる多感な時期だった。
それはたぶん成島も同じだったのであろう。同年代の友人たちが女性に興味を持つように、自分たちも自分以外の男の身体に興味があった──当時はただそれだけだったのだろうと思う。
「……ん」
次第に深くなるキスを受け止めつつも、このままセックスになだれ込むのもどうしたものかと「ちょい、ストップ」と成島の身体を手のひらで押し返すと、成島が少し不服そうに悠介を見てから諦めたように身体を離した。
「冷静だな、岩瀬はいつも」
「そんなことないだろ」
「会いたかったの俺だけかよ?」
成島が少し変わったのは付き合い始めたからのことだ。どこか冷めたような雰囲気を持つ成島が、こんなふうに子供のように拗ねたりもする。
それはあの時にはなかった──もしくは見えなかった気持ちが、確かにそこに存在しているという証拠。
「そんなわけないだろ、来てくれて嬉しいに決まってる」
それは悠介にとっても同じこと。何の感情もなく流されるようにキスを交わしていたあの頃とは違う。ここにも以前とは違う感情が確かに存在している。
ふいに聞き慣れた着信音が聞こえて、悠介はスーツのポケットからスマホを取り出した。──が、画面に表示された哲平の名前を見て、そのスマホを再びポケットの中へと戻した。
「出ないのかよ?」
成島が怪訝そうに訊ねた。
「──ああ、うん」
「仕事の電話じゃないのか?」
「いや……友達。今は、いい」
哲平からの電話をそう言って誤魔化したのは、ほんの少しの疚しさと目の前にいる恋人に対しての気遣い。久しぶりに会えた恋人との時間をなにより優先したい気持ちに嘘はない。
「大事な用なら、また掛かってくるだろ。それより、飯なに?」
「俺も少し残業だったから、簡単なモンにした」
こうしてどちらかの部屋で会うときは、仕事が早く終わったほうが夕食の用意をすることが多い。お互い一人暮らし歴も長く、それなりの家事スキルは嫌でも身についてくるが、悠介が出来るのは洗濯や掃除のほうで、料理が得意なのは成島の方だ。
「着替えて来いよ」
「ああ」
キッチンに戻る成島を見送って、寝室でスーツを脱ぎながら、スマホを取り出した。
着信履歴の大半を占めている成島の名前の中に哲平の名前も混じっている。こうしてみるとその頻度も相当なものだ。
ふぅ、と息を吐いて手にしたスマホをベッドの上に放り投げた。
それから部屋着に着替えるとキッチンに向かい、冷蔵庫を開けながらフライパンを片手に料理を盛り付けている成島を振り返った。
「飲むだろ?」
悠介が缶ビールを掲げると、成島が「ああ」と頷いた。
「旨そう。すげー腹減って来た」
「だろ?」
そう満足げに微笑む成島の項に、悠介はそっと唇を寄せた。久しぶりに嗅ぐ成島の匂い。
「落ち着くわ」
「ん?」
満足している。今のこの生活に。自分を理解してくれる、愛してくれている男との生活に。
他に何も望む気はない。この平穏な日々がこのままいていくこと以外は。
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