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第5話 ④

「お疲れ、岡本。おまえ、先上がっていいぞ」  閉店時間を過ぎ、フロアの片づけをしている岡本に言った。 「え。船口さんは? まだやることあるなら俺やりますけど」 「や。別に売上表上げて、帰るだけだけど。ここのとこ忙しかったから、少しでも早く帰してやろうかと」  そう哲平が答えると、岡本がふっと笑った。 「少しでも、ってたいして変わんないじゃないすか! それより、飯食って帰りません? 最近コンビニ弁当ばっかで俺の腹が違うもん求めてんすよね」 「はは。いいけど、何食いたいんだ?」  こうして後輩に誘われることもたまにある。  本来ならば自分のほうから声を掛けた方がいいのだろうが、後輩にとって自分が居心地の悪い上司だったら、と思うと返って気を使わせてもと思い、あまり声を掛けられずにいる。 「俺、ラーメン食いたいんすけど」 「近場だと“福福”かー?」 「いいっすね!」  まぁ、後輩の方から声を掛けてくれるのだから、少なくともうっとおしい上司にはなっていないと思いたい。上司と言っても、たかが店長という肩書だけだ。他店も含め、うちの店のスタッフは皆若い。上下関係もそこまで厳しくはないし、後輩としての居心地もそこまで悪くないとは思っている。 「じゃあ、速攻片づけて帰るか」 「ハイっ!」  威勢よく返事をした岡本に、笑い返す。 「調子いいなー、おまえ」 「元気だけが、取り柄っすからね」  単純に可愛い後輩だと思う。見た目は今どきの若者、といった感じだが、明るく人懐っこい性格で、どこの店の店長にも可愛がられている。 「マジ、腹減りました! 早く行きましょう」 「ああ」  そう言って店を出て、目当てのラーメン屋へと急いだ。  こうして後輩の鋭気を養うのも、先輩として大事な事。  自分も以前はそうだった。優しい先輩たちに支え、育てられ、ここまでやってきた。  いつか、なれればと思う。後輩にとって少しでも骨のある、尊敬できる先輩に。  食事の後、岡本と別れて家路に着く。  いつものように電車に乗ると、スーツの胸ポケットのスマホがブルル、と震えた。吊革につかまりながら、胸のスマホを取り出すと、恋人の小夏からメッセージがあった。  【お疲れさま。もうお仕事終わった? この間言ってた泊まるとこ、予約大丈夫だった?】  相変わらず可愛らしいスタンプ付きだ。以前小夏の誕生日に泊まりでどこかに出かけようと約束していたその件での連絡だ。旅行はもう、来週に迫っている。  温泉付きの宿、というのが小夏の希望。彼女も仕事が忙しいらしく、風呂に浸かってゆっくり疲れを癒したいのだろう。  ネットであれこれ調べ、部屋風呂付の温泉宿をすでに予約した。せっかくの誕生日に小夏に少しでも喜んで貰いたいと必死で探した宿だ。  仕事が終わって電車の中だという事と、予約が取れた旨の返信を返すと、即レスがあり、いつものように愛らしいウサギがハートマークを出して飛び跳ねているスタンプが返って来たかと思うと、続けて 【電車じゃ電話は無理だね。声聞きたかったなー。気を付けて帰ってね。旅行、楽しみにしてる】  というメッセージを受信した。  小夏のこういうストレートなところが、嬉しくもありどこか気恥ずかしくもある。未だかつて、こんなにも真っ直な好意を彼女以外に向けられたことがないからだ。  哲平自身も、彼女の声を聞きたいと思っていた。  ふとしたときに、声を聞きたい、顔を見たいと思える相手がいるのは幸せなことだ。  駅に着いたら、家に着くまでの間にでも電話をしてみよう、そんなことを思いながらふと車両の中を見渡した。帰宅ラッシュの時間は外しているとはいえ、普段はもう少し混みあっている車内。今日は日曜という事で、学校帰りの学生らしい姿もない。  そんな中、ひときわ目立つ懐かしい制服姿の男子高校生の姿に悠介ははっとした。  市内の男子校の制服。いわゆる進学校で、悠介が通っていた高校のものだ。普段からよく見かける制服にはっとしたのは、ある男の顔を思い出したから。 「あの人……」  呟きが思わず声に出ていたことに気付いて、それを誤魔化すようにコホンと小さく咳払いをした。  閉店間際にやって来て、眼鏡を買っていたあの若い男。見覚えがあるはずだった。高校時代、悠介とよく一緒にいて、家にも頻繁に遊びに来ていた男だ。  翌日、昨日の男の名前をもう一度カルテで確認してみたが、やはり成島瑛士という名前に覚えはなかった。  中学までは部活などの共通の友達が多かった為、悠介の部屋に同級生が遊びに来ていても、それが知り合いならばそこに混ざるということも少なくはなかった。  悠介が高校に進学してからは、悠介の友達と接点を持つこともなかったし、時折どこかで見かけても、せいぜい顔を見るくらいだったのだから名前を知らなくても当然の事だ。  向こうも、自分に気付いていたのだろうか。 「そんなわけないか」  何度か見掛けていたとしても、普通そこまで覚えているとも思えない。  当時真っ黒な髪で、少し神経質そうな印象のあったあの男は、頭が良さそうな雰囲気はそのままに、髪を少しだけ明るくし、あの頃とは違って柔らかな物腰の大人の男へと変わっていた。  顔に見覚えがあっても、その印象が一致しなかったのが、すぐに誰だか分からなかったその理由だ。 「店長。即加工お願いします」 「はい」  スタッフに言われて、哲平は差し出されたフレームとレンズを受け取った。 「お客さま、三十分後に取りに戻られるそうです」 「分かった」  あの男は、今も悠介と付き合いがあるのだろうか。  そんなことを考えて、一瞬作業の手を止めた。  結局、考えている。悠介の事を。  あの夜以降、悠介とは会っていない。もちろん連絡も取っていない。連絡を入れたとして、悠介から何の反応もないことが怖い。 「くそ」  うだうだと考えることは苦手なのに、最近はうだうだと考え込むことばかりだ。  怖い──と思うのは、それでもまだ悠介と繋がっていたいと思うから。どうして、こんなにも悠介に執着してしまうのだろうか。どうして、もういいや、と諦めてしまえないのだろうか。  ただの、幼馴染み。されど幼馴染み。  自分たちを繋ぐその関係は、それ以外の言葉では形容ができないほど、それ以上でも以下でもないというのに。  

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