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第5話 ⑤

「お疲れ様っす、児玉エリア長!」  仕事上がり、久しぶりに訪れたエリア長に駅近くの居酒屋に召集されたのはブロック内の社員、総勢十五名。各店舗の顔見知りの社員たちが、居酒屋に顔を揃えた。 「そのエリア長っての、ここではやめねぇ?」  エリア長の児玉が皆を眺めて苦笑いを返した。児玉は元々このブロックの店長、ブロック長を経て、二年ほど前にエリア長に昇進した。  哲平が新人の頃、ちょうど彼がブロック長をしていた児玉にはとりわけ世話になっていた。  哲平の教育係だったのが、この児玉で、接客から加工技術までのノウハウを一から叩き込んでくれた人だ。厳しくもあり、優しくもあり、哲平にとって憧れの上司だ。  児玉が久しぶりに顔を合わせた馴染みの社員たちと乾杯をし、一息ついた頃、喫煙場所を求めて哲平の隣にやって来た。 「久々だな。元気でやってんのか、船口」  児玉が、煙草に火を点けながら訊ねた。 「元気ですよ。児玉さんこそ元気すか」 「それなりにな。つか、店長慣れたか?」 「ぼちぼちです。川辺さんから引き継いだ店なんで、売り上げ落とさないように必死です」  当たり障りのない会話をしながらの近況報告。エリア長になり、現場を離れたあとも何かと哲平を気に掛けてくれていた。 「電話ではたまに話すけど、こうして顔見んのは久々だな。何か顔つき変わりやがって」 「え。そうっすか?」  これまでもたまに会っているが、そんなふうに言われるのは初めての事だ。 「貫禄出て来たな」 「……はは、そんなん初めて言われました」 「まー、自信持て。おまえは俺が育てたんだから」  そう言って、グラスのビールを飲み干した児玉に、 「いや。自信はまだ持てないっすけど、精一杯頑張ります」  哲平は大きく頷いた。  二時間ほど居酒屋で飲んで、明日も仕事であることから早めの解散となった。タクシーを呼ぶ者、駅に向う者、皆それぞれの方法で家路に着く。  哲平は児玉が全支払いを済ませ店を出てくるのを待ち、礼を言った。 「ご馳走様でした」 「いやいや。こんぐらいはな」  そう答えてニッと白い歯を見せた児玉の笑顔にほっとする。こういうところは、上の立場になっても変わっていない。 「船口。おまえ、まだ少し時間あるか?」 「──あ、はい」 「気ぃ進まねぇなら別にいいぜ?」 「や。そんなんじゃないすよ。俺でよければお付き合いします」 「んじゃ、とりあえず駅方面行くか」 「はい」  そう答えて、哲平は先を歩き始めた児玉の横に並んだ。  児玉に連れて行かれたのは、駅からほど近い雑居ビルの中にあるこじんまりとしたバー。  重厚感ある木製の扉を開けると、間接照明に照らされたカウンター。普段居酒屋でしか飲むことがない哲平には少々敷居が高い気がして、思わず喉が鳴った。 「船口、何飲む?」 「あ、じゃあ、ビールを」 「俺はマティーニ」  児玉が慣れたようにバーテンに告げた。 「こんなとこ連れてきたのは、実はおまえにちょっと話あってな」  そう言った児玉がバーのテーブルの上で両手を組んだ。 「来年の新店オープンの話は聞いてるか?」 「あ、はい。噂でなんとなくは」 「あれ、本決まりになってな。新店の店長候補を何人か挙げてんだよ」 「はぁ」  新店オープンの噂は少し前にブロック長の小山から聞いていた。まだ噂の段階だからと、店長クラスの人間までに留めておくよう釘を刺されていた。つまり、あの話が現実として本格的に動き出すという事だ。 「オープンは来年の夏予定。現状、うちのブロックは五店舗。新店の店長を本社から引っ張って来るか、いまこのブロックにいる人材で補うか、っていうとこでな」  児玉が小さく息を吐き、少し意味ありげに哲平を見つめた。 「船口、おまえ、どうだ?」 「……え?」 「や。分かる分かる。まだ今の店変わったばっかだしって思うのは」  児玉が哲平の思考を読んだかのように先回りして言った。 「けど、オープンまでまだ時間はある。小山はブロック店から動かせないし、笹川と藤田は、既婚で年齢も年齢だ。川辺と同じようにそろそろ出産を考える時期だし、家庭と仕事を両立って意味で、現状維持が一番だと思ってるんだよ。辻は今の店のクラスならいいが、規模が大きくなるとちょっと不安があるし──となると、残りはおまえだろ? 俺らとしては本社からよく知らない人材引っ張って来るより、この地区で経験を十分に積んだ上で、売り上げ実績も高いおまえを推したいと思ってるんだよ」 「……」 「店長経験はまだ浅いが、おまえの売り上げ実績はブロックの誰もが認めてる」 「はぁ……」  確かにブロック内の人材事情を考えると、役回り的には自分がそこに就くのが一番丸く収まる気もしなくはないが、やはり戸惑いはある。 「まぁ。今すぐ答え出せってんじゃないしな。少し考えといてくれって話」 「……分かりました」  戸惑いはあるが、哲平にとって気が重い話というばかりではない。  新店を任されるという事は、上層部の人間に認められ、それなりの期待をされているということ。入社五年目、新人と呼ばれる時期はとっくに過ぎ去り、新たな一歩を踏み出していく時期。  「重く受け止めすぎることはないが、新店で注目されたところに結果残せればおまえの評価も上がる。チャンスだと思うぜ?」  児玉がグラスを指で撫でながら言った。 「俺なんか、目立ちたがりだから、新店の話なんて来たら速攻食いつくけどな」 「児玉さん、そうじゃなくても評価高かったっすよね」  評価が高いという事は、それに値する実績を残してきているという事。  事実、児玉がいたころのブロック店は売り上げに関しては抜きに出ていたし、販売内容も他店に比べてダントツで高かった。そういった事が認められ、三十手前でエリア長にまで昇進し、現在に至る。 「俺、調子いいからなー。口が上手いっつうの?」  児玉がニヤと悪戯に笑ってグラスを傾けた。 「何言ってんすか。それだけじゃないですよ。俺、尊敬してますもん児玉さんのこと」  口が上手いと言った児玉の言葉は事実だが、その言葉の裏にある確かで豊富な知識と技術。  新人の頃、思ったものだ。自分がこの人と同じ年齢になった時、同じような仕事ができるだろうかと。 「照れるからやめろや、そういうの」 「そーいえば、児玉さん。もうすぐお子さん生まれるとか」 「あー、小山情報か?」 「はい」 「あいつ、何でも喋んのなー」 「小山さん、話好きですからね。売り上げ報告するときも、たまに掴まって気づいたら十分くらい経ってたり」 「ははは、あいつらしーわ」  その後はたわいのない話をながら、結局一時間ほど飲んで店を出た。 「船口、電車だっけ?」 「はい。児玉さん、ホテル近いんすか?」 「ああ。目の前」  児玉が指さした先は、駅の南側のビジネスホテル。 「付き合わせて悪かったな。気を付けて帰れよ?」 「ご馳走様でした。それじゃ、また」  そう言って哲平は児玉に頭を下げ、駅へ向かう横断歩道を渡った。時計を見ると、午後十一時近い。確か五分後に出る電車があったはずだ、と慌ててその歩調を早めた。   電車に揺られながら、ぼんやりと窓の外を見つめるが、まるで鏡のように車内の様子が窓に映るだけ。 「新店か……」  小さく呟いて息を吐く。  新店の建設予定地は、今の店からは距離があり、通勤時間も大幅にかかるようになるが、通えない距離ではない。電車で通うのは不便になるかもしれない為、車通勤も視野に入れるか……などと、少し先の未来をシュミレーションしてみる。  条件は、悪くない。一から自分の力を試せるという意味でも、やりがいはある。  新店に行けば、また悠介と会うようなこともなくなるだろう。余計なことを考えている暇があるのなら、それを忘れるくらい大きなことに踏み出して忘れてしまうのもいい。  そんなことを思いながら、哲平は心地よい電車の揺れに身を委ね静かに目を閉じた。

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