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第7話 ⑤
仕事を終え駅に向う途中、悠介のマンションへと続く交差点で立ち止まった。
あれから何度か悠介のマンションまで行ってみてはいた。
居留守なのか、本当に不在なのかは分からないが、ドアホンを押しても反応はなく、結局会えずじまいだった。
あれだけきっぱりと「会わない」と言われた手前、何度も押し掛けるのはどうかと思うのは自分でも分かっている。
偶然会えることを期待して“とみた”で一人食事をして帰るのも一度や二度ではない。
一歩間違えばストーカーまがいの行動だ。
「……帰るか」
そう小さく呟いて、交差点を渡る人々を眺めた。まだ人通りの多い賑やかな週末の大通り。家族連れや、恋人同士、友人同士……様々な人々が行き交っている。
行き交う人々をぼんやりと眺めながら、その中に見覚えのある横顔を見つけ、哲平は反射的に走り出した。
すでに点滅を始めた信号。平行する横断歩道の向こうのちょうど中程辺りに、その姿を捉えた。柔らかく風に揺れる髪、遠ざかる後ろ姿を見失わないよう、ただ真っ直ぐその姿を追う。
「悠介っ!」
人波をかき分けるように反対側の横断歩道に向かい声を掛けたが、その声は人混みにかき消された。
「悠……」
再び掛けた声が尻すぼみになったのは、その悠介の異変を感じ取ったからだ。
時折後ろを振り返り、急いでいるというよりは誰かから逃げているようにも見える。
哲平は悠介を追い掛けるその足を速めた。最近でこそ運動不足なのは認めるが、学生時代サッカーで鍛え上げた体力。その足にはいまだ少し自信があった。
交差点を抜け大通りから横道に入ると「おら、待てや!」数人の少しガラの悪い若い男数人が声を上げながら哲平の横を走り抜けて行く。その声に振り返った悠介が顔色を変えてまた走り出したことから、悠介がこの若者たちに追われていることは明らかだった。
「一体、何なんだよ……!」
事情は分からないが、悠介にとって危機的状況だという事だけは分かる。
哲平は、悠介とその男たち三人の後を必死に追い掛けた。
走り抜けて行く悠介と男たちの姿を、通りを歩く人々が何事かと振り返る。そんな人々の間を抜けて走るうちに“とみた”の前を通り過ぎ悠介のマンション付近まで来たが、悠介はそこを通り過ぎ男たちから逃げて行く。
「悠……」
次第に悠介と男たちの走る速度が遅くなり、通り沿いの公園に逃げ込んだ悠介の姿が見えなくなった。
「くそ……っ」
あとを追う男たちを追い、哲平も慌てて公園に飛び込むと、ただでさえ暗く少し不気味に映る夜の公園に、人が傷つけられることが想像できる鈍い音が響いている。
「悠介!」
目を凝らすと、薄暗い小さな公園の茂みの辺りから黒い数人の人影と肉や骨のぶつかる音が聞こえ、悠介がその真ん中で身体を縮め耐えている姿を見つけ哲平の頭にカッと血が昇った。
「何やってんだおまえら‼ 止めろ!」
哲平は慌ててその人影の中に飛び込み、悠介に暴行を加えている三人の若者たちの一人に掴みかかり勢いよく投げ飛ばした。
「哲平⁉」
驚いている悠介を尻目に、さらにもう一人を悠介から引き剥がして蹴り飛ばした。──が、後ろからもう一人の男に背中を蹴られ、結局地面に叩きつけられる。勢いで飛び掛かったはいいが、なんとも無様だ。
こんな人数相手にするのはもちろん、まともな殴り合いの喧嘩など今までしたことはない。敵わないのは頭では分かっているが、それでも動かずにはいられなかった。
「……ぉらぁあああ!」
わけも分からず、哲平は夢中で飛び掛かって来る男たちに応戦した。
こんなふうに誰かを本気で殴ったり、殴られたりするのは人生で初めての経験。それでも、動かなければ、と思ったのはやはり悠介を助けたいと思ったからだ。
「く……っそ」
殴られるたびに、頬に、腹に、足、身体全体に鈍い痛みが走る。
「哲平!」
身体が怒りに震えているのが自分でも分かる。殴られながらも再び立ち上がって、一番身体の大きな男に殴り掛かるも、振り上げた拳は相手の手のひらに遮られた。
やはり敵わない、と思ったが、公園の周りに騒ぎを聞きつけた野次馬のような連中が集まってきている気配を感じて、敢えて辺りを気にするようにしながら哲平は男たちに言った。
「さっき警察に連絡した。……通りの連中も騒ぎに気付いてるだろう。捕まりたくなかったらここから消えろ」
暗がりに慣れた目でよく見ると、若い男たちは身体こそ大きいがまだ学生のような連中だった。お互いの顔を見合わせて目で何かを語っている。
「まだ学生か? さすがに警察沙汰はまずいんじゃないのか?」
警察という哲平の言葉に、男たちが少し怯んだ。実際連絡したというのはハッタリだったのだが、その言葉に少しは効果があったようだ。
「ちっ、……面倒なの勘弁だから、この辺で止めといてやるよ」
そう言って哲平の拳を掴んでいた男が、哲平を突き飛ばして走り出すのと同時に、その仲間の二人も後を追うように公園を出て行った。
哲平はその場に立ち尽くしたまま、大きく安堵の息を吐く。ほっとした途端に体中の力が抜け、その場にしゃがみ混んだところに、悠介が慌てて駆け寄って来た。
「哲平!」
駆け寄って来た悠介が、しゃがみ込んだ哲平の腕を掴んだ。
「つか、何で⁉」
驚いているのと、何が何だかというような不思議そうな、それでいて労わるような目で哲平の顔を覗き込む。口元や目の端に擦り傷こそあるが、立ち上がれないほどの深手を負ったようではない悠介の様子に哲平は心からほっとした。
「……あ、いや。マツトミの信号のとこで、悠介見かけて……したら、さっきの連中に追いかけられてるし。何かただ事じゃない雰囲気だったから追い掛けて来た」
「バカだな。何、巻き込まれてんだよ……」
そう言った悠介が目の前にしゃがみ込み、申し訳なさげに目を伏せ哲平の肩に手を置いた。
「怪我ないか?」
そう訊ねると、悠介が哲平の肩に置いた手をゆっくりと撫でた。
「や、あるけど、大したことじゃ──それより哲平のが……」
「俺は平気。身体だけは頑丈に出来てっから、……っ」
悠介を安心させようと笑い掛けたのに、口の端が切れてその痛みに顔をしかめた。
「バカだな。強がんなよ。あれだけやられといて平気なわけないだろ」
悠介の指が、少し遠慮がちに哲平の切れた口元に触れた。その指が少し震えていることで、自分だけでなく悠介も怖かったのだろうということが分かった。
「血……出てる」
「……マジで」
「手当しないとな」
「いいよ。こんなん舐めときゃ治る」
「無茶すんなよ……全く」
悠介が呆れたように息を吐き、哲平の額を指で弾いた。
「痛てぇ! 何すんだよー」
「おまえがあまりにもバカだから」
「バカとは何だよ。つか、そもそも悠介こそ何してんだよ。あんなガキと揉め事なんて!」
哲平が言い返すと、悠介が不服そうに下唇を突き出した。首を突っ込んだのは自分だが、巻き込まれこうして怪我まで負ったのだ。その理由くらいは知っておきたい、というのが哲平の視線から伝わったのか、悠介が渋々口を開く。
「べつに、大したことじゃないんだよ。たまたま近くの居酒屋で一人で飲んでて──隣の席の学生風の女の子たちがあいつらに絡まれてて。面倒だから最初はほっといたんだけど、あいつらあんまりしつこいんでその女の子たちが可哀想になってさ。帰り際、ひとこと注意したら、店出た後追っかけて来て……あとは見ての通り」
悠介がそういったトラブルを自分から起こすタイプではないと思っていただけに、尤もらしい理由にどこか安心した気持ちになった。
「実は結構あるんだよな。大したこともないのに絡まれたり」
悠介が何気なく言った言葉に哲平は目を見張った。
「は⁉ よくあんの⁉」
「肩ぶつかっただけで揉めたり……ちょいちょい」
物腰も柔らかく温厚な悠介が、そういったトラブルに遭遇しているということが意外だった。
「前、普通に飲んでたバーのトイレで男に犯られそうになったこともあったしな」
「……は」
悠介は何げなく話しているが、普通はそんなことそうそう起こる出来事でもない。だが、悠介の綺麗な顔つきを見ていて、少しだけ思う事があった。
たぶん、こんな綺麗な顔つきをしているからなのでは──と。さっきの男たちも、悠介に注意されたことに腹を立てたのは事実なのだろうが、声を掛けていた女の子たちの前で恥をかかされた相手がこんなすらりとしたイケメンとくれば、そこが尚更勘に触ったのだろう。
男に襲われそうになったというのも、たぶんそれは悠介にそういった魅力があるからで、本人にその気はなくとも、そういう人間を引き寄せてしまい、結果トラブルになっているという事なのかもしれない。
「つか、良かったよ。偶然でもあそこで悠介見つけて」
大した事が出来たわけじゃないが、あのまま悠介が一人だったなら、きっとこの程度の怪我では済まなかっただろう。
「……ありがとな、哲平」
悠介が哲平の頭に手を乗せながら言った。
「あ、うん」
久しぶりだった。悠介からこんなにも心のある言葉を掛けられたのは。
上辺だけでも、無理をしているわけでもない。たぶん悠介の心からの言葉。久しぶりに悠介の本当の温度の感じられるその声色に、なぜか目頭が熱くなる。
「つか。助けに入ったつもりが、結果返り討ちにあってボコられるっつーダサい感じになったけどな」
「いや。助かった、マジで。哲平いなかったら今頃……」
悠介の言葉尻が途切れたのは、多分一人だったときのことを想像したからだろう。
正直、哲平も怖かった。多分、追われていたのが悠介でなければそこに首を突っ込んだりはしなかっただろうし、悠介でなければ身体を張って守ろうなどと考えもしなかった。
悠介だから──改めて自分にとってのその存在の大きさというものを思い知る。
これは、友情? それとももっと……言葉で表現することは難しいが、友情を越えた別の何かなのだろうか。
「哲平、立てるか?」
悠介が先に立ち上がって、哲平に手を差し出した。
「ああ、うん」
哲平はその手を掴み、それを支えに立ち上がる。握った手は決して細くはなく、骨張っていて、どこからどうみても自分と変わらない男の手。何気なく握り返しただけで、哲平の胸の内に照れくさいなどという感情が湧き上がったことに戸惑いを覚えた。
「とりあえず、うち来い。怪我、手当してやるから」
「──ん」
離された手から次第に消えて行く温もりに、胸が少し痛んだのもまた哲平にとっての戸惑いだった。
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