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第8話 ③

   吹く風が少し渇きを伴い始めた九月。  悠介の決心を成島が納得してくれたのか、どうなのか。その真意が分からないまま、時折「元気か?」などとこちらを気遣う連絡が入る。  以前のように頻繁に会うことも身体を重ねることもなくなったが、完全に拒み切れないのは、恋人でなくなったとしても友人という関係が自分たちの間に残り続けるからだ。 「……どうすればよかった?」  成島のことを嫌いになったわけではない。けれど、悠介の中から哲平への想いが消せない以上、今までのままではいられない。自分が出来うる最善の選択として一体どうすることが正解だったのだろう。 「あれ、岩瀬じゃん。まだいたのか? 今日、夜予約なかったろ?」  従業員食堂でコーヒーを飲んでいると、予約課の同期の砂山(さやま)が声を掛けて来た。 「ああ。さっきまで、会場下見一件あって。……ってか、本来そっちの仕事だろうが」  悠介が言うと、砂山が思い出したように顔をしかめた。 「あ、そうだった。悪かったよ、こっちも打ち合わせ重なっててさー、先方さん、会場詳しい奴のほうがいいって言うし、だったら宴会部に任せた方がって思ってさ」 「いいけどな」  会場案内などは本来予約課で行うのだが、中には細かなキャパを把握しておきたいというお客もいる。そう言った場合は宴会場を知り尽くしている現場の人間にバトンが渡るのも珍しいことではない。 「さすがに、もう帰りだろ? お疲れさまな」 「ああ。そっちもあと少しだろ?」 「おー、お疲れな」  事務所での仕事は座りっぱなしの事が多いし、身体も堅くなる。少し息抜きに来ていただけなのだろう。砂山が慌ただしく食堂を出て行った。  食堂の椅子に座ったまま、ポケットから取り出したスマホを何気なく眺める。  久しぶりに仕事が早く終わったというのに、取り立てて予定もない。今までなら、こんな日は迷わず成島に連絡を入れて、予定を入れていた。  成島と別れるという事は、つまりそういうことなのだ。  職場に気の合う友人がいないというわけではない。さっきの砂山も同期で仲が良く、たまに飲みに誘われたりもする。けれど、心から気を許せる友達かと問われれば、その答えに迷いが出る。  気心は知れているが、悠介のすべてを知っているわけではない。  それなりに仲良く付き合ってはいるが、自分のすべてをさらけ出せる相手など、考えてみれば成島以外にいなかったという現実を思い知るのだ。   職場を出てどこかで飲んで帰ろうかと考えてみたものの、またこの間のようなトラブルに巻き込まれることを考えると億劫であり、久しぶりに“COLORS”に顔を出そうかとも考えたが、そこで成島と鉢合わせしてもまた気まずい。  悠介はブルゾンのポケットからスマホを取り出し、着信履歴の中から自分からは一度も掛けたことがなかった番号をタップした。  数回の呼出音のあと「もしもし?」と少し驚いた相手の声が聞こえる。 「──あ、俺だけど」 『ビビった! 悠介のほうから連絡してくるなんて初めてじゃね? どうかした?』 「いや。仕事終わって時間空いたから、ひまだったら飯でもと思って」  そう言うと、電話の向こうでしばしの沈黙があった。 「哲平?」 『マジで? 行く行く! あと十五分くらいで店出れると思うし、何食い行く?』  続いた嬉しそうに弾んだ哲平の声に、どこかほっとしながら希望を伝える。 「俺的には肉の気分」 『分かった。じゃあ、駅の近くの“だるま”って焼き肉屋知ってる?』 「ああ。なんか、細い路地入ったそこそこ有名な店だろ?」 『うん。そこで落ち合おうぜ。悠介、先に着いたら店入っててくれよ。なるべく早く行く』 「分かった」  悠介はそう返事をしてスマホをポケットに戻しながら、少し早くなっている鼓動に気付き息を吐く。  たかが食事の約束を取り付けただけで、この始末。  無理矢理抑えつけていた想いを、もう無理に抑え込む必要がないのなら、哲平がそれでも今までと変わらずいてくれるのならば、怖いものなんて何もないのだということに気づいた。

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