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第9話 ②
「休憩戻りました──って。なに浮かない顔してんすか、船口さん」
岡本に訊ねられ、哲平は加工機にレンズをセットしたままその手を止めた。
「……べつに」
「してますよ。船口さん、いろいろ顔に出やすいんですから」
岡本の言葉を聞き流すように加工機をセットしてその場を離れた。
「またブロック長に何か言われたんすか?」
「いや。そうじゃないけど──」
実際言われていない、というわけでもないが、本当に浮かない顔をしているように見えているのなら原因はその事ではない。
岡本が休憩に出ているほんの三十分ほど前、成島瑛士が店に来た。
以前買ってもらった眼鏡のフレームのレンズが外れた、という修理目的だ。実際リムのネジが外れてしまってはいたが、ネジを入れれば何の問題もない修理自体はものの数分で終わった。
たまたま平日の昼時ということで、店内に他に客はおらず、哲平が成島に会うのは、以前悠介の部屋でたまたま会って以来。
ただの客としての接点しかなかった頃とは違う重苦しい空気が空間に張り詰めた。
「岩瀬とは──?」
手持無沙汰なのだろう、成島が修理を待つ間、店内を見て回りながら哲平に訊ねた。
「あいつと、まだ会ってたりすんの」
以前客として店に来た時とは随分違う、愛想のない態度。
ああ、そうだ。高校の頃の成島はこんな感じだった、と当時のことを思い出した。あの頃すでに二人はそういう関係だったのだろうか。
「なぁ。会ってんの?」
「ええ、たまに」
哲平が答えると、成島が驚いたような、それでいて侮蔑を含んだ表情を向けた。
「俺との関係、知ってるのに? それでもあいつと会えんだ?」
「……何が言いたいんですか」
「岩瀬がゲイだって聞いて何とも思わないのか?」
もちろん最初に聞いたときには驚いた。動揺もした。
悠介の気持ちを知ったときには、もっと驚いた。けれど、嫌悪感はなかった。
「何とも……って」
「あいつは俺と付き合ってんだぜ? その意味分かる?」
「……」
「じゃあ、想像してみたらいい。あいつが俺に抱かれてるとこ」
成島の言葉に、哲平はドライバーを持つ手を止めた。
哲平自身、一度も考えなかったわけではない。
悠介が男と付き合っているということは、すなわち──。
「お眼鏡直りましたんで」
哲平はふつふつと込み上げてくる怒りを必死に抑えながら、修理の済んだ眼鏡を成島に差し出した。
知りたくもない。悠介とこの男の深い繋がりの中身など。
嫌悪感より怒りが勝ってしまうのは、悠介を思いのままにしているこの男への嫉妬か。
「船口くん、だっけ? あんたは、岩瀬とどうする気なの?」
そう言いながら成島が直ったばかりの眼鏡を受け取り、それをスーツの胸ポケットに入れた。
「恋人の周りうろつく邪魔者、黙って見過ごすほど俺もお人よしじゃないんで。……言ってる意味、分かるよな?」
成島が感情を抑え、静かに訊ねた。
成島の言い分は哲平とて十分に理解できる。自分の恋人の周りをうろつく恋愛対象になりうる相手に、神経を尖らせずにいられないのは当然だ。
どうする気なのか、と言われて咄嗟にその答えがでないのは、哲平自身もどうしたらいいのか考えあぐねているからだ。
悠介に惹かれる気持ちはあるのに、それを認めてしまうことを躊躇うのは、凪いだ水面に落ちた小石が水面に輪をつくるように、自分の出方次第で自分を取り巻く環境が如何様にも変化することが想像できる。
もし、気持ちを認めたとして。
自分を好きだと言ってくれる、小夏はどうなる?
それを認めることはすなわち彼女への裏切りであり、彼女を傷つけることになる。
それはこの男にしても──。
「岩瀬には、近づくなよ。分かるだろう?」
「……」
「あんたは所詮、普通の男だ。あいつの気持ちを受け入れられないのなら、離れてやれ」
成島の言葉に、哲平は動揺した。
離れる? 悠介と?
「それが、岩瀬の為だ」
そう言い残すと、成島は店を出て行った。
悠介の為。何が正解なのか分からない。
このまま関りを持たなくなることが、悠介のためになるのか?
悠介の為かどうかは置いておいて。成島の後ろ姿を見送りながら、漠然と「嫌だな」と思った。あの男が悠介に触れることを想像しただけで。
まるで子供の我儘だ。自分の気持ちさえ持て余して、悠介の気持ちを受け入れる覚悟も責任も持ち合わせていないのに。
悠介が、あの男のものであるという事実が、嫌だなどと思うのは。
これは、立派な独占欲だ。
誰かを人に渡したくない。自分だけのものにしたいなどと思う気持ちは。
気づかなければ、ある意味幸せだったのかもしれない。この感情は、単なる幼馴染みの範囲を、すでに軽く超えてしまっているのかもしれない。
同性の幼馴染みと彼女を、同じ土俵で比べるなんてこと、普通はない。
幼馴染みは、あくまでも幼馴染み。だが、その幼馴染みが自分に恋愛感情を持っている場合は、状況が異なるということを最近知った。
悠介は言った。
──選べよ。彼女か、俺か。
当然だ。
自分が逆の立場だったとして。好きな相手が、自分とライバルに対して、どちらも大事だ、選べないなどと言い出したら──。
「そりゃ、そうだよなぁ……」
誰だって、好きな相手の一番でいたい。それが叶わないのなら、敗北を認め自ら土俵を降りることを選ぶしかないだろう。
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