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第10話 ①

「試してみるか? 想像の先」  そう言った言葉が自分でもはっきり分かるほど震えていた。  哲平は少し驚いた顔をしていたが、まるでそう言われることを予期していたように少し目を伏せただけだった。  哲平が実直な男だという事はよく分かっている。彼なりに自分を理解しようと、向き合おうとしてくれているのだということも。  すぐに、冗談だよ、そう言うつもりだった。けれど哲平から返って来た言葉に悠介は驚いた。 「……試すとか、そういう言い方すんなよ。俺はただ悠介の気持ちにどうやったら応えてやれんのかって精一杯考えてるだけなのに」  本当にこの男はどこまで人がいいのだろうか。  試してみるか、と言った言葉の裏側は己の欲にまみれている。  ただ、自分が哲平に触れたくて、もしかしたらという一縷の望みのために尤もらしい理由をつけて優位に立とうとしているだけなのに。  もっと言えば、哲平をこっち側に引きずり込んで、自分から離れられなくなればいいなんてことを考える恐ろしい自分。何とも自分勝手で醜い感情を持つ自分と対照的な哲平の真っ直ぐな視線に目が眩みそうになる。  今まで悠介に指先を弄ばれ、されるがままだった哲平が悠介の手をそっと握り返した。  驚いて顔を上げるとそこで視線がぶつかった。 「俺から触れてたっていいんだろ?」 「──ああ、うん。まぁ……」  哲平がさっきまで自分がしていた動きを真似て悠介の指を弄ぶ。哲平はマッサージみたいだなどと言っていたが、長年好きで好きで触れたくて触れたくて、でも触れられなかった相手にこんなことをされるのは予想以上に気持ちが昂った。 「哲平、……ちょい待った」  ストップをかけた悠介に、哲平がゆっくりと顔を上げた。──が、それを気にする様子もなく悠介の手先にまるで愛撫のように丁寧に触れる。 「ちょっと!」 「なに? 嫌だった?」 「嫌じゃ、ないけど」 「なに」 「……おまえから触られんのはちょっと」  止めて欲しいとかではない。逆だ。  ずっとして欲しかったこと。哲平を相手に何度も何度も想像した。それが現実に──そう思うと、平気なふりなど出来そうにない。 「何だよ、それ」  哲平がふっと笑った。  ──ああ。哲平のこんな顔がたまらなく好きだった。  大人になって、確かに顔つきはあの頃に比べ精悍さが増したがその雰囲気は何も変わっていない。 「やっぱ、俺がする」 「狡りぃよ、悠介」 「そうだよ。俺は狡いんだよ」  哲平に触れられて、その気になって、結局引かれたら──? そのほうがダメージが大きい気がする。 「俺が狡いんだから、哲平も狡くなればいい」  そう言うと、哲平が不思議そうな表情を浮かべた。どこまでも真っ直ぐで純粋で、そんなところが堪らなく眩しい。  そんな哲平が精一杯彼に出来うることを模索して、悠介の気持ちに寄り添おうとしている。その気持ちだけでたまらなく胸が熱くなる。 「哲平。目、瞑れ」 「何だよ、急に?」 「いいから」  悠介が半ば無理矢理手のひらを哲平の目元にあてると、哲平がそれに思いきり抵抗し、悠介の手を引きはがした。 「──だから、何で」 「俺だって、怖くないわけじゃないんだよ。キス以上のことしておまえがどんな反応するかって考えると怖い」  自分の性癖を自覚してから世間一般の“普通”は諦めた。好きな相手に好きだと告げることも、友達として傍にいることも。自分はこうだから、こういう生き方をするしかないといろんなことを諦めた。何が起こっても傷つかなくてすむよう、人との距離感には人一倍敏感になり、踏み間違えないよう必死で生きて来た。  いくら捨て身の覚悟で哲平に挑んでいるとはいえ、好きで好きで堪らない相手に本気の拒絶を受けたら、さすがに心が折れる。 「この先のことは──俺がする。だから哲平は目を閉じてて」 「何だよ、それ」 「おまえに拒絶されんの怖いんだよ。分かれよ」 「……」 「哲平の嫌がることはしない。おまえが嫌だって思ったら──そうだ! 手上げてくれればいい、こうやって」  と、片手を上げた。  まるで歯の治療中みたいなやり方だな、と自分で言っておいて笑いが込み上げたが、それは哲平も同じだったようで、呆れたように悠介を見つめて言った。 「はは。それ、歯医者の絶対やめないやつじゃん」  確かにそうだ。歯医者で痛みを訴えて手を上げても「もうちょっとだから」なんて上手く言いくるめられるものだな、哲平につられるように小さく笑った。 「分かったよ……悠介がそのほうがいいなら」  そう言った哲平がソファに座ったまま静かに目を閉じた。  本当に馬鹿がつくほど真っ直ぐだ。もし悠介がその約束を破って暴走したら、などということは微塵も考えていないかのように、その先を委ねて来る。  隣に座る哲平にそっと身体を寄せ、唇を重ねた。さっきお茶を飲んだばかりだからか、哲平の唇は濡れてしっとりとしていて、ほんのりお茶の香りがする。  そのまま薄く開いた口を押し広げ舌を差し入れたが、抵抗はされなかった。それどころかたどたどしくはあるが、悠介の舌の動きに応えてくれようとしている。 「哲平……」 「──ん、っ」  ほんの少し顔を赤らめて、苦しそうに、でも嫌がっているふうでもなく、自分を受け入れる。  ──こんなの、期待しないほうが無理だ。  何度も何度もキスを交わすうちにお互いの息が荒くなる。  次第にキスだけでは物足りなくなって哲平をソファの上に押し倒し、シャツの上から胸の筋肉に触れた。  そっと撫でて、その厚みを確かめてまた撫でて。親指の腹で乳首を探り当ててそこを執拗に擦ると、突起がぷくりと立ち上がる。 「──っ」  哲平が小さな声を漏らした。 「感じる? ここ、男も気持ちいいって知ってた?」  そう訊ねると、哲平が律儀に目を閉じたままで小さく首を振った。ほんのりと熱を帯びる肌。直接触れてみたくて、シャツの裾から手を差し入れると哲平の肌が触れたところから粟立ってくる。それがまるで伝染しているかのように、悠介の身体にもゾクゾクとした快感に似たものが湧き上がった。  哲平の小さな突起を指で挟んで摘み、そっと転がすように動かすと哲平の身体がビク、と動く。それでもまだ律儀に目は瞑られたままで、羞恥なのか快感なのか、表情を歪める哲平の顔を見ているだけで堪らない気持ちになる。  もっと、触れたい。もっと──。  シャツの裾を捲り上げて胸に吸い付くと、哲平が「……っ」と再び小さな声を漏らした。 「哲平。声、我慢すんな。気持ちいいなら素直に感じててよ」  哲平は、いずれどちらかを選ぶ。彼女か、俺か。  もし、これが哲平に触れる最後なのだとしたら──。せめて気持ち悪い思いではなく、気持ちいい思いだけを残したい。 「何も考えんな。頭真っ白にして、与えられる感覚だけに溺れて……」  何度も胸に吸い付いて、突起を舌で転がして、上体のありとあらゆるところにキスをする。  それでも哲平の手は上げられることはなく、ただ彼の口から熱い息が漏れる回数が増えていく。 「気持ちいいのか?」  そう訊ねながら哲平の下腹部にそっと手を伸ばすと、そこには明らかな欲情の証が見て取れた。  「──下も、触っていい?」  そう悠介が訊ねた瞬間、初めて哲平の手が動いて悠介の手の動きを抑え込んだ。 「……ちょ、待っ」  そう言った哲平がゆっくりと目を開けて悠介を見つめた。 「何勝手に目開けてんの。瞑ってろって言ったのに」 「そうだけど」  哲平が気まずそうに返事をした。 「哲平の、触りたいんだ。この先知りたいんだろ? だったら──」  哲平が一瞬何か言いたそうな表情を浮かべたが、そのまま押し黙った。ノーマルの男には、この先にこそ抵抗感があるのは分かるが、ここを越えられなければその先はあり得ない。  哲平に嫌悪や拒絶の表情が見て取れたのなら、それまでだと思った。けれど、そういうのとは少し違うと感じたのは自分の勝手な願望か。 「無理強いしたいわけじゃない。哲平が嫌なら俺も引き下がるよ。けど、そこそんななってたら──」  悠介が視線を注いだ先に気づいている哲平が「こ、これは……」と慌てて腹の下を手で覆った。 「触りたい……」  そう言ってそっと哲平の手を引きはがそうとすると、思いのほか簡単にその手が(ほど)けた。 「悠介、狡りぃよ」 「何が」 「そんな顔してさ」  一体どんな顔をしているのだろうか。  けれど、想像はつく。欲にまみれ淫らでだらしなく、どう隠そうとしても抑えようもないほど哲平に欲情しているだろう自分自身の顔が。 「言ったろ? 狡いんだよ、俺は。哲平に選んでもらえる可能性がほんの少しでもあるんなら、いくらだって狡くなれる」  それだけ必死なのだ。  この目の前の男を自分だけのものにしたくて。 「嫌がることはしない。気持ちいいことだけ……」  そう言って哲平の硬くなったそれに触れると、哲平が思いきり顔を赤らめた。 「ゆ、悠介……」 「ほら、もう一回目瞑って」  悠介が再び目を閉じさせようと哲平の顔に手を伸ばすと、哲平が「嫌だよ」と悠介の手を掴んだ。  さすがに抵抗感があるか、ここまでかと思ったその時、哲平の口から想像もしていなかった言葉が返って来た。 「もう、目はいいよ。──それに、俺ばっかりされっぱなしってのも嫌だ」  そう言った哲平の右手が悠介のシャツの裾を引き、そこからそっと手を入れ肌に触れた。 「ちょ」  戸惑いの視線を哲平に向けると、哲平が真っ直ぐに悠介を見つめる。 「俺、最近ちょっとおかしいんだ」 「え?」 「悠介の事ばっかり考えてる……。今日も、本当は小夏にも誘われてたんだ。なのに、俺、悠介に会いに来てるしさ。さっきだって……」 「なに」 「さっきは違うって言ったけど……ホントは意識してる、たぶん」  彼女の誘いを蹴って自分に会いに来たとか、本当は意識しているとか。哲平の言葉がにわかに信じられなくて、何をどう答えていいか分からない。 「……はは。悠介の心臓、すげぇことになってる」  気づけば直接肌に触れた哲平の手はちょうど悠介の心臓のあたりに添えられていて、高鳴っている鼓動は誤魔化す術もないほど哲平に伝わっている。  哲平の手がさっき悠介が哲平にしていたのを真似るように動く。胸の辺りをそろそろと手のひらでなぞっていたその手はゆっくりと腹筋をなぞり、下腹部に伸びる。伸びた指先が、そっと悠介の熱が高まった部分に触れた。 「──っ」 「ホント変だな。こんな気持ちになるなんて──」 「……哲平」 「興奮してるみたいだ、俺も」  そう言った哲平に首の後ろをぐいと引き寄せられそのまま唇を塞がれた。  哲平のキスは相手が自分だからなのか、元々そうなのか、どこかぎこちなく不器用なキスだった。  けれど、そのどこか不器用でたどたどしい様が、今まで自分が経験してきたキスとは比べ物にならないほどの興奮を煽った。  本気の相手──好きで好きでどうしようもなくて、けれど諦めるしかなくてその想いに蓋をし続けて来た哲平と、キスをしているという事実は、これまで保ち続けていた理性を飛ばすには充分過ぎる材料だった。 「哲平。おまえが煽ったんだからな」  自らシャツを脱いで哲平に跨ると、哲平のズボンに手を掛けてずるりと下へ引き下げた。  哲平が一瞬はっとしたような表情を浮かべたが、哲平の方も何かを決意したかのように悠介のズボンを下へ引き下げた。  悠介が身体の位置を少し上へずらして、自分のものを哲平の股間に押し付けると、哲平が悠介を見上げながらはにかんだ。 「……萎える?」 「いや。悠介がなんかエロくて興奮が増してる」 「凄げぇでかくなったな。哲平の、こんなちっこかったのに」  悠介が指で当時のサイズを示すようにすると、哲平が恥ずかしそうにその指先を掴んだ。  いま、自分が哲平の上に跨り、お互いの昂ったものが触れ合っているという事実が、信じられないやら照れくさいやらで、少しの沈黙さえ怖くてくだらない軽口を叩く。 「それ小学生の頃の話だろ。悠介だって変わんなかった」 「大人になりやがって」 「それもお互い様だよ」  お互い大人になった。それは哲平と再会してからというものいつも感じてきたことだ。  まだ可愛かった小さい頃の面影も残しつし、それに精悍さが加わった顔つき。身長も随分と伸び、細かった体つきはいつの間にかこんなにも逞しく成長した。  ──大人の男だ。  あの頃の自分が欲情した未発達な成長過程の身体ではなく、れっきとした大人の──。  硬さを保ったままの自身を哲平のものと一緒に両手でそっと包み込んだ。指で先端を擦り合わせると、どちらのものとも分からない先走りが溢れる。 「……っ」  哲平が小さな声を漏らし、悠介の両手をその上から包み込んだ。 「これ、どうすんの」 「擦ると……イイだろ?」  こんなことが叶うとは思わなかった。こんなふうに哲平と──。 「俺にさせてよ。おまえは、何もしなくていい」  たとえ、哲平が自分ではなく、彼女を選んだとしても。  この行為に罪悪感など抱く必要がないように。俺が、したくて、俺が勝手に──そういうことにしてしまえばいい。 「悠介、それは嫌だって言ったろ?」  哲平がこちらを真っ直ぐに見据えて言った。 「俺だって自分の行動には責任持てるくらいには大人になった。悠介だけのせいにするつもりなんてない。俺が、いま興奮してんのは間違いなく悠介に、だよ」  いつまでたっても眩しくて仕方ない。  その真っ直ぐな視線が。 「こっから先、責任もってちゃんと教えろよ」 「……バッカ。知らないぞ? 俺にはまっても」  精一杯強がった。  拒絶されないだけいいと思った。気持ち悪いって思われないだけで十分だと思っていた。  なのに、触れたらもっと先が欲しくなる。こうして自分と向き合おうとしてくれている哲平に、この先待っているであろう普通の幸せを、奪ってしまいたくなる。 「はまったら、悠介が責任とってくれんだろ?」  そう言った哲平が、両手で悠介の頬を包み込んだ。 「……どこまで人がいいんだよ、おまえ」  そう呟いた唇に、哲平の唇が重なってチュ、とやたら甘いリップ音を残してから離れた。 「人がいいだけで、ここまですると思う? 俺も確かめたいんだよ、悠介に対する自分の気持ち」  哲平の低い声が、部屋に響く。  見つめるその瞳は、とても穏やかで優しく温かく、そんな哲平の顔をみつめているだけで胸が熱くなってどうしようもなかった。

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